ホームヘルパー国賠訴訟の件で、最高裁判所に行きました
何のご縁か、最高裁に行きました。
ホームヘルパー国賠訴訟の最高裁への上告の件ですね。
原告団の上告手続きは済んでるそうなのですが、その後でも追加的に、原告やその他の人の意見を提出、陳述できる機会があるそうです。
夜勤明けに、今からなら提出のお見送りに立ち会えるかなー、くらいで行ったら、中まで入れて頂き、限られた聴き取り時間の中にも関わらず、そのまま意見まで述べさせて頂きました。
上告を受理するかどうかの判断にも関わる事なので、どうか届いてほしい。
入り口で見送りに行くだけのつもりで何も用意してなくて、でも入らせてもらって、席に座って、向こうから順々に意見述べていくのをみて、「あ、私も喋る流れだ」と覚悟してフル回転して喋りました。
後から思い出して、少し注意のいる言い回しもあったなと思い、言いたかった事をメモしておく。
虎に翼、という連続ドラマがやってるらしいことは知っていた。内容は知らないが、初めて裁判官になった女性の話なのだろうな、ぐらいの認識。
で、最高裁に来てたので、まずそれが浮かんだ。
話した順番は違うが、こういう話をした。
裁判官の資質のある女性が、時代や制度が違えば、主婦をしている事がある(どっちが良い悪いの話では無い。ただ、他方は賃金があり、他方は無償だということ)。
で、女性はそうした選択肢しか認められない時代が長かったし、そうした世代が今も生きていて、狭められた選択肢の結果としての低賃金や低年金に置かれている現在がある。
また、そうした、時代や制度によって予め狭められた選択肢によって、選択できない(相当に困難となる)職業が発生し、現実的に選択出来る職業も狭められる。
結果、ケア労働には女性の占める割合が高くなる9割ほどか。
これは、女性が女性の資質を自由に活かした結果として、その職業を選んだ、というより、制度的、慣習的にそのように誘導されたと言える。
そのケア労働の賃金は、平均より低い。
しかも、市場原理でその賃金が決まってるのではなく(市場原理で決まるなら、人手不足の職種の賃金は上がるはずなのだ。ただ、ここは丁寧に言わねばならないが、介護などを市場原理に晒せ、と言うわけではない。労働者は市場から財を購入して生活せねばならない以上、市場の価格を無視した賃金で生活は不可能なのだから、せめて物価が上がってるなら相応に賃上げも必要だ、という意味。で、その賃上げを利用者に支払わせるなら、金のある人だけが受けられる介護とは、社会保障にはなり得ないので、当然、国庫負担であるべきだ、という事なのだが)国がその賃金に設定している。介護報酬という公定価格によって。
これは、ある職業に対する、国による差別と言えはすまいか?
また、その職業は、上に述べたように歴史的経緯、制度的必然(性別的必然ではない)によって女性が、あえて言えば「押し付けられている」状況にあり、そう言わないとしても、現に女性の割合が多いのだから、国は女性の多い仕事の賃金を低く設定しているとは、女性差別の疑いすらある。
警察や消防(secure)という男性の多い仕事が、国が報酬下げて賃金低くなって人が集まらないので、火事になっても放置するので自分達で消火してね、とか、捜査出来ないので自分達で捕まえてね、とか、あり得ないわけです。それは国家も社会も維持不可能と分かるわけです。
なのに、介護や保育(care)という、女性の多い仕事は、国が報酬下げて賃金低くして、人が集まらなくても、放置するので家族でやってね、と言う事が罷り通るわけです。これで国家がなぜ崩壊しないと考えるのか?警察や消防と何が違うのか(同じはずではないか?)。
家に女性が主婦として居るなら、家族に任せるのも可能です(が、それは女性が無賃でケア責任を担うという事で、それは女性が資質として選択したと言うより社会的に押し付けられた事で、しかも社会は、女性が任されたケア責任を果たす事で国民の出産育成、労働力の確保という成果を得ながら、しかしその結果として女性が賃労働ができず経済的には不利になる事を補う、様々な制度を無くしてきた)が、制度はそうした事を不可能にする方向で変わってきて、老若男女、家庭内から企業内で賃労働せざるを得ない状況であるのだから、家族で介護するなど不可能なのは既知の話である(だから介護離職や再配達が問題になる)。
にも関わらず、あえて公定価格で低賃金にして介護を人手不足にして放置するとは、ケアの必要な人々の生存権を奪っているのと同じではないか(この、ケアと生存権の直結を、喀痰吸引の必要な人のお宅の訪問ヘルパーとしての立場から意見する、と最初に名乗る事で示したつもり)。
それを、何とか崩壊を食い止めているのが、低賃金(移動や待機やキャンセル時間が未払いな事や、利用者が自己負担に耐えられず短時間細切れ利用にする事にで未払い待機時間が増える事なども含めて)にも関わらず現場で働く彼女らである。
市場原理で、価値がないとみなされた仕事だから安いならともかく、むしろ必要性が痛感されており現に人手不足なのに、介護サービスの生産者たるヘルパーの賃金になる報酬を抑制するとは、言い換えれば、介護サービスの生産者に限定して、国が予め市場価格と公定価格の差額分の所得税を課しているのと同じ事であり、国家が負担するべき社会保障費用を、ヘルパーに支払わせているのと同義である。
ここに、国家の責任が問われない訳がない。
、、、という様な話をした(つもり)。
届いてほしい。