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ザ・ビーチ〜楽園を探し求めるネット世代のバックパッカーの夢と現実

『ザ・ビーチ』(The Beach/2000年)

1999年、書店の海外文芸コーナーで、『ザ・ビーチ』という新刊小説を手に取った時のことを今でも覚えている。

何の情報もないまま、ただ暇つぶしのつもりで出向いた本屋の片隅で、何かに引き寄せられるように出逢った1冊。

イギリス人のアレックス・ガーランドが20代半ばで発表したデビュー作で、1996年に刊行されるとたちまちベストセラー。日本でも遂に翻訳されたらしい。書き手が同世代ということ、それとタイトルに魅かれて、何の迷いもくレジに持って行った。

それからの5日間は、この小説とじっくりと向き合うことが待ち遠しくてたまらなかった。

仕事が終わると、そのまま家に帰って食事をし、一息つくと読み始める。通勤地下鉄の中で、広げるような物語ではない(それに鞄の中に入れるのには分厚すぎる)。

可愛い女の子たちとの飲み会を断ってまで、「早く読みたい」と思わせる小説なんてあるだろうか?  左手で掴めるページが残り少なくなっていくのが寂しかった。そして忘れられない、あの最後の一行がやって来る……。

今やぼくはたくさんの傷を負っている。
なんかいいな、その響き。
ぼくはたくさんの傷を負っている。

アレックス・ガーランド『ザ・ビーチ』(村井智之 訳/アーティストハウス)より

こんな読書体験は初めてだった。10代の頃に読んだ『ライ麦畑でつかまえて』や『路上』以来の衝撃。

これは、放浪するバックパッカーだけのものじゃない。ゼロ年代に突入した“個の時代”のためのオン・ザ・ロードだ。1990年代に青春期を過ごした世代にとって、必要不可欠なポップカルチャーすべてが詰まっている。そんな物凄い気分にもなった。

小説『ザ・ビーチ』(The Beach)が、『トレインスポッティング』のダニー・ボイル監督によって映画化公開されたのが翌2000年。

その出来栄えは当初、賛否両論だったが、小説を読んでいない人たちにとっては楽園を探す冒険物語として十分に楽しめる作品だし、どうして低い評価を下す人たちがいるのか理解できなかったに違いない。

要するに小説以上のものを望みすぎたのだ。原作をほぼ忠実に再現しているが、2時間のフィルムにあの読書体験のすべてを収まりきれなかっただけの話で、決して駄作というわけではない。

日本公開時の映画チラシ

なお、主演したレオナルド・ディカプリオは、1997年の『タイタニック』で大スターの仲間入り。しかし、それ以前は『太陽と月に背いて』でフランスの伝説的詩人アルチュール・ランボーを演じたり、NYのビート作家ジム・キャロルの『バスケットボール・ダイアリーズ』に出たりと、実は反骨精神旺盛な俳優でもある(その後の出演作をみても一目瞭然)。

その彼が、本作のリチャードに興味を持つのは当然のことだろう。

リチャードはこれまでデジタルな情報にどっぷり浸っていたから、真の感情を感じなくてはならない状況に遭遇したこともなかった。そこで彼は、人生における本物の何かを探す為にタイへ旅立つんだ。(レオナルド・ディカプリオ)

『ザ・ビーチ』パンフレットより

(以下、ストーリー含む)
テレビゲームと『地獄の黙示録』が好きなアメリカ人のリチャード(レオナルド・ディカプリオ)は、東南アジアを旅するバックパッカーの若者。

その夜、タイのバンコクのカオサン通りのゲストハウスで、精神が錯乱して薬漬けのダフィという男から、「秘密のビーチ」のことを聞かされる。そこはパーフェクトな美しさでこの上ない楽園なのだと。

翌朝、リチャードの部屋に「秘密のビーチ」の地図が届けられる。ダフィは自殺していた。

トラベラーなのに、いつの間にかツーリストと変わらない日々を送っていたリチャードは、隣室のフランス人カップルのエチエンヌとフランソワーズを誘って、地図を頼りに楽園探しの冒険を始める。

だが、リチャードは、自分のしている半信半疑なことを安心させたいために、道中で知り合った一組のバックパッカーに、地図のコピーを渡してしまう。

ようやく「秘密のビーチ」がある島に上陸するリチャードたち。一面に大麻畑が広がるエリアに遭遇して歓喜したのも束の間、すぐに武装した現地の農民の姿に気づく。

命の危険を感じた3人は、引き返すことなく、そのまま滝の上から決死の思いでダイブする。そこは楽園のコミュニティへの扉だった。

コミュニティの一員となって、「秘密のビーチ」を満喫するリチャード。6年前に最初に辿り着いたリーダー的存在の女性サルをはじめ、様々な国からやって来たバックパッカーたちが共同生活を送っている。

リチャードは次第に、コミュニティの中に対立や嫉妬があること、「これ以上人数を増やすな」という、現地人から通達された厳しいルールがあることを知る。

ある日、仲間の一人がサメに襲われる。“夢”であるはずの時間が、初めての死を通じて一気に“現実”になっていく。

独裁的なサルは“夢”を維持するために、“現実”を排除しようとする。フランソワーズとの儚い恋も失って居場所をなくすリチャードは、ジャングルの暗闇の中でダフィーを思い出しながら、『地獄の黙示録』のような世界観とゲーム感覚に取り憑かれていく。

その頃、地図のコピーを持ったバックパッカーたちが、島に上陸しようとしていた。楽園の運命は?

サウンドトラックにはモービー、ニュー・オーダー、アンダーワールドらを収録。映画では仲間の死のシーンで、ボブ・マーリィの「Redemption Song」が弾き語りされるのが印象的だった。

映画の前半は、僕たちの多くが憧れている、楽園への楽しくて官能的な旅になっている。一方、後半では楽園の概念を取り巻く複雑な道徳観や矛盾点が浮き彫りになる。この映画が観る人にとって楽しい作品であると同時に、深く考えさせられる体験になることを願ってるよ。(ダニー・ボイル)

『ザ・ビーチ』パンフレットより

なお、「秘密のビーチ」の舞台となったタイのピピ・レイ島のマヤ湾は、映画が公開されて一気に観光化した。

文/中野充浩

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