モーターサイクル・ダイアリーズ~南米大陸縦断の旅で「革命家チェ・ゲバラ」は生まれた
『モーターサイクル・ダイアリーズ』(The Motorcycle Diaries/2004年)
黒のベレー帽を被った、チェ・ゲバラの顔がプリントされたTシャツや煙草やポスターを見たことがある人は多いと思う。
また、ベニチオ・デル・トロ主演の映画『チェ 28歳の革命』『チェ 39歳別れの手紙』では、1959年にバティスタ独裁政権をフィデル・カストロとともに倒してキューバ革命を成就させる姿、再び革命の地として選んだボリビアでの1967年の壮絶な死について描かれていたことも記憶に新しい。
革命家としてのゲバラを知るには、たくさんの書物や映像が残れているので、そちらに触れてみるのが一番だろう。「真の革命家は偉大なる愛によって導かれる」と発言したチェ・ゲバラは、南米では伝説的/象徴的存在として、死後50年以上経った今でも多くの人々の心の中に生きている。
チェ・ゲバラ(本名エルネスト・ラファエル・ゲバラ・デ・ラ・セルナ)は、1928年6月14日に、アルゼンチンの経済的に恵まれた環境で生まれた。喘息を患った身体だったが、サッカーやラグビーなどのスポーツで鍛錬。その後、ブエノスアイレス大学の医学部に進学する。
在学中の1952年に友人のアルベルト・グラナードと、オンボロのオートバイ“ポデローサ(怪力)号”を使って、初めての南米放浪を体験。
このブエノスアイレスから始まって、ベネズエラのカラカスで終わる、若きゲバラの南米大陸1万2千キロ縦断の旅を映画化したのが、『モーターサイクル・ダイアリーズ』(The Motorcycle Diaries/2004年)だ。
そう語るのは、製作総指揮のロバート・レッドフォード。ゲバラ青年が、世界に目覚めるきっかけとなった体験に着眼。監督はウォルター・サレスが担当。原作はゲバラの『モーターサイクル南米旅行日記』と、グラナードの『トラベリング・ウィズ・ゲバラ』。
マチュ・ピチュなどの遺跡観光地でさえ、ゲバラの映画ということだけで、土地の人々は喜んで協力してくれたという。
こうして公開された映画は、青春ロードムービーの傑作にもなった。エンドクレジットで流れる、ホルヘ・ドレクスレルの「河を渡って木立の中へ(Al Otro Lado del Río)」やペレス・プラードのマンボなど、ラテン音楽の静と動の魅力も忘れられない。
医学生で23歳のエルネスト(ガエル・ガルシア・ベルナル)は、7歳年上のアルベルトと南米縦断の気まぐれな旅を計画して、1台のオートバイと僅かな所持金だけでブエノスアイレスの街から出発。
アンデス山脈を超える大自然や遺跡との触れ合い、上流階級の娘との恋と別れ、喘息の再発などを経ながら、次第に権力者たちに搾取されるチリの鉱山労働者やペルーのハンセン病者たちを目の当たりにする。
療養所で住み込みで働きながら知っていく命の儚さ、人生の深さ、人々の心の温かさ。そしてベネズエラで旅が終わる頃、“アルゼンチン人”から“中南米人”としての存在を抱いた「チェ・ゲバラ」が生まれようとしていた。
アルベルト・グルナードによると、ゲバラがこの時呟いた言葉が今でも胸を熱くするという。
文/中野充浩
参考/『モーターサイクル・ダイアリーズ』パンフレット、DVD特典映像
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