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もらって、もらって、もらって、、

昨日書いた「私はもらうべき存在」という言葉。

「私はもらうべき存在」として現実に立つことで初めて、苦手なことを正面に立っていられると思った。

いつも何かを与えなくちゃと思っていると、その姿勢は前のめりになる。

どこか緊張していて、反射的。

それでいて、答えられないとき、自分を責める。

だから、答えられない、わからない時間は、なにかをもらってるんだと思う。

そこに耳を澄ます。


。 。 。

今読んでいる『モモ』に、灰色の男たちが登場して、物語が急に読んでいる私にぴったりくっつくみたいに迫ってきて、不安だった。話が“ちゃんと”読めてるのかと二度三度とページを戻ったりした。

「おはなし」だと思いたいのに、灰色の男たちが貯蓄しろと言う時間のことが、やっぱりそのまま私の人生の時間のことを言っているようにも思えてしまって、美容師フージーと同じように、妙に寒気がする感じ。だった。


朝に歯医者さんでクリーニングをしてもらった以外は一日家にいて、本を読んだりラーメンを作ったり。

「もらおう」とすると、

なんて言うんだろう、

生活のどこにも 切れ目 がなくなる。

反省 とか、 目標 とか、 方針とか。

そういったものを作ろうとしなくていいんだと、

もちろん、あれはまずかったんじゃないか は、浮かぶけど、浮かぶけど、

それが どうしてまずかったか は、

まだ わからないから。

なぜなら そのとき何かを もらっているから、

私はそれを、もらわないと 始まらないんだって、思ったから。

「まずかったかもしれない」 で、止まっていた、反省して終わっていたのはそれこそがまさに、私の“時間”だったなと思う。

耐えよう。

まずかったかもしれない その先を待って、

私は物語を、続けたいなと思う。


、、、なんか、 かっこいいことになってしまったけど。

でも、そうなんだなと思う。

そうして、少しずつ、「見えないこと」が見えていくのが、人間関係なんだろうって、思った。


だから、うれしい。


お昼つくったラーメンがピカピカしていた。
赤いのは熟れた万願寺。甘くて美味しい*^ ^*


夜、NHK「きょうの料理」で、簡単に作れるおせちレシピを紹介していた。

サッとメモした。

黒豆、やってみたいわ。

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