味覚というセンサーが鈍くなっていくとしたら

ミャンマーの食べ物はまずいと聞いていたけど、数年前、実際ミャンマーに旅行にいって料理を食べてみるとおいしくて、うまいうまいと言って食べた。だけど、後にそれは化学調味料の味のせいかもしれないと思った。かつては手に入りにくかった化学調味料が、人々のあいだに浸透した結果、旅行者の口にも合う味になったのかもしれない。

おいしく食べられるのはいいのだけど、ちょっと恐ろしくなったのは、自分の感覚が知らない間に失われていくんじゃないかということだ。化学調味料自体が危険かどうかはわからないけど、自分の「うまい」という感覚が信用できなくなるとしたら、残念な気持ちになる。

『食品の裏側―みんな大好きな食品添加物』という本を読んだら、それと同じようなことを著者が言っていた。

この本の著者はかつて食品添加物の商社のセールスマンをしていた人で、その会社でトップセールスを上げ、「添加物のことなら何でも聞け」といわれるくらいに詳しい人だった。添加物を製造業者に勧めることで、コストが下がり、製造も楽になるので、業者にたいへん感謝されたそうだ。

「こういう食品を開発したいんだけど」という相談も受けるようになって、実際、多くの商品開発にもかかわった。食品工場に出向いてパートの人と一緒に作業をして、そこから信頼関係を深めていったそうで、熱心に仕事に取り組んでいたことが伝わってくる。

そんな著者が、自分が開発したミートボールを娘がおいしいと言って食べているのを知ったとき、これでいいのかと、はたと我に返った。そして翌日、会社を辞めた。って、一晩でそこまで態度や考え方が一変するかな?と思わないでもないけれど、それ以降、著者は食品の裏側を知る人として、添加物の実情を知らせる活動をしている。依頼を受け、全国で講演活動もやっているそうだ。その内容をまとめたのが、この『食品の裏側』である。

添加物についての本と聞くと、危険性を訴えるものが多い印象があるけど、この本の著者の安部さんは、できるだけ冷静に添加物を見ているように感じられる。添加物には安さ、便利さ、手軽さをもたらす恩恵があって、それを忘れてはいけないと繰り返し書いている。実際、自身も忙しいときは添加物が多く入った加工食品に助けられるそうだ。

著者が望んでいるのは、まず「知って欲しい」ということ。どのような添加物がどのように使われ、どのように表示されているか。それを知ることから始まると言っていて、それはその通りだなと思った。だからといって、難しい添加物の名前を覚えたりする必要はなく、おおまかに知っておくだけでよいという。たしかに、この本を読んで、自分も添加物の概要が少し見えた気がする。

また、同じ目的で使われる添加物は、「一括表示」というルールのもと、例えば「香料」や「乳化剤」として、まとめて書いていいことや、原材料から持ち越される添加物は表示しなくていい「キャリーオーバー」というルールも知った。材料として「醤油」を使っている場合、その醤油に入っている添加物は書かなくていいのだ。

添加物自体の毒性については、「複合摂取したときにどうなるかは調べられていない」ことは指摘されていたけど、それ以外はあまり語られていない。それより筆者が問題だと感じているのは、添加物の味に慣れることで、天然のものをおいしいと思う味覚が麻痺してしまうことだ。

先に書いたように、この点に共感した。味覚というセンサーが鈍くなっていくとしたら、それは不本意な気がする。

この本の題名の「裏側」は、食品のパッケージをひっくり返して、裏のラベルを見よう、という意味でもある。消費者と作り手のコミュニケーションをよくすることが、将来に向かってより良い商品を作ることにつながるだろう。この本を読んで、作り手の事情も少しわかった。まずは知ることが、建設的に考えるベースになると思ったのだった。

食品の裏側

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