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"The LEPLI" ARCHIVE 141/ 『少し、気になる 最近の「デザインの周縁」を妄想してみよう。』

文責/ 平川武治。
初稿/ 2015年12月21日。
 
 「芸術作品は”痛み”によってのみ完成される。」/ O.ワイルド。

 今回は「芸術とデザイン」の関係性における「デザインの周縁」を考えてみよう。
 昨今、「ファッションとアート」の”際”もコンバインされ始めてきた。
その”際”がより、不明瞭になり始めるまでの「物質的豊かさ」という”リアリティ”が齎した
新しい時代性における価値観の一端なのだろうか?
 最近の若いデザイナーたちが憧れる”アーティスト”のその殆どが、
「アートの目線から考えるファッション」というベクトルであり、
「ファッションの目線から考えられるアート」というベクトルは少ない。
或いは、大いなる自己満足若しくは、自己確認の象徴なのだろうか?
作品の根幹に思惟されたコンセプトや時代感がほとんどない”アートっぽい作品群”。
 その証拠に、日本のファッションの世界から発信されるこのレベルの多くの作品群は
その殆どが、「手工芸の世界」でしかない。
”どれだけ、手間暇をかけました。でも、自分自身では考えていません、やって居ません。”
 この「産みの苦しみ知らず」レベルの代物が、「ファッション・アート」のほとんどです。

 1)そこで、まず日本のファッションデザインの周縁状況について、/
「現実のファッションの実ビジネスは、進展しているのだろうか?」/
 実際、ここ10年間ほどの日本のアパレル産業はその実ビジネスの展開も然程の成果進展は見せていないのが現実でしょう。
 当然であるが、この直接的原因は、グローバリズムという新たな舞台が誕生したことと、
その舞台での、”ファストファッション”という「ファッション・クローン」の登場である。
”低価格”と”トレンド性”そして、”資金力”と”生産インフラ”などが主なる敗因であろう。
 極論すれば、海外から押し寄せた”黒船” =”ファウストファッション・ブランド”と、
日本発の”ファストファッション”のグローヴァルな販路によって、従来のアパレル産業は
完敗状態という事実。

「ファッションのディストリビューションの形態が変化し始める時代性。」/
 日本のアパレルの販路はその殆どが彼らたちの育ちと同じように”百貨店”であった。
その”百貨店”ビジネス本来が、”生活の豊かさ”という社会の変化に気付きそのビジネス戦略を
変革してからは余計に従来からのアパレルファッションのビジネスは苦境に陥った。
 しかし、巴里においても、アメリカやまた中国においても、現実にはファッションを
確かな一つの国を興すための産業と考えられた國策のもとで、新たなブランド・ファッション
ビジネスが構造化され、表層化されている。
 その結果、"デザイナーファッションビジネス"の高トレンド化と差別化により、
それをより”魅力に商品化”する工業力と広告宣伝のイメージ力を伴って
ここ数年来、彼らたちは”百貨店”ビジネスで確立させた”イメージング&ビジネス”を、
”路面店ビジネス”へシフトをし始め、確実にこのゾーンでのビジネスを伸ばしている。

「デザイナーになりたかった人たちの実世界はどの様な時代になっているか?」/
 では、日本のインデペンデントなデザイナーブランド・ビジネスはどのように進化しているのだろうか或いは、退化してきたのか?
その現実の多くは、持ち得た”エゴ”の現状維持”の世界で満足しているようだ。
 やはり、ファッションは”消費財”である限り、思いつきの形骸的なデザインだけでは
実ビジネスに繋がり難い世界である。そのためには”素材入手と生産体制”という実ビジネスには欠かせない現場事情と関係性が必然である。
 海外で学んだという帰国組デザイナーたちはこの現場世界が全く無知、未熟である。
日本のファッション産業のインフラを熟知し、それらと良い関係性を直接持って
自分たちの世界観でデザインしているブランドはそれなりの世界を創造し、延びているし、
少しは、右肩登りで継続している。
 しかし、自分たちの自我中心の倫理観と狭軌な”夢”の範疇で自己満足してしまっている
若手と称されているデザイナーブランドは"ナマの世界"に無知なゆえに現状維持が精一杯。
そんな彼らたちは当然であるが、与えられた或いは、探し求めた”副業デザイナー”としての
今後が忙しく、大変になって来る。
 このレベルでの彼らたちは自分の世界観を好きなファッションの世界で、
どのように表現すれば誰が買ってくれるのか?
ここが見えないか、見ないで”デザイナー振ってモノ造りをやっている、
視野の狭い人間性が加わった現実でしかない。
 ここでは、その多くが「コムデギャルソン症候群」に陥っている輩たちでしかない。

「日本のファッションメディアとの関係性の実態とは? ”客寄せパンダ?+広告”」/
 ほとんどのファッションメディアはスポンサー・ブランドやその親会社との関係性で
成り立っている、”お付き合い関係”の世界である。
 例えば、売れて来たブランドが何処なのか、どんな理由で売れ始めたのか?
そんなことには無関係に近い。
広告主ブランドとの協労によってあるいは、売れる為の情報を人から聞いて、
それらしく仕込んでメディア化し、売り上げを作り、広告費を確りと取る。
 この構造が現代ファッションの”広告産業ビジネス”の由来であり、「大衆消費社会構造」だ。
そしてこれに、ファッションの世界では、重要なウリである”横文字+トレンド”を利用し、
どのように「なりすまし」てゆくかの"虚飾な虚業"の世界でもある。
”世間”は未だに、この”薄められたトレンド”という言葉に弱いのが一般消費者の弱みである。
 ここに、現代では「読者モデル=隣のトレンド=リアリティ」という
新たなアイコンを生み出し、そのシーズンの”売りたいアイテム”を
「メディア化=ばら撒き」しているのが彼女たちファッション誌編集の生業である。
彼女たちは決して、それぞれの「なりすまし」を読み解こうとはしない。
 そこで訪れた、”パリコレ”情報を耳年増的に蠢ければ、もうプロである。

「帰国組も含めて個人のブランド・デザイナーたちは殆が、"なりすましデザイナー"たち。」/
 多分、日本にも人間的に確りと地に足を着け、自分の好きな世界でリスクとコストを掛けて踠いている若いデザイナーたちもそれなりに居るのだろうが、まだ虚弱極小である。
 表層のメディアとその周辺の喧騒に侵され振り回されて彼らデザイナーたちや、
自らによって勘違いさせられてしまっているデザイナーたちがどうしても目立ってしまう。
 僕的にはそれぞれの自己確認のレベルを一つの”夢”としている輩たちが幼き経験をメディアにゴマを擦り、モテ騒がれてしまって、ちゃんと自分の世界観で時代を表現し、
好きな服にこゝろの有り様を入れ込み、社会にどのようにコミットさせなければならないかを真撃に考えているデザイナーが少ない。
 そして、僕のように彼らたちの学生時代を熟知するものには、
日本にしか戻るところがなき、”帰国組”の殆どが、”育ち、経歴、スキル”を各々が好き勝手に
自己都合で誤魔化し、肥大化させている、多くが、"なりすましデザイナー"たちである。
 これを黙認しかできないのも、日本のファッションメディアの実態である。

「日本のファッションデザイン教育の実レベルは?」/
 この原因の一端は、まず彼らたちの"生まれと育ち”で刷り込まれたコンプレックス”が多い。それらを持ち込んで、次なるは彼らが学んだ”デザイン教育”にある。
 ”デザインとは何か?”という根幹が理解されづ、解らず、教え込まれずに
表層だけの造形を主教育とする日本の専門学校教育の弱点が刷り込まれてしまっている。
 ”モノ作りとデザイン”の関係性の意義と目的とその根幹が世界レベルで認識されず、
ここにも戦後の日本の欠陥教育である”表層の情報と模倣"を教える、
「消費社会向け」の根拠なき世界を構築してしまった諸環境が原因だ。
後は、”ファッション専門学校生”の90%程は、”オタク”にもなれない、
確りと教養を学んで来なかった本人たちの問題でしかない。

「自らのブランドに「一つの文化」を意識せず、”向こう岸”を見てしまった輩たち、」/
 何れにせよ、日本のデザイン教育においては”デザインとは”或いは、”近代デザイン”とは?の”デザイン理論”の基礎根幹を蔑ろにしその教育の殆どを”表層”を模倣して形つくることに
始終して来た、いわゆる、専門学校教育のレベルには今後大いなる変革が必然であろう。
 その目標に都合よく、便利に使われてきたのが、「コムデ.のように !」
或いは、「ヨウジのように!」レベルの「ヨウジ・ギャルソン シンドローム」の弊害も
大いに関係している。
 そして、”デザインとアート”の「差異」の根幹も理解せずに無知ゆえ、
無闇に、アートをもて囃しているファッション業界誌メディアとその媚びた周辺が
この日本のファッションデザイン産業を余計に中途半端な倫理観なき国家に増長させ、
”デザインと産業”によって新たな国力を生むまでには至らず、
そのパワーは低下してしまったのが、この10数年のファッション産業であろう。

 政府が援助する”税金”がしっかりと産業先端にまで還元されず、先ほども言った、
狭軌な小さな個人の”夢”と”倫理観なき自己満足”の変わらずの低レベルの継続化に
「東京コレクション」を術に使われているだけである。
 また、最近の出来事である、東京オリンピック絡みのデザインコンペに於いては、
戦後のツケであろう、”外国モノをコピーすることがデザイン”という刷り込みが
ファッションの世界だけではなく、ここに所在していた事件でしょう。
若いインデペンデントなデザイナーたちの新鮮な、100%ではなく、300%の”夢”と共に、 
「器用すぎて、細かすぎる」日本人の素晴らしさに”根幹”から、今後に期待しよう。

文責/平川武治。
初稿/ 2015年12月21日。
追稿/ 2024年 08月08日。


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