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あの頃ペニー・レインと〜15歳で音楽ジャーナリズムの世界に飛び込んだ少年
『あの頃ペニー・レインと』(ALMOST FAMOUS/2000年)
TAP the POPでは、過去に『ザ・エージェント』や『エリザベスタウン』を取り上げたことがあるが、これらの作品に共通するのは、観終わった人の「虚しく傷ついていた心を優しくして」くれたり、「生きる歓びを思い出させて」くれたり、「逆境は必ず乗り越えられる」こと、「愛する人と真っ直ぐに向き合う」こと、そんな強い気持ちにさせてくれる体験だった。
これこそが、本当の映画の力なんだと思う。同じような想いを抱いた人がたくさんいると信じているし、書き手もこういう映画で暗闇から救われた一人だ。キャメロン・クロウ監督/脚本『あの頃ペニー・レインと』(ALMOST FAMOUS/2000年)は、まぎれもなくそんな作品だった。
キャメロン・クロウ監督の自伝的作品
『ザ・エージェント』も『エリザベスタウン』も、クロウが最初からストーリーを書き上げて撮ったオリジナル作品。本作ではさらに自伝的要素も取り入れているので、観る前からワクワクしたものだ。
そして観終わった後は、どんよりとした雲空が続いていた日々から一転して、太陽が差し込む快晴の空を見上げているような、暖かく満たされた世界が目の前に広がっていた。映画と音楽の力だけによって。
人生には価値観が変わって、何か新しいことを学び、世界がちょっとばかり傾いて見えるような時がある。僕は人生のそういう一時期が大好きなんだ。
音楽はいつも僕を、まだ会ったこともないメンバーだらけのクラブの会員になったような気分にさせてくれた。自分の部屋に閉じこもって好きな音楽のレコードを聴いて、気持ちを分かってもらったような感覚を味わうのが好きだった。映画の中でも、そういうのはとても純粋なものとして描いている。大好きな音楽に対するラブレターを書きたかった。
この映画の中には、人間臭くて魅力的な人物が数多く登場する。15歳でロックジャーナリズムの世界に飛び込んだ少年(クロウの分身)。商業主義の誘惑と葛藤するメンバーやマネージャーたち。そんなバンドを愛して支えようとする女の子たち。少年の母親と姉。孤高のロックジャーナリスト。
そこには少年の恋や成長がある一方で、女の子たちの哀しみ、バンドの苦悩もある。そして少年の家族の視点、ジャーナリズムのあり方。1本の映画に様々な物語が隠されている。すべて実在した人々だ。
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孤高のロック・ジャーナリストとの出逢い
1973年、まだ小さなウィリアム・ミラーは、大学教授である厳格な母親(フランシス・マクドーマンド)から、将来は弁護士になるように知識を育てられながら暮らしている。
一方、何かと母親と衝突していた姉(ズーイー・デシャネル)は、スチュワーデスになると言って家を出ることを決意。別れ際、姉から「いつかあなたも目覚めるわ。ベッドの下で自由を見つけて」と言われる。
そこにはローリング・ストーンズ、ザ・フー、ビーチ・ボーイズ、ボブ・ディラン、ジミ・ヘンドリックス、クリーム、レッド・ツェッペリン、ジョニ・ミッチェルなどロックのアルバムが何枚もあり、ウィリアムはやがてその世界に深くのめり込んで行く。
15歳になったウィリアム(パトリック・フュジット)は、伝説的なロックライターで雑誌『クリーム』の編集長、レスター・バングス(フィリップ・シーモア・ホフマン)に会いに行く。
「今ロックンロールは危機に瀕している。評論家で成功したけりゃ正直になれ。手厳しく書くんだ」とアドバイスされて、初めての仕事を依頼される。
コンサート会場に取材へ繰り出すも、どうしていいのかも分からないウィリアム。そんな時、ペニー・レインと名乗る少女(ケイト・ハドソン)に声を掛けられる。
ロックスターと寝るだけのグルーピーなんかじゃなく、バンドを助けるバンドエイドなんだという彼女の微笑みに、思わず恋をしてしまうウィリアムだった。
そんなある日、雑誌『ローリング・ストーン』の依頼があり、気鋭のバンド、スティルウォーターのツアー同行取材をするチャンスに恵まれる。
母親を必死に説得して旅に出たウィリアムは、スティルウォーターのギタリストのラッセル(ビリー・クラダップ)と仲良くなるが、ペニーとラッセルが互いに夢中で抱き合う現場を目撃する。
やがて荒れ放題のツアーとなり、バンドの人間関係も悪化する中、母親からの定期的な心配と、まだ一行も書けていない原稿へのプレッシャーもあって、ウィリアムの若すぎる心は疲労困憊していく。
レスターに相談の電話をかけると、「偉大な芸術は罪悪感や憧れから生まれ、セックスや愛が絡み合っている。立ち向かえ。今こそスタートの時だ」と励まされる。そんな時、ペニー・レインが宿泊先のホテルで睡眠薬を大量に飲み込んだ……。
1973年の興奮が伝わるサウンドトラック
キャメロン・クロウがわずか15歳という年齢で、ロックとジャーナリズムを初めてつなげた『ローリング・ストーン』の書き手としてデビューしたことは有名な話だ。
1967年にサンフランシスコで創刊されたこの雑誌の初期には、彼が尊敬するレスター・バングスも参加していた。
レスターは1969〜73年頃、毎号のようにレコードやコンサートについて批評を書いた。その取材執筆に対する姿勢は、アーティスト側に一切媚びることはなかったので、時には無礼極まりない印象を現場で与えることも少なくはなく、それが原因で雑誌から切られる羽目になった。映画では、新しい雑誌で再出発を図ったばかりのレスターが描かれている。
また、スティルウォーターは、オールマン・ブラザーズ・バンドやフリーをモデルにしたと言われ、バンドの指導はクロウの友人でもあるピーター・フランプトンが担当。役者たちの動きだけに終わらせず、演奏や歌についても実践的な指導をした。
素晴らしい音楽が絶えず聴こえて来るこの作品から、好きなシーンを厳選すると、姉が家を出る時に流れるサイモン&ガーファンクルの「America」、姉のレコードライブラリーからザ・フーの『Tommy』を取り出して、ロウソクの灯をつけるシーンは特に印象に残る。
そしてエルトン・ジョンの2曲がいい。バンドと仲間割れしたラッセルが、地元の少年たちのパーティで空騒ぎして、明け方にマネージャーに抱えられながらツアーバスに戻される。気まずい雰囲気の中でラジオから流れてくる「Tiny Dancer」を、全員で合唱するシーンには胸が熱くなった。
もう一曲「Mona Lisas and Mad Hatters」は、ニューヨークの喧騒の中、ペニー・レインを必死に探そうとするウィリアムのための歌だった。
ちなみに、確執のあったクロウの本当の母親と姉は、この映画の撮影後に女優たちが演じた通りに和解した。これも優れた映画の持つ力なのかもしれない。
文/中野充浩
参考/『あの頃ペニー・レインと』パンフレット
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