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Wolverine ウルヴァリン:X-MEN ZERO :レゴ屋敷が爆発したな

途中でレゴ屋敷が爆発して思わずニコニコした話

こんにちは、閲覧ありがとうございます😊

今回は前回書ききれなかった、Wolverine単独シリーズ三部作について、思ったことを垂れ流していこうと思います。

が、今回は少しVFX、絵作りの話が多いので、興味ない方はスルーしてくださいまし🙇‍♀️
そして、今回も思いの外長くなってしまったので、X-MEN  ORIGINSの話しかしてません、、無念。

前回はこちら↓

それでは早速書いていきます。


三部作について

単独シリーズということで、Wolverineの始まりから終わりまで、を描いている三部作。

2009年〜2017年まで、4年ごとに公開されていました。

こちらは20世紀FOX配給、X-MENシリーズのスピンオフとして制作されたもので、MCUとは違う世界観で描かれています。

MCUのスタートが2008年、X-MENシリーズのスタートが2000年、なのでX-MENの方がやや早めにスタートですが、Wolverineシリーズに限って言えばIronmanとほぼ同時期にスタートした、ということになるんですね😯

特にこの比較に意味はないけれど、

同じMARVELコミック原作映画でも、配給や方向性、製作陣が異なると色々な角度で違いが出るもんですね。

MCUが明らかにAvengersに向けて動いていたということで、第一作目IronmanからAvengers一作目まで、各単独映画の役割や方向性、ストーリーがかなり分かりやすかったのに対し、

Wolverineシリーズはスピンオフとして出てきたのもあってか、各作品でかなり毛色が違うノリや方向性を感じました。

少なくともWolverineは後発二作品の監督が同じなので、SAMURAIとLOGANにはもう少し同じノリを感じても良さそうだけど、個人的にはこれらも割と別物な印象がありました。

そして、本流のX-MENにて”The Days of Future Past”といういわゆる歴史改変ムービーをぶっ込まれ、私の中で時系列とタイムラインの理解が1テンポ遅れ気味になりながら見る羽目になるという混乱。

これは個人的な問題ですね。

この映画に限らず、歴史改変というリアルな時間感覚とは程遠い概念が絡まってくると、いくら説明を読んでも煙に包まれているような気分になって、わかるようなわからないような、という状態になりがちな私の脳みそ。

途中途中でネットでタイムラインを調べつつも、
読んだ瞬間は分かった気がするのに、しばらくすると、
あれ、だからどうなってるんだっけ?
ってなるのがオチ。

そういうもんだ、と思って見るしか無いですね。


X-MEN  ORIGINS

overview

記念すべき第一作目。

Wolverineのオリジンが描かれています。
X-MENと関わる前のWolverineのお話ですが、アダマンチウムという最強金属を取り入れた体になった理由や、Sabretoothとの因縁の関係がわかるようになっています。

正直なところ、3年くらい前にX-MENシリーズを一気見してからは全くこのシリーズには触れていなかったので、キャラクターや時系列については、結構混乱しながら見てました。

Sabretoothについても全く覚えておらず。

兄貴いたんだー、って思うだけでした。
覚えてたらアガるシーンだったのに、やってしまった。

そんな感じだったので、ライアン・レイノルズDeadpoolが出てきたことの方にびっくり😯

あれ??これって同一人物??
Deadpoolのオリジンって単独作品の方で描かれてたよね???
…などと見事に混乱してしまいました。

この作品がライアン・レイノルズDeadpoolの原点ではありつつ、正式なオリジンではないらしい。
しかし、あくまでもX-MENシリーズと世界観は共有しているとのこと。

後で気になりすぎて調べたら、今作のDeadpoolと単独作品のDeadpoolが共存して許されているのは、
”X-MEN Days of Future Past”での歴史改変の影響によるもの
というのがその理由の様。

便利ですね、なるほど。


歴史改変といえば、StarTrekもそんな感じでした。
いや、どちらかといえばマルチバース寄りなのかな?

リブート版の三部作は、残念ながら個人的には好みじゃないです…
もっというと、JJエイブラムス映画が本当に肌に合わなくて、StarWars新三部作の監督、制作総指揮になったって聞いて本当に落ち込んだレベルで好きじゃない。

でもそれくらい合わなすぎて、その理由を知りたいがために彼の作品を観まくっているので、もう一周回って好きなのかもしれない。

彼発のドラマにはどハマりしているので、そこら辺も何か理由がありそう。

この辺りのお話もいずれしてみたい。
他の人がどう感じているのかもとても気になる。


話を戻して…

全体的な印象としては、X-MENでも大活躍のWolverineを、もっとフィーチャーした状態で活躍シーンをたくさん観られる、単独作品の醍醐味が詰まった映画だな〜、という感じでした。

内容も重すぎず、端的で分かりやすかったです。
信頼と裏切り、愛情友情
アメコミの人間臭さがモリモリ。

ただ、Deadpool含め、X-MENシリーズでは出てこなかったミュータントも元同僚として何名か出てくるのに、ほとんどが今作限りの出演で、そこはなんだか勿体無い感じ。

圧倒的パワー(代謝異常??)の持ち主であったり、やたら銃発砲が速い人、瞬間移動できる人、エネルギーを物体に込められる人。
みんな面白そうな能力を持っていたので、もう少し連携した戦いであったり、特徴的な能力発揮のシーンなんかを見てみたかった。

複数人能力者が出てくると、どうしてもアベンジャーズみたいなノリを期待してしまうくらいには頭が毒されていますね、MCUに。

皆結構あっさり退場しちゃった。

あくまでも、今のWolverineがいかにして誕生したのか、そしてSabretoothやその他敵キャラとの因縁はどこから始まったのか、そういったところをメインテーマに据えているので、ここは致し方ないのかも。


なんかぼてぼてしてた

ここからは少しVFXの話。


炎なんかのシミュレーション辺りや背景CGみたいな目につきやすい辺りに関しては、最近の映画やドラマでも割とありがちな違和感(色味のコントロールがうまくいっていない、ライティングがおかしい、みたいなところ)で、そこは、通常運転って感じがしました。

良し悪しというか(良くはないけど)、どれだけお金をかけている映画でも、こういう違和感がある映画は全然あるので、もはやなんか現場なりの理由があるのかな、とか思ってしまう。

個人的には、時間をかけられなかった説、が濃厚。
どうなんでしょう?

今回私が、なんかぼてぼてしてるなー、って思ったのは、建物の崩壊シーン。

本編で言うと、
51:40〜 木造住宅の爆破シーン
1:32:50〜 コンクリートの建物崩壊シーン

ですね。
下記にそれぞれYoutubeクリップがあります。

この2つのシーン、なんというか、すごくぼてぼてCGなんです

このぼてぼて感の理由を探ってみた↓
読み飛ばしてOKです。


CG表現を見たとき、なんだか違和感を抱く理由はいくつかありますが、今作で気になってしまったシーンには、2つのCG的やりがち要素が含まれているな、と思います。

のでここからはその2つのやりがちポイントを1つずつ書いていきます。
自分のアウトプットにもなっているので少し冗長かもしれませんが、悪しからず。

【CG的やりがち要素①】
デブリの大きさが揃ってしまう

デブリとは、破片や瓦礫のこと。

該当シーンで言えば、木片やコンクリートの破片などがデブリに当たります。

何かが崩れたとき、あるいは爆破されたときなどにデブリが発生するわけですが、現実でそういったことが起こったとき、デブリってどんな形でどんな風に散らばるでしょうか?

もちろん現実でそんな場面に遭遇することはほぼないはずなので、知るかよって感じかもしれませんが、例えばこんな動画↓

何かが崩れたり爆散したときには、よっぽど特殊な構造でなければ、様々な形状で様々なサイズのデブリが四方に散らばりますね。
崩壊の起点によっては散らばり方にも偏りが出てくることは想像できるかと思います。

つまりデブリは、
【様々な形状とサイズのものがランダムに散らばっていく】
と、より現実味を持って認識できるようになるでしょう。

見たままの話なので、別にテクニカルなことではありません。

さて、該当のシーン1つ目を見てみましょう。
(0:15あたり〜)

どうでしょう?

デブリはサイズの違うものが用意されているように見えますが、
普通サイズの木片
長い木片
細かい何か
の3種、ということがはっきり見えます。

上部:普通サイズ
下部:長めサイズ
と配置されていることもわかります。

極め付けに、これら全てが同時に爆散💥

デブリのサイズ違いは用意されているものの、同じ種類のものが塊で配置されている上に同時に爆散していくせいで物体のコピペ感が強く、レゴ屋敷でも爆発したん?って思えるチープさが出てしまっていますね。
切ない。

また、デブリとは直接的に関係ないですが、リアルな爆発と比べると、デブリの全てが、炎の明るさ、煙の暗さ、に負けずしっかり視認できていることも、違和感の理由の1つだと思います。
こちらは別の話に入ってしまいそうなので割愛。

該当シーン2つ目はどうでしょうか。
(3:45あたり〜)

こちらに至っては、
デブリというかもはや、
ほぼ同じ大きさと形状のコンクリ塊
砂埃
で構成されています。

ただ、こちらの方はデブリの形状の違いがある程度視認しやすくはなっているし崩壊スピードの違いなども出ているので、1つ目のシーンよりは違和感はないかもしれません。
その他にも違和感の少ない理由はありますが、それは追々。

どうでしょうか。
これらのシーンでCG臭さを感じた方、もしかしたらデブリのサイズが揃ってしまっていることが引き金になっているかもしれません。

こういったことを解消するにはもちろんデブリの種類を増やす、ということも可能ですが、種類を増やすということは、それだけコストがかかる、ということにつながります。

たかが数秒のシーンに、凝りに凝って10種類のデブリなんて作るわけにはいきません。
また、コンピューターの都合上、シーンに登場させる物の種類が増えるとその分計算量が増えてしまい、こちらも負荷が高くなってしまいます。

なので別に3種類しか無いなのが悪いわけではないです。
問題なのは、その3種類の見せ方。
1つ目のシーンでいえば、少なくとも同じサイズのものを塊で置くべきではなかったはず。
また、1つのデブリにおいても、方向によって違う形状に見えるような作り方もできたはず。
木片のような直方体の場合、面は6面あるので、その6面を工夫すれば、見える角度によって全く違う形状の木片、というのも作れます。
もしかしたらそうやって作られているかもしれないですが、画面上でそう見えていないので、作りは足りてはいないのでしょう。

とはいえ、こういったシーンの場合、シミュレーションに特化したCGソフトである程度までお任せでデブリを作って、爆破も物理演算によってリアリティのある流れで発生させることが可能なので、モデルの作り込みがどうこうというより、そういうCGソフトのオペレーションに時間を割けなかっただけかな、と思います。

ともあれ、派手な分悪目立ちがすぎるので、切なさが溢れてきますね。


ここまでデブリの話として色々と書いてきましたが、お気づきの通り、デブリに限らず、物体のサイズや形状が似通っている、というのはCG臭さや嘘っぽさが出てしまう大きな理由の1つです。

同じものが同じように配置されている、というのはそれだけで不自然さを演出するトリガーになります。


同じ法則を持つものはあれど、何もかも全く同じもの、というのは自然界に存在しないからです。

↑こっちよりも
こっちのが見てて気持ち悪くない↑


もし何かを作る時は、こういったところも考えてみると、見る人に狙い通りの感情を抱かせることができるようになってきます。
が、これはまた長くなるので別の機会に。


【CG的やりがち要素②】
スケール感のアンマッチ

こちらは特に2つ目のシーンに顕著かな、と思いますが、スケール感がシーンに合っておらずオモチャ感、ハリボテ感が出てしまう、という問題です。

では、スケール感とはなんでしょう?

物には大きいもの小さいもの、たくさんあると思いますが、それらは何をもって大きい、小さい、と私たちは判断しているんでしょうか?

ペンは大きい?
ビルは小さい?

ペンは、人間より小さいですが、アリや消しゴムよりは大きいですね。
ビルも、人間よりは大きいですが、富士山や東京スカイツリーより圧倒的に小さいです。

スケール感とは、この「大きい小さい」を判断する要素の1つ、と言って良いでしょう。

また、「大きい小さい」という尺度は得てして相対的な物でしかない、ということがわかります。

さて、そんな相対的な概念であるスケール感ではありますが、普段暮らしている上では特に気ならないはずです。
それは私たち人間が、「自分の目👀」というレンズを通して世界を捉えているからです。
自分を基準に大きい小さいが存在するので、別に不都合はありません。


が、これを映像や画面に反映させようとすると途端に努力が必要になってくるのが厄介なところ。
映像や画面というのは、自分や人間の普段ではあり得ない視点を簡単に持ち込むことができるパワフルな代物です。
アリの視線で世界を描くこともできるし、怪獣の視線で世界を見下ろすことも、絵作りの世界ではとても簡単にできますよね。

しかし、「スケール感」が相対的な概念である以上、見る人に対し「大きい小さい」を感じさせたいのであれば、絵の中でも相対的概念を再現させなければならないのが基本のルールと言えます。

見せたいものが小さいものであれば、大きいものを同じ画面に入れないと小さく感じません。
その逆もまた然り。

では、改めて該当シーンを見てみてください。

動画内3:56あたり

いかがでしょう?

画面内に大中小の物体はあるので一見ポイントは抑えているように思いますが、そもそも、この中小の物体の大きさがいったいどれくらいのものなのか、この画面内だと把握できません。

もちろん、前後のシーンのおかげで、全部人間よりは大きい、というのは想像つきますが、だからと言ってこのシーンを見て、
大きい建物が壊れたー!😫
怖いなあ…
という気持ちにさせられることは無いでしょう。

比較対象である中小の建物の大きさが読み取れないため、結局メインの建物に「大きい小さい」を見いだせなくなっているように見えます。

中小の建物の大きさが読み取れない理由にも、
ディテール=物を構成する要素。布であれば縫い目や繊維の線、木材なら木目など。
というやはりスケール感に関わる問題が関係しています。

私たちは普段物を目にする中で自然と、
この大きさならこのくらいのディテールが入ってるわ
と頭にインプットされているのですが、それにそぐわない情報を目にすると、「大きい小さい」がミスマッチを起こすことがあるのです。

有名な話だと、ディズニーランドのシンデレラ城が大きく見える理由には、このミスマッチを錯覚として利用している、というのがありますね。

この距離感でこの大きさでこの素材なら、これくらいのディテールが視認できるはず
と脳みそが働きます。
シンデレラ城の上部は必要以上に石垣や窓など構成が小さくなっているため、
あの素材であのくらいのディテールが視認できるということはこれくらいの距離感でこの大きさの建物なんだな
と錯覚を起こしているのです。

該当シーンに戻り、中小の建物のディテールはどうでしょうか?
ディテールが無いわけではないものの、全体にちょっとのっぺりしていたり、ディテールが視認しづらくなっています。

結果的に、画面全体で「スケール感」を把握しづらくなっており、
ただ建物が崩壊している(以上)
のシーンでしか無くなっている、というのがこのシーンのチープさかつ違和感の正体なのかなと思います。

また、このシーンでもう1つ気になるのは、メインの建物が背景に同化してしまっている、というところ。
全てが同系色なので、遠目に見たら正直何が起こっているのかわかりづらいな、と思います。
が、色の話はまた別の深みにハマるので切り上げます。

さて、「大きい小さい」を感じさせるためのポイントは他にもいくつかあります。
該当シーンのように大きいものを大きく感じさせたいなら、画面の中で必要以上に全体像を見せない、というのも1つのテクニックです。

映像は人間の普段ではあり得ない視点を簡単に持ち込めるツールではありますが、それを見るのはやはり人間の私たちである、ということを忘れてはいけません。

大きい、と思わせたいのであれば、主観となる観客にとって大きく写っていた方が、そう思わせるには簡単ですよね。

そういう点で言えば、該当シーンの前後では比較的人間視点で崩壊する建物を捉えているので、より迫力を感じる画面になっています。

正直、このシーンで見せたかったのは、あくまで建物が崩壊する事実であって、怖いとかハラハラ、とかそういう物じゃない、という可能性も全然あるので、一概に
このシーンどうなん?
って言うことはできないと思います。

とはいえ、ストーリー上、主人公たるWolverineが危機に瀕する場面なので、主人公の目線で映画を体感している観客に対して、ドキドキハラハラする感情をもっと呼び起こす工夫をしても何も悪くないんじゃないかなーと思いました。

といわけで、

このシーンを見て、
別にCGがどうということでもないけど、なんか嘘くさい、と思った人は、スケール感に引っ掛かりを覚えたのかもしれません、という話でした。

蛇足

近年の怪獣映画などをみた時、CGのクオリティはすごいけどなんかチープに見えるな、と感じたことはないでしょうか?
私は最近、パシフィック・リム2作を観ていたのですが、1はすごく良かった反面、2は、あー…、ってなっていました。

これも大方同じ問題かなと思います。

ここに書いていないだけで、スケール感を観客に呼び起こすポイントはもっともっとあるのですが、最近の怪獣映画はあまりそういったところに重きを置いていない傾向があるように見えます。

もちろん、スケール感よりもアクションの激しさ、物語のテンポ、を優先している、という制作の都合もあると思います。
取捨選択の時点で捨てられちゃったパターン。

ちなみに、今思えば、この記事で書いた某怪獣映画のトレーラーで爆笑したっていうのも、トレーラーのテンポに対して怪獣の迫力が間に合ってないっていうチグハグさも1つ理由だったのかなーってふと思い出しました。
しかしまあ、記事のテンションが全然若くてエネルギッシュで悲しくもビビる笑


怪獣映画を鑑賞した時、怪獣の怖さや迫力よりもストーリーの目まぐるしさで2h30m終わったわ、って思った方。
もしかしたらそれは自分の感性の変化やその日の気分のせいではなく、画面の絵づくりのせいかもしれません😳

反面、

ピクサー:
Bug's Life
Toy Story
ジブリ:
借りぐらしのアリエッティ

といった、さすがのスタジオが制作した人間より小さいものを主人公にしたアニメーション映画はとにかくこういったところに気を配っているので、やはりそもそもの見応えが違います✨

ピクサーやジブリが評価されるのにはもちろん色々な理由がありますが、業界の人間たちがこういった会社の作品がとにかく大好きなのは、抑えるべきポイントをまず間違いなく抑えている、というところが心くすぐられるからでしょうね😊


さて、長くなってしまいましたが、終わりにもう1つお話し。
スケール感のチグハグさを実際の建物で体感した面白い出来事があったので、ちょっと共有してみます😁

こちらの写真↓

手前のキャラはスルー

この建物、先日高野山へ行った時に出会った、大門の敷地内、入って右手にあるとても立派な建物なのですが、目に入った瞬間、

この見た目でこの大きさ????!

って頭が混乱したのをとても覚えています笑

写真だと伝わりづらいかもしれません。

人が写っているので実際の大きさは想像できると思いますが、人を隠すと、1/2サイズでもおかしくない違和感。

これ、塗料が厚く塗られているので、全素材のディテールが消えている上に、構成パーツがそもそもやたら大きいんです。
木材の木目や金具の目が見えないし、小さいパーツがほぼ無いので、元々あった建物をそのままコンピューター上で拡大したんかな、みたいな見た目👀

大きいのは大きいので、でかいな、とは思うんですが、見た目と大きさが頭の中でマッチしていないので、トリックアートみたいに煙に包まれた感覚で、荘厳さを感じる前に脳内処理がストップしていました。

ちなみに、敷地内右手には同じ構造で一回り小さい建物も置かれていました↓

荘厳

こちらは見た目通りの大きさに見えますね。
周りの木々と比べてもサイズに違和感はありません。

木目や雨垂れがしっかり見えるし、パーツの大きさも妥当です。

現実の建物で同じ構造で比較できることって、そんなにできることじゃないと思うので、とても興味深い体験でした😁

聖地としても観光としても非常に価値のある場所ですので、気になった方はぜひ足を運んでみてください✨



というわけで、一作目の話はおしまいです!
次回もぜひよろしくお願いします🤲

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