タクシー・ドライバー〜大都会の孤独の中で愛を失った男がある日実行した壮絶なこと
『タクシー・ドライバー』(TAXI DRIVER/1976年)
都会で生きていると、孤独になることがある。それは避けられない試練として存在する。
例えば、東京の都心。
他の場所からやって来る人々で、この都市は形成されている。彼らの目に映っているのは東京ではなく、流行都市としてのTOKYOに他ならない。
東京で生まれ育って、すぐそこに帰る場所があるような人には、この感覚を理解するのは難しいかもしれない。
要するに、並行する同時世界。TOKYOはパラレルワールドなのだ。そこで感じる孤独はとても虚ろで、いつも群衆の中にひっそりと潜んでいる。
映画『タクシー・ドライバー』(TAXI DRIVER/1976年)は、ビルや人々や喧騒に囲まれながら生きざるを得なかった、独りの若い男の心の葛藤を描く作品だった。
ニューヨークという大都会の片隅に生きる、一人の孤独なタクシー運転手が主役の物語。脚本を書いたポール・シュレイダーは、「都会の孤独をテーマに描きたかった」と言っている。
監督はマーティン・スコセッシ。主演はロバート・デ・ニーロ。二人も脚本を読んで、自分たちも同じ孤独を知る人間として共感した。
メソッド演技で知られるデ・ニーロは役柄になりきるために、まずはタクシー免許を取得して、実際にニューヨークの街を流した。彼は当時、イタリアで『1900年』を撮影中だったが、内面からの役作りのためにわざわざ行き来していたのだ。
そして、わずか12歳のジョディ・フォスターも、売春婦という衝撃の役で出演。実際の境遇にいる女の子との交流を通じてリアルに演じ、アカデミー助演女優賞にノミネートされて一躍有名になった。映画は、カンヌ国際映画祭の最高賞パルム・ドールを獲得した。
トラビス(ロバート・デ・ニーロ)は、26歳でベトナム戦争の帰還兵。大都会ニューヨークのマンハッタンで、タクシー運転手の職に就き始めた。
不眠症に悩まされるトラビスが勤務明けにやることといえば、映画館でポルノを観たり、部屋で日記を書くことくらいだった。夜の街を流していると、麻薬や売春がはびこる汚れた退廃ぶりに頭が痛くなった。
トラビスはある日、一人の女性を見つける。次期大統領候補のパランタイン議員の選挙事務所で働くベツィ(シビル・シェパード)だった。
彼女が好きなクリス・クリストファーソンのレコードをプレゼントして、デートに出向くトラビス。しかし、ポルノ映画館に誘ってベツィは激怒。
以来、電話も無視され、花束の贈り物も突き返される。トラビスはベツィに悪態をつき、再び孤独になった。
こんなどうしようもない日々を、「ここから抜け出して何かをやりたい」という言葉に変えて先輩のタクシー運転手に相談するが、「俺たちは負け犬さ。なるようにしかならねえ」という、どうしようもない答えが返ってくるだけ。
そして、トラビスの頭の中に“ある計画”が生まれる。
裏ルートで銃を買い、鈍った身体を鍛え上げ、射撃の訓練に取り組み始める。鏡に向かって「俺に用か?(You talkin' to me?)」と言う、映画史上最も有名なシーンの一つはこのあたりだ。
余談だが、この台詞はデ・ニーロのアドリブだった。
パランタイン狙撃を企てるトラビスは、売春婦のアイリス(ジョディ・フォスター)と出逢う。
彼女がまだ12歳だと知ったトラビスは、「君はまだ子供だ。ちゃんとした服を着て家に戻れ。君を逃がしてやる」と説得する。
ヒモでポン引きのスポーツ(ハーヴェイ・カイテル)に怒りを覚えて、「ああいう最低の人間は始末しなければ」と零す。そして、頭をモヒカンに刈ったトラビスは、遂に行動に出る……。
音楽的観点では、映画の全編にわたって、バーナード・ハーマンによる都会的なスコアが響く中、ひときわ印象的な旋律がある。
馴染みのスーパーマーケットで遭遇した強盗を撃ったトラビスが、次のカットで部屋でTVを眺めるシーンに切り替わるところから流れ出す「Late for the Sky」だ。
なぜかカリフォルニアのシンガー・ソングライター、ジャクソン・ブラウンの歌。だが、その愛の喪失を綴った歌詞は、トラビスの孤独な心とシンクロしていた。
映画のエンディング。トラビスが夜の街へ再び戻って行くその眼差しに、繰り返される孤独と、一筋の狂気が潜んでいたのが忘れられない。
文/中野充浩
参考/『タクシー・ドライバー』DVD特典映像
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