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"The LEPLI" ARCHIVE 128/「'15S/S-CdGパリ展示会を見て考え想った事、なぜ、『凄い!』のか?」

 文責/平川武治。
初稿/ - 2014年10月13日、ベルリンにて。:
写真出典 / ファッション雑誌”an an"1981年8月28日。
www5g.biglobe.ne.jp/-wo-house/82ss-85ss.htm

 パリ・コレ'15 S/S-CdG速報―2
今回はこのブランドの展示会を見て、考え想った事、
「なぜ、『凄い!』のか」その根幹は?を論じてみたいです。

 『模倣と習慣とはある意味に於いて相反するものであり、
ある意味に於いて一つのものである。
模倣は特に外部のもの、新しいものの模倣として流行の原因であると言われる。
流行に対して習慣は伝統的なものであり、習慣を破るものは流行である。[、、、、、、]
 しかし、習慣も其れ自身一つの模倣である。
其れは内部のもの、旧いものの模倣である。
習慣に於いて自己は自己を模倣する。
自己を模倣するところから習慣が作られて来る。
流行が横の模倣であるとすれば、習慣は縦の模倣である。』
 *出典引用/『人生論ノオト』三木清著/新潮文庫’54年初版;「習慣について」より:

 展示会へ訪れる。/
 会場へ入った瞬間の印象は、そこそこ映画に煩い人であれば、
昨年リメイクされた定番ホラー映画の王道中の王道、”キャリー”を思い出す。
昨年のリメイクでこの手のカルト映画が又、新しい世代にウケた事も思い出す。
 今シーズンの”赤”のラッシュも読めた。
王道な発想である、“黒”“白”そして、”赤”。
単純にこのデザイナーが好きで、使う事に慣れと安心そして、自信を持っていると言う定説ともう一方では、このブランドが過去30数年で儲けられて来た色合いが
この3カラーであるからだ。
 結論的予測になるが、この流れで、次回を予測すると、“タータン-チェック”であろう。
“タータン-チェック”もこのブランドは好きで、定番になり、使う事にも自信と上手さを持ち、
ここ30数年でやはり、儲けて来た素材だからだ。

 少し、”箸休め的なる”余談をすれば、/
 例えば、この”コムデギャルソンブランドとPUNK"の関係である。
ブランド、”コムデギャルソン”の立ち上がり期、’70年代中頃迄は所謂、
”巴里、大好き!”だから、このネーミング。
そして、“ソニアリキエ、”大好き!!”で始まった
いわゆる、”ソニアのコピーブランド”が川久保玲のブランド黎明期。

 その後、山本耀司と交際、この交際はお互いの“夢”を話し合い、
彼らたちの“願望”を共有し合うことから始まった。
そして、この二人の関係の根幹は、”パリ上陸成功作戦”。
 この第1作戦が 国内での’70年代最後の年からの”黒の旋風”。
見事にお互いのブランドがプレスにおける共同戦略を張って、
同じ様な世界観を創り出しそして、“プレス陽動作戦”に出た。

 これは、当時のファッション雑誌では単独コーディネートか、
“Y"さんと一緒であればと言う作戦でファッションメディアを制覇した。
当時の新メディアとしての“an an"を利用し、その新雑誌のスタイリスト、慶應後輩の
原由美子さんや、元CdG販売員でその後、’70年代後半に既に、巴里へ出掛けた
堀越絹衣さんたちTopスタイルストたちを巻き込んで見事に成功。
 もう一方のこの世界のメディア、文化出版局が’72年に発行した“HIGHT FASHION"誌へは
耀司の名声を借りやはり、文化服装学院の「“文化”の耀司利用戦略」と共に、
この時期の2大ファッションメディアを手中にした。
この戦略の根幹は
「自分たちの”イメージング”は自分たちの”業”でコントロールする」と言うものだった。
これらの作戦も共同作戦であった事で可能になったものでしかないのだが、
この当時スタイリストだった人たちが必ず、悔しい思いで貸し出しを断られた事は
有名な神話に迄なった。
 この”メディアコントロール”が川久保玲を『寡黙なデザイナー』
『顔写真を出さないデザイナー』、『黒のデザイナー』等の『神話』を
これらメディアと共に、勝手に作り上げ形成、構成され今日迄に至り、
これらのエピソードが語り継がれ、現在の存在観の大きな原動力の一つにもなった。

 この「共同陽動作戦」によって、かれらの“夢”であった、
”パリ上陸成功作戦”の資金が捻出される事になる、見事な流石、”大学卒デザイナーたち”。
彼らたち二人の共通項の一つに『慶應出のインテリデザイナー』と言うのがあり、
その代名詞を地で行く様な“上手なお金の使い方”を
このタッグチームは見事に知的に実行した。
そして、国内での当時の流行語に迄なる迄の巨大なビジネスで充分に儲けた元手が
”パリ上陸成功作戦”の具体的な軍資金になった。

 そして、”巴里上陸作戦”がこの2人の当時、日本を代表するファッションデザイナーと言う
肩書きと伴に、成功を巴里でも収め始めた頃、耀司はその夢を”巴里クチュールの世界”へ。
 川久保玲はここ、巴里で得た新たな自分の”立ち居場所”をよりラジカルなところへと、
メディアが作った『神話』を昇華すべき方向性を新たに求め、探し頑張り始めた。

 そして、次なるは、いつの間にか「パンク的なデザイナー」になる、/
 立ち上がり当時は、先述の様に”ソニアリキエル”のコピーブランドでしかなかった
このブランドが、’77年の"LONDON PUNK"にどれだけ、直接的にこの時期の彼女が
狂ったかは大いなる疑問であるが横を向いたら、東京のストリートにも
当時のロンドンストリート発の“PUNKファッション”の女王「VIVIANN WESTWOOD」が
君臨し、この時代のテイストを持ってロンドンを代表するデザイナーになっていた。

 川久保玲はこの”ヴィヴィアン-ウエストウッド”に大いに、インスパイアされた。
この事実はその後の彼女が”タータンチェック”を使い、黒のフエクレザ―とエナメルを使っての”PUNKYSH"なスタイルとテイストに憧れオムコレクションと伴に多くのシーズンに
コレクションを行なって来た事でも理解出来る。
 ここには、現実の”TOKYOストリート・ファッション”とそこから登場し始めた
"UNDER COVER"などの潮流を感じ取った臭覚の良さがある。

 実際に東京で“PUNK"を東京の路上へその”種”を撒いたのは
あの原宿の神話的ブランド、”MILK”の大川瞳さんだった。
そして、UNDER COVERの高橋盾が現在在るのも彼が、文化時代に大川瞳さんに
可愛がられていた時代があったからであり、
彼らたちが”東京セックスピストルズ”なるコピーバンドをやっていたのも、
彼女、大川瞳との出会いであり、現在へ繋がっている。
 『ヴィヴィアン ウエストウッド ーヴィヴィアン・チルドレン―大川瞳―高橋盾』と言う
流れが東京の路上へ、'70代始まりから’90年代中頃迄続いた”東京パンク”であり、
実際の“PUNK-FASHION"を仕掛けた源流であった。
 川久保玲はこの東京での当時の流れには殆ど、無関係であった。

 『ストリート+アナーキー+破壊+パッション+心意気+ノンフレンチ+ロンドンテイスト
+アウトオブモードそして、+カッコいい。』
 これが”新しい自分すなわち、ブランド”を感じさせるための「新たなブランドシナリオ」。
ここでは、「何でも自分勝手に自由に振る舞える精神性(?)」”PUNK"と読み、
これらの幾つかのキーワードによって川久保玲は自分のコレクションの
”新たなレッテル”の一つとし、のめり込んで行ったのであろう。

 しかし、ここには、巴里に於ける自身の立ち場所継続のための
冒頭、三木清の『模倣と習慣』の関係性でしかない。
決して、彼女のPUNKは”パンキィシュ”でしかなく、
『当事者』でもなく遅れて来た『傍観者』の眼差しであり、
その“負い目”を巴里モードの”際”へもって来たが故に、今に続いている。
 だから彼女にとっての“タータンチェック”は“PUNK”と言う記号に過ぎず、コードであり、
アナーキィなレッテルでしかないと言う
あの、スージー・メンケス女史の発言を思い出すだけだ。
そして、自分流全開のファッションレベルの造型性をパリ・モードへ持ち込んだ事が
巴里のジャーナリストたちにもウケたのである。

 さて、主題へ戻そう。/
 展示会で拝見した今シーズンのビジネス・コレクションは作戦変更が行われた。 
『僕が提言していたブランド、『レイ-カワクボ』は訂正せねばならない。
今シーズンのブランド『コムデギャルソン』は又,もとの立ち位置へ戻った。』

 基本的にはショーピースもそれなりのものはガーメントとして販売している。
その分、コレクションの根幹はここでも“BALANCE OF THE ARCHIVES”の世界である。
ここ4シーズンをベースにし、以前のコレクションでも既に、見せびらかしたエレメントが
”赤のバリエーション”という世界でブリコラージュされただけのコレクションだ。
 従って、今回の多くのモチーフエレメントも、
2000年、早々のファッション学生作品からの "souceof the inspiretions"。
特に、アントワープ卒のアンジェロ.F.やラカンブル卒のクリストファー.C.等がプンプン匂う。
 結果、このデザイナーは若しかしたら本人は見ていないかもしれないホラー映画、
”キャリィー”の世界観に何よりからも近くなる。
 “黒”や”白”のバリエーションより分量感が出し辛い“赤”を
使わなくてはならなかった分だけ、
その分量感を演出するのにいろいろな、
嘗ての、”原反在庫の素材の赤”をリボン状にして使った。
その為、多くの”赤いリボン”を使い、パターンによる造型ではなく
“トリミング”による立体感を構築した。

 見てしまった、学生の卒業コレクションヴィデオ/
 もう一つ今シーズンのこのデザイナーのコレクションに於ける”造型”に
新たな救いの手を差し伸べたのが、“背負い込む”と言う手法であった。
この手法も以前のコレクションで既に行なって来たが、
今回はこのデザイナーの”立ち居場所”を堅持するために、
又、大いにその“アート的”なる見栄えのために大変重宝した手法であった。

 “ラッピング”“カヴァーリング”そして“プロテクション”のバリエーションの一つとして
この“ハンギング”が身体そのものを覆い隠するのでなく、なんの機能性もなく
見た目の造型のみに即ち、どれだけ”芸術的に見えるか”のために用いられた手法でしかない。
 ”重いであろう。辛いであろう。しんどいであろう。”
このエレメントの手法はまるで、このデザイナー川久保玲の過去から現在迄の
もう一つの正直な”憶い”を表すものであろうか?とも受け取れる。
 又、この手法を使った事によって、“着る”と言う行為から“装着”すると言う行為へ、
ファッションの造型性を拡大解釈したと言っても良い。

 しかし、これらのコンテンツやエレメントも川久保玲が初めて試みたという手法ではない。
もう一度言っておくが、これらは既に、
アントワープのファッション学生の’90年代終わりには
多く見ることが出来た手法とエレメントであった。
 ここにも僕の経験からの視点で言うならば、「“当事者”の眼差しは存在しない。」

 そして、もう一つが、バウハウスの"Oオシュカー・シュレンマー"の舞台衣装,/
 何も、今更ホラー映画、”キャリィー”コレクションでもあるまいと思ってしまうが、
ここに一つ、大きな見落としては行けないアウトフィットが登場する。
それが、“O.シュレンマー”のパクリモノである。
この”キャリィー・コレクション”の中に
2~3コーディネートのあのバウハウスのO.シュレンマーの舞台衣装が登場する。

 今、ベルリンに滞在しているので、
この街の僕が好きな『BOUHOUSE ARCHIVES』美術館へ足を運び確かめる。
 数日前から始まった『モホリ=ナギ展』の素晴らしさと
その作品群の”新しさ”に圧倒されてしまったが、
次回の展示が『オシュカーシュレンマー展』である事も知り残念がるも、
ここ,"バウハウスアーカイブ室"で見れるO.シュレンマーの作品の動画は
今ではYOUTUBEでも見ることが出来るし、
学生コレクションにもよく見られるネタである、そんな時代だ。

 この同じエレメントが数シーズン前にも登場した事があった。
この時も既に、“HANNGING"と言う手法でコレクションに登場させている。
若しかしたら,この“HANNGING"という発想はここがネタ元であろう。
そして、ここでは“赤”に交えて”白”を加えている。
このアウトフィットだけが所謂、“パターン”による立体構成を行なった
今シーズンでは数少ない異質なものになっている。
 しかし、このネタ元があの”バウハウス”の”オシューカーシュレンマー”と言うだけで、
マスコミ受けする要素は確かにある。
この辺りがこのブランドの上手い演出であるが、
今回の巴里でのコレクション’15年S/Sでは
このブランドも“Variation of the Archives"コレクションと言う当世流行の手法(?)を
摂るに至ったのである。

 このブランドの”生産企画力”の賜であるコレクション/
 ランウエーでは“キャリィー”コレクションとしか見えないが、
展示会では売るものがいつものコムデギャルソンの顔つきで顧客を待ち受けている。
 これは変らず、見事であるし、この顔つきがクオリティよく生産出来る
このブランドの”生産企画力”の賜であり、素晴らしく、
この企業の立ち居場所とビジネスの継続の原動力となっている。

 “黒”がやはりメイン。
そして“白”これらはここ3シーズンの継続トレンドでも有り売れるものだ。
“ビッグ―シルエット”、マスキュリンからフェミニン迄の相対性、
アンビギューティなアイテムとそれらをブリッジするインナー類のスポーツテイストや
ワークステイストがこのブランドでの顔つきのこなしで上手いもの。

 ランウエーしか視ないで論じる海外のお友だちジャーナリストたちからは
こんなものが売れるのだろうか?と言う質問は出ないのであろう。
 勿論、日本のジャーナリストと称している”レポーター”たちからは直接は出ない。
だからランウーでイメージングをプロパガンダし、展示会で”実”を生み出す、
このビジネス手法も変わらない。

 “解らない”或いは”解りたくない”、だから『凄い!』 /
 実際には、もうこの様なビジネス手法が行なわれるにはそれなりの”資金”が必要であるが、
其れは大丈夫である。
川久保玲はもう富豪になっているからであり、この会社の社長であり、
デザイナーであると言う立ち居場所に君臨し
そのヒエラルキィー構造も出来上がってしまっている。

 が、若しかしたら錆び付き始めているかもしれないという迄の
ここでも”慣習”が出来上がっている企業体質になっている(?)ので
余計にこの様なコレクションを”川久保玲”本人が
未だに、プロパガンダしなければならないのであろう
否、やり続けるしか無いのであろう。
 ここで、このブランドとそのデザイナーへの賛美『凄い!』が生まれる。
“解らない”或いは”解りたくない”、だから『凄い!』である。

 ではこの『凄い!』は誰が実際に作っているのだろうか?/
 川久保自身がトワレで造型して行く事はないであろう。
選ばれたスタッフが基本形を構築し其れを見ながらこのデザイナーは
『ああだ、こうだ、こうして欲しい、こうしよう等等、、、』が
発せられてのいわゆる、共同製作行程であろう。
 彼女自身が最初の発想から全体のエレメントを構成する迄を
独りで手掛ける事はないであろう。
 このデザイナーは”スタイリスト上がり”だ。
”スタイリスト”の根幹とは、
「他者が作ったものを集めてきて、自分の世界観でまとめ上げること。」
そして、長沢節モードセミナーでモードイラストを半年ほど学んだ。
 実際には自分の”手”には「差異」はない。
従って、優秀なパタンナーと彼女の”手”になるアトリエスタッフが必然であり、
そのうえでの、「勘と感覚と眼と頭の良い」デザイナーである。

 だから、最近のこのメゾンには
”ノアール”を任されたアントワープアカデミー2年で進級できなかった中退生が入社し、
短期間でデザイナーにまで起用されているとても、珍しいことだ。
その後、多くの海外ファッション学校卒業生が
彼らのレベルの使い勝っての良さから就職が許されている。
この傾向は今迄には然程なかった事でもある。

 ある意味で、このブランドも多くの刺激と好奇心あるレベルの”学生作品ネタ”を
持参してくれる構造に興味を持ち、作ってしまったようだ。
この構造は嘗ての、ドリスを代表とするアントワープデザイナーたちや、
パリのデザイナーアトリエで外国人が「インターンシップ」として短期雇用をさせる
手法と構造でもある。

 このエネルギィイとは?問題意識とは?、この根幹は何なのであろうか?/ 
 70歳半ば近く、富豪でありながら、
”自分の立ち居場所”を堅持継続させておく必要性とは或いは、必然性とは?
このエネルギィイとは?問題意識とは?、
この根幹は何なのであろうか?

 これについては前回の僕のブログの、”コムデギャルソン”で既に書いた事。
 『何にご不満があるのですか?
現代社会にどのような憤りやラジカルな視点をお持ちなのですか?』
『巴里ではあなたはもう既に、ブルジョアデザイナーだとの評判ですのに、
これ以上、何にお怒りをお持ちなのでしょうか?世界の動きにですか?政治にですか?
社会にですか?経済状況にですか?男たちにですか?』

 これほど迄の”反骨精神”とは、何に反骨してのエネルギィーなのだろうか?
この世代のそれぞれがたちが刷り込まれ持った「生まれと育ち」そのものが”熱情”なのか?
 嘗てから、30年以上のコレクション継続に於いて
このデザイナーが自らのイデオロギィーを持って自分の立ち居場所を示した事は
全く皆無であった。
 なのに、”ファッションゲットー”の中ではこれほど迄に“反骨のデザイナー”として
騒がれていられるその要因と魅力とは何なのだろうか?
 ここに『創造性』と言う不思議さが存在し、それに取り憑かれてしまった、
その魅力を体感してしまった人間の『業』なのであろうか。

  あるいは結論の一つ、"エプリヌーボー宣言”/
 
さて、今の時代『新しさ』はどの様に考察され誕生可能なのであろうか?
ここで、1917年、アポリネールが
「エスプリヌーボーと詩人」と言う講演で、彼は既にこの様な趣旨の事を発言している。
(これがプリヌーボー宣言”とされている一つである。)
 『新しさの二つの基本的性格は、新しさを生む”組み合わせ”と”驚き”である。
そして、”奇妙”である事と”馴染みのある”ことは常識的には対立するが、
それらを組み合わせる事によって出現する”驚き”から”新しい流行”が生まれる。』

 ここに、モードと習慣の奇妙な関係性が存続する。
 
文責/平川武治。
初稿/ - 2014年10月13日、ベルリンにて。:

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