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2024年12月お前は何してた?(復職/出社訓練という茶番/年末実家で死にかける)
11月末に内定承諾し、2月出社という健常的な転職期間のアリバイづくりかつ、世の中へのリハビリを含めて真顔で復職を決める。出社初日は凄まじい歓迎ムードで人間の優しさを知るが、2日目以降は会社の事務処理的な流れに落ち着き、ただの「復職した人」として扱われこれが社会の冷徹さだよなあと実感する。でもみんな優しくてビックリしたので人間はやっぱ性善説に立って考えていいのではと思ってしまう。
出社訓練という会社に朝やってきて挨拶したらそのまま帰るという復職に向けた茶番としか思えない儀式は、正直色々過保護に舐め過ぎていて苦笑するしかなかった。なんか小学校で修学旅行前に「新幹線に乗る練習」を体育館でしたのを思い出した。椅子を持ち寄り新幹線をエミュレートし、改札の突破から駅の動線を擬似的に再現して本番の負担を軽減するという謎イベントだった。当時もこんな練習をしよう!と提案する大人がいたことに戦慄したものである。まあNASAとかでロケット乗る前に全く同じ手順をシミュレーションするというのがあると思うと逆に最先端かもしれない。
大体この出社訓練さえ満足に出来ない人間はメンタル的に明らかに回復していないので、絶対に休み続けた方がいい。こういう精神的に参った人々への過保護な対応を冷笑できるぐらいになって初めて完治と言えるだろう。そして午前中に会社から追い出されるというイベントは非常に暇過ぎて社会から追放された気分になるので地味に精神衛生上良くない。自分は最寄りのコンビニでワンカップを煽ったあとに国会図書館か裁判傍聴に行き、暗くなるまで時間を潰すという行為をルーティーンとしていた。
数字の過保護茶番を経ていよいよ実際に業務に励むことになる。とは言ってもフルタイム稼働は1ヶ月後以上を目標に茶番の次の段階である「慣らし勤務」というこれまた泣きそうになるタブー社員の出来上がりとなる。とりあえず会社に2-3時間だけ居る人という最高に存在価値のない人間が鎮座する宿命となる。
特に今までの業務の責任ある仕事など任せられるわけもないので、自分は過去資料のスキャンという「追い出し部屋の社員がやってる仕事」を任されていた。そして復職と同時に2か月後に退職する旨を伝えてしまったので、元の部署監督からも外れ、総務系の部門でマジで閑職な仕事をしていた。確かに復職訓練というのはフルタイム稼働を目指して仕上げていくものなのに、仕上がりきった期日に退職するというのは無意味行動過ぎて今思うと笑ってしまう。
段々と時間を伸ばし15時ぐらいに帰宅するルーティーンが12月中は続いた。正直責任のない仕事というのはやりがいも達成感も一切なく、社内ニートみたいなそういうのに本当に向いてなさそうだなと実感できた。ああいう業務中にソリティアをやり続ける窓際オッサン社員のメンタルは本当に気高くて尊敬する。
年末は社内でささやかな打ち上げをした時に、元いた部署や関連する人に対して再会の挨拶ができて良かった。仕事以外で全く絡むことのなかった恐ろしい尖りアティトゥードをとっていたこの会社であったが、休職という弱み体験談を話すことでようやく心開けた気分になった。多分もう2度と会うこともないだろう。そして意外にも役員レベルの方々が自分のこれまでの実績や存在について言及してくれたのが嬉しい。しかし、その感謝を伝えるならば給与に反映して欲しかった。「ありがとうよりも金」こそ一番の誠意である。
会社の打ち上げを終えるとそのまま次の会社の忘年会にハシゴした。計算通り酔っ払っていたので完全アウェーの未知なる集団の飲み会に参加しても余裕だった。しかし若いベンチャー企業というのはとにかくトラディショナルな日本企業とは違い人々が明るくバイタリティに溢れてたのはかなりカルチャーギャップであり、自分の暗く陰湿な思考をはぎ取ってくれた。特に同年代のサブカル的な話がほぼ全員ツーカーなのはマジで激アツであるし、以前まで感じていた年長者に対する本質的に分かり合えないというあの諦めをしなくていいのが嬉しい。「仕事するなら同年代」これは肝に銘じてもいいかもしれない。
劇的に長い正月休みは実家ニートを決め込む。おばあさんが末期がんで死にかけになっていて、入院生活を余儀なくされていたが年末から三が日は家に戻ってきていた。余命一ヶ月もないそうであり、肌が滅茶苦茶不自然に黒くなってしまっていたのが印象的で、所謂「死相」みたいなのを実感できた。
これを書いている2月現在もまだ生きているがもうモルヒネ投与して酸素吸入機着用のタイムリミットモードで備えてしまっている。ある程度会話のできる元気な状態で会えたのは良かったが、死を待つ時間というのはやはり常にソワソワしてしまう。30年以上生きてきて同じ屋根の下暮らしていた人間が亡くなるというイベントは初めてなので、どんな気分になるのか想像もつかない。
年末は実家で飲み会三昧のつもりであったが、大晦日イブ辺りから完全に発熱し、三が日全てフィーバーとの戦いで本当の寝正月を過ごすことになってしまった。恐らくインフルっぽかったので完全に隔離されて自室で寝込んでいたので風情もクソもない休みの消化の仕方であった。
解熱剤を飲んで35℃ぐらいに下げたあと、安心しておせちと日本酒を「お母さんプレート」で届けてもらい、数時間後また38℃台に戻っていくというルーティーンを5日ぐらい繰り返して帰宅する日にようやく熱が下がり健康体になるという具合。健康体こそ全ての幸福の前提であると改めて実感した新年であった。
一月は1週間ぐらい出社した後に有給消化でフルニートに復帰していたので、また続き書きます。