マトリックス〜ネット時代の到来を象徴した“起きてもまだ夢を見ているような感覚”
『マトリックス』(THE MATRIX/1999年)
1999年と言えば、日本の都市部では「世紀末」や「ミレニアム」といった言葉が頻繁に飛び交っていた頃。
20世紀の終わりに漂っていた倦怠感のようなものと、来たるべきまだ見ぬ21世紀への期待感のようなものが混ざり合って、何か異様とも思える空気が、巨大なビル群や人々で埋め尽くされた街々を覆っていたような気がする。
iモードの登場によって、バッグやポケットに入れて持ち歩いていた携帯電話に、インターネットの世界が組み込まれた。画面がモノクロからカラーに変わり、コンテンツという名のもとに、無機質な情報が配信されるようになった。
また、「ビットバレー」が宣言されて、アイデアを持った起業家たちが、ネットベンチャーで自己表現していく風潮も推進化された。市場ではネットバブルが起こり、若くして大金を手にすることはもはや夢ではなくなった。
音楽の世界ではミリオンヒットを量産していた小室サウンドが遂に終焉を迎え、宇多田ヒカルや浜崎あゆみらが次世代のポップスターに入れ替わった。スポーツでは松坂大輔がプロデビュー。渋谷のギャルにもガングロとかヤマンバといった第2世代が登場。
コンビニにATMが設置されるようになり、たまごっちやAIBOといった電子ペットも売れまくった。海外ではユーロが導入されたり、ナップスターが音楽をネットで提供し始めた。
東京ではなく、流行都市としてのTOKYOというパラレルワールドにおいて、次々と現れる情報や商品やサービスは、異様な空気を吸い込んで暮らす孤独な人同士がつながるための、ツール(道具)のような役目を果たしていた。
──そんな頃に映画『マトリックス』(THE MATRIX/1999年)は公開された。
この作品が解き放つムードは、都市部の若い世代にとっては大きな意味を持っていたと思う。これからは本格的なネット時代の到来であることを知っていたひと掴みの世代には、『マトリックス』は新しい精神の代弁者であり、目覚めであり、指標になった。
見逃すような愚かなことはしなかった。同時期に大ヒットした『アルマゲドン』よりも、絶対的なリアリティを感じたのだ。そしてオフィス街には、サングラスを掛けて黒いスーツやコートを着る連中が増殖した。
トーマス・アンダーソン(キアヌ・リーブス)は、大手IT企業に勤めるプログラマー。彼には凄腕ハッカー「ネオ」と呼ばれる裏の顔がある。
“起きてもまだ夢を見ているような感覚”に取り憑かれていたネオは、ある夜、トリニティーという謎の美女に導かれて、モーフィアスという男のもとに連れて行かれる。
そして、「お前が生きているこの世界はコンピュータによって作られたVR(仮想現実)だ」と告げられたネオは、「本当の世界で目覚める」ことを選択。しかし、そこはコンピュータ(人工知能)が人間を管理する暗黒の世界だった。
モーフィアスは、ネオこそがAI支配を打破する救世主だと信じている。カンフーのプログラム鍛錬を経たネオは、解放という使命とともに、サイパースペース(電脳空間)であるマトリックスの世界へ再び入り込んで行く……。
脚本/監督のウォシャウスキー兄弟も認めているように、この作品はウィリアム・ギブソンのサイバーパンク小説『ニューロマンサー』(NEUROMANCER/1984年)の世界観を引用している。
ケイスという凄腕のコンピュータ・カウボーイが、マトリックスと呼ばれるサイバースペース(電脳空間)にジャックインして、得体の知れないテクノロジーと闘う物語だ。武装美女モリイはトリニティー、ボスのアーミテージはモーフィアスそのものだった。
『マトリックス』は、さらに聖書やギリシャ神話、不思議の国のアリスやユング心理学、日本のアニメや香港カンフーもミックス。銃弾の雨を仰け反ったり、壁を蹴って飛んだりといった415カットに及ぶ革新的なVFX(視覚効果)も話題になった。
2003年には続編『リローデッド』と完結編『レボリューションズ』が相次いで公開。その後、2021年に『レザレクションズ』が公開。
映画のラストで、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンの「Wake Up」が流れていたが、鳴り響くヘヴィ・ロックの革命の旋律が、サイバースペース(電脳空間)で闘う登場人物たち以上に、観る者=インターネット時代を確信していた若い世代の心象を捉えていた。
文/中野充浩
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