ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ〜あのマドンナを魅了した伝説のミュージカル
『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』(Hedwig and the Angry Inch/2001年)
ジョン・キャメロン・ミッチェルは、自らのアイデアを知り合ったばかりのソングライター、スティーヴン・トラスクに話すと、二人はすぐに意気投合。
スティーヴンが音楽監督を務める、NYのクラブ「スクイーズボックス」のパンクイベントでそのアイデアを“初演”する。1994年のことだ。
それから数年の歳月を掛けてパフォーマンスを試行錯誤しながら、ジョンがストーリーと演技を、スティーヴンが作詞作曲に磨きをかけていく。こうして少しずつ、“ヘドウィグ”の完成に近づけていった。
その女性は、ドイツ軍人の夫と離婚してトレーラーハウスに住んでいた。ジョンは彼女と親しくなるうちに、洗練された見た目の裏に、とても疲れた生活があることを知った。
ジョンはそんな彼女を喜ばせようと、歌やダンスを披露するようになるが、いつも見知らぬ男が突然やって来て退散せざるを得なかった。彼女は娼婦だったのだ。
こうして出来上がったジョン・キャメロン・ミッチェルとスティーヴン・トラスクによる『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』(Hedwig and the Angry Inch)は、1997年にオフ・ブロードウェイの劇場「ウェストベス・シアター」に進出。
翌年には続演のために専門劇場「ジェーン・ストリート・シアター」が作られ、2年半以上のロングラン・ヒットを記録する。
ヘドウィグの髪型のかぶり物をしたヘドヘッド(Hedhead)と呼ばれる追っかけファンも登場。また、ルー・リードやデヴィッド・ボウイらが観劇し、マドンナが楽曲の権利使用を熱望したりと、アンダーグラウンド出身のセレブたちから絶大な支持を得ていく。
ジョンはすっかり有名人となり、全米ネットのトーク番組に出演。ローリング・ストーン誌などでも特集記事が組まれるほど、ヒップな存在に躍り出た。
そして2001年。『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』がジョン・キャメロン・ミッチェル監督・主演で遂に映画化。
ジョンが作り上げた「ポスト・パンク・ネオ・グラムロック・ミュージカル」は、同年のサンダンス映画祭で大絶賛。愛を追い求める無名のロックシンガー“ヘドウィグ”の数奇な半生は、世界中の観客を魅了した。
全米各地のクラブを巡業する、ヘドウィグ率いる無名バンド「アングリーインチ」。ヘドウィグ(ジョン・キャメロン・ミッチェル)は、今夜も自らの人生を語り始める。
ベルリンの壁が築かれた1961年、東ドイツで男の子ハンセルは誕生。アメリカ軍のラジオ放送から流れるロックを子守唄に育った。
やがて米兵と“結婚”して、自由の国に移住するチャンスを得たハンセルは、ヘドウィグと名を変え、嫌々ながら“性転換手術”を行う。しかし、不手際で股間には“怒りの1インチ”だけが残されてしまう。米兵はヘドウィグの元を去って行った。
1989年の終わり。TVで母国のベルリンの壁が崩壊するのを見つめたヘドウィグは、夢を叶えるためにロックバンドを結成。アルバイトで何とか生計を立てていく。
そんなある日、同じようにロックスターを夢見る17歳の少年トミーと出逢う。ヘドウィグがすべての愛情を注いだ後、トミーはヘドウィグのオリジナル曲すべてを盗んで、人気ロックスターとなった。
以来、ヘドウィグはトミーの全米ツアーを追いながら、コンサート会場周辺の場末クラブを巡っているのだ。そしてヘドウィグの何かを探し求める旅に、大きな変化が起ころうとしていた……。
“やられっぱなし”のヘドウィグの人生を、苦悩と愛に満ちた人生ドラマとして観るか、それとも妖艶な音楽エンターテインメントとして楽しむか、それは観る側の自由。
このマガジンで取り上げたことのある 『ロッキー・ホラー・ショー』『ベルベット・ゴールドマイン』『ロック・オブ・エイジズ』あたりが好きな人にはオススメ。パンクにメタルにバラードにカントリーと音楽性も多彩。みんなで歌えるロック・ミュージカル作品でもある。
文/中野充浩
参考/『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』パンフレット
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