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日本のロングトレイル、東海自然歩道誕生秘話【昭和44年HIKERより】

こんにちは、踏青工作室です!
実は、2024年度は日本のロングトレイルの元祖である東海自然歩道のメモリアルイヤーです。私たちも2024年の秋ごろから、東海自然歩道を「意識して」歩いています。


東海自然歩道はいま

東京と大阪を結ぶこの自然歩道の全長は1700kmを越え、スルーハイク(一度に踏破すること)はちょっと難しい。現在私たちは、一日15km~25kmに区切りながら西に向かっています。神奈川県が終わり、山梨県を抜け、ようやく静岡県に入ったところです。

ここまで約90kmを歩いてきたわけですが、びっくりするほど「東海自然歩道」を歩いている人がいない(泣)!いや~、歩いていても誰にも追い抜かれないし、誰もやってこないんですよ。

特にこの区間は、日本人が愛してやまず、その精神的な支柱ですらある「富士山」を堪能できる区間であるはずなのに。コンテンツとしては強力なものを持っているんですよ。なのにこれほど人気がないとは思わなかった…。(個人的には静かなトレイルで嬉しい)

50年前、望まれて生まれた道

現在はすっかり忘れさられている東海自然歩道ですが、生まれた50年前はどうだったのでしょうか。この時代に発行されていた雑誌「HIKER」を読んでみました。

1946年発行「HIKER」11月号では、大々的に東海自然歩道の特集が組まれ、全コースの実地踏査の結果が発表されています。また、この号の巻頭にはなんと厚生大臣の寄稿があり、その中で大臣は以下のように述べています。

新幹線が東京ー大阪間を三時間で結び、風俗の違いも薄れて一つの都市に平均化されたこの現代、何ものにもわずらわされずに、日本の美しい自然や、由緒ある史跡を自分の足で訪ね歩くことこそ、最も国民に必要な野外レクリエーションである(中略)

私は青少年諸君がこの自然歩道を大いに利用することによって、自らの体力もさらに鍛錬し、美しい風物に触れ、情操を高めることを強く期待したいのである。明日の日本はそのような健康にして豊かな精神を持った若者の活躍によってこそ築かれるのであると信じている(中略)

この歩道は官製の道であってはならないことで、国民全体がこの道に愛情を感じ、私らとともに大切に守り育ててゆくようになってもらいたい

斎藤昇(厚生大臣)

※当時環境省はなく、国立公園などの管轄は厚生省でした。

いや~アツい!アツいですね。大臣自ら、自然の中に身を置くことの文化的豊かさ、人間にとっての必要性を説いているとは…。

この他、構想者の厚生官僚大井道夫氏の寄稿があり、山岳関係者・写真家、国民まで様々な人から歓迎を受けた様子が伺えます。

東海自然歩道はその誕生が喜ばれ、望まれて生まれた道だったのです。

歩くことは、身体と心を繋ぐ行為

実際に歩いてみると、東海自然歩道には、遠回りをするかのようなルートがあります。こことここを繋げばもっと早く行けるのにというのは野暮な話で、自然の中にできるだけ長く身を置いて身体を動かしてほしい、できるだけ多くのものを自然の中から得てほしいということを意図したものなのかなと感じます。

歩くことというのは、単純に移動の手段であるというだけではなく(移動の手段であればその速さは車には適わない)、そこには人間が人間らしさを取り戻す機能が備わっている気がします。というのも、歩くということは自分が道具を使わずにコントロールできることであるからです。何かを見つけ意識すること、それを自分で解釈すること、そして気持ちを動かすことには、歩き、そして立ち止まれることが大きく関係しているのではないでしょうか。「自分が行うこと」と「その対象との近さ」の二点を実現するのが歩くことなのだと思います。

東海自然歩道は、今を生きる私たちのための道

東海自然歩道は、私たちのために用意された道です。そんな道を歩かないなんてもったいない!私はそう思ってしまいました。

皆さまにも興味を持っていただけたらとても嬉しいです。

お気に入り!東海自然歩道 山梨県:本栖湖越しの富士山!

以上、ここまでお読みくださり大変ありがとうございました!


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