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アニー・ホール〜アカデミー賞授賞式の夜、NYでクラリネットを吹いていたウディ・アレン
『アニー・ホール』(Annie Hall/1977年)
『アニー・ホール』から僕は監督として成熟し始めたんだ。
「ウディ・アレン」の名を知らない映画ファンはいないだろう。60年にも及ぶキャリアと70本以上の作品で、「監督」「脚本」「俳優」として関わってきた映画作家。
自ら生まれ育ったニューヨークを心から愛する人。彼の作る映画は決して驚異の興行収入を叩き出すわけではないが、それでもアカデミー賞のノミネート回数は最多を誇るし(監督賞1回、脚本賞3回受賞)、ウディ・アレン映画への出演でスターになった俳優たちはたくさんいる。そして何よりも、彼はハリウッド産業に背を向け続け、賞レースに興味がない。
ウディ・アレンは1935年12月、ニューヨークのブルックリンにユダヤ系の両親の長男として生まれた。幼い頃から映画やコメディ、マジックやジャズに親しむようになり、クラリネットなどの楽器も演奏するようになった。
ギャグ・ライターの仕事を得ると、ニューヨーク大学の映画学科を中退。1960年頃にはスタンダップ・コメディアンとして、自らナイトクラブの舞台に立つようになる。TVの仕事も増えて顔が売れ始めた。
1964年に脚本と出演を兼ねた『何かいいことないか小猫チャン』で映画デビュー。しかし、映画製作はいろんな連中によって作家性をメチャクチャにされるという経験から、1969年には『泥棒野郎』で監督デビューを果たす。
ハチャメチャなコメディ映画を何本か撮る傍ら、ブロードウェイの戯曲や雑誌に短編小説を発表して作家性も高めていった。そして、女優ダイアン・キートンとの実生活と別離からヒントを得て作ったのが、『アニー・ホール』(Annie Hall/1977年)だった。
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ウディ・アレンのターニング・ポイントとなったこの作品は、それまでの定番路線から脱却し、コメディも含んだ独自のラブストーリーへと昇華。「映画作家ウディ・アレン」誕生のきっかけとなった。
別れていたダイアン・キートンとは4回目の共演で、彼女が映画で着こなすラルフ・ローレンなどのファッション/スタイリングは「アニー・ホール・ルック」として話題にもなり、映画はアカデミー賞の作品賞・監督賞・脚本賞・主演女優賞を獲得。
特筆すべきは、ウディ・アレンが『アニー・ホール』で、ニューヨークの街を物語の一部として描いたことにある。
ニューヨークの風景や喧騒、クラブやレストランや映画館といった場所までもが、映画の重要な要素として機能する。その後のウディ映画に流れる美学=独特のニューヨーク観が、余韻を残すラストシーンまでループするのが心地いい。
また、撮影を「僕の大事な先生」であるゴードン・ウィルスと組んだことも「監督として成長できた」要因だとインタビューに答えている。
物語は、漫談家のアルヴィ・シンガー(ウディ・アレン)と歌手の卵アニー・ホール(ダイアン・キートン)の出逢い、同棲、別れを描きつつ、アルヴィの幼少時代や過去の結婚生活などがフラッシュ・バックしていく。
セックスや死に対して敏感なアルヴィは、精神分析医に15年も掛かっているという生粋のニューヨーカー。クライマックスのシーンでは、大嫌いなロサンゼルスまで飛んで行ってアニーの心を取り戻そうとするが、彼女をニューヨークに連れ帰ることはできない。
男女の恋愛関係が始まり、やがてそれが消えてしまうのをたくさん目にしてきた。最初は互いに誠意があり、相手への忠実や強い愛情、忠誠を誓うけど、気づくとそのすべてが無くなってしまっている。長続きすることは稀なんだ。
ハリウッド映画が描いてきたのは「そして彼らはずっと幸せに暮らしました」っていうハッピーエンドだ。現実はそうじゃない。別れずにいる人たちもいるけど、そうした人でも苦々しい思いをしたり、怒りを感じたり、妥協したために思い悩んだり、浮気したりしている。こうしたことにドラマ作家として興味をひかれるようになったんだ。
音楽ファンには、ミュージシャンのポール・サイモン(サイモン&ガーファンクル)がロサンゼルスの大物音楽プロデューサーとして配役されていることに注目。ダイアン・キートンも、クラブのシーンでスタンダード・ナンバー「It Had to Be You」と「It Seems Like Old Times」で素晴らしい歌声を披露している。
なお、ロサンゼルスで行われたアカデミー賞授賞式の夜。もちろんすっぽかしたウディ・アレンが、ニューヨークのいつものクラブでクラリネットを吹いて、仲間たちと一緒にジャズを演奏していたのは有名な話だ。
文/中野充浩
参考/『ウディ・アレン』(樋口泰人/都筑はじめ監修/カルチュア・パブリッシャーズ)、『70年代アメリカ映画100』(渡部幻主編/芸術新聞社)
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