【フィールドノート】夏季集中稽古|2024.8.21-25|羽原康恵
いよいよTAP25周年公演の制作が走り出した。私にとっては文字通り42年来、生まれてはじめての”集中稽古”の5日間。
発表がある演劇公演をゼロからつくることも初めてだし、ましてやここまでは自分が演者の側になる可能性があると正直思っていなかったのだけど、今回は演者として振る舞うことの方が多くなっている(制作に一緒に入ってくれている取手歴1年のuniのおふたりが、マネジメントの部分と制作を行き来してくれることを明確に理解した期間でもあった)。
今回の5日間のメインは「プレイバック・シアター」の手法を試してみるということ。(阿部さんによる記事がより詳報。)
話を聞きたいかたをお呼びしたり、公演に関わるメンバーが役割を入れ替えたりして、話し手が話したいことを話し、それを全員でひたすらに聞いて、その場で即興で立ち上げてみる、ということを5日間のあいだずっと反復する。
稽古の終盤に、この公演制作はケアだと思ってる、と白玉さんがいう。
体感が言葉になった感じがあった。重いものを吐き出すケースも、優しい思い出を少しずつひもとくときも、語る人によりそって聞き続け、想像をめぐらせ、そしてまた聞くという基本の形。
その特徴が期せずして、会場になるVIVAがメインで取り組んでいる、聞く力をベースにした対話からはじまることを支えつなげていく、ということと重なっているということも気づく。
稽古を終えて、ずっと以前のTAPの展覧会の最終日や、たとえばサンセルフホテルの本番を終えた時と同じくらいエネルギーを出力していたことに気づいた。ここ数年は燃え尽き症候群的なことにはならないような耐性がついていたのに、平常に戻ってのまる2日間、ほぼ外へ発することができなかった。
でも繰り返し感覚が蘇ってきたのが、お話を聞かせてほしいとお呼びした、パペエテの工藤悦子さんのプレイバックの回。演ずることはおそらく小学校以来の私がご本人役に選んでもらって演じた時間のこと。
なんといっても取手蛍輪の参加者探しが大変で、というお話から、そのシーンを数名で立ち上げる。
その場を見たことはないけれど、明るい熱いエネルギーをぎゅっと相手に渡して巻き込んで、つながりや活動を作ってきた悦子さんをフル回転でイメージして望んだ。ひさびさに夢中だった。
終わったあとに悦子さんが驚きながら、本当にわたしそのもの!って言ってくださったからかもしれないけれど、そのとき商工会青年部のメンバーを演じた友人に言葉を投げかけた時の高揚や、目には見えないけどイメージに浮かんだ風景が繰り返しもどってくる。
取手蛍輪のシーンをきっかけに、このまちで、あるいは別のまちで、まだ立ち上がる前のものをつくりだしていく人のまっすぐな熱を体にまとったような感覚が抜けない。そしてその感覚と、悦子さんがなぜ取手に生まれたのかの由来としてその日教えてくれた利根川の美しい風景がリンクして、反芻するようにこの一週間を過ごす。