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2023年は新たな可能性を開拓できるかが問われる年になる(癸卯)
新年明けましておめでとうございます🌞
久しぶりに行動制限のない年末年始でしたね!
私も郷里に帰省して過ごした結果、体重が増えて戻ってきました🤮
2023年の干支は 癸卯(みずのとう/きぼう)です。
干支ってなに?
そもそも干支ってなんなんでしょうか?🤔
「え?2023年は卯年でしょ?だから干支はウサギ🐰じゃないの?」
と思われた方は半分正解です。
というのも、干支(えと)は
「十干(じっかん)」という十進法の暦の数え方と、「十二支」という十二進法の暦の数え方を組み合わせてできているからです。
表にするとこんな感じ。↓↓
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なので「今年はウサギ年です!」というのは十二支のほうしか触れてないので厳密にいうと干支ではありません。
こんな事言うと「面倒くさいヤツ」としか思われないので、人には言わない方がよいです
ちなみに十干は陰陽五行の考え方から生まれたものです。木火土金水の5要素それぞれに陰と陽の2パターンがあるので5x2=10です。お酒や資格のランク付け(甲乙丙)とか、階級付けに使われたりします。
「鬼滅の刃」でも鬼殺隊の階級に使われていました。
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※陰陽論についてはコチラ参照👇
昨年(2022年)の干支の振り返り
さて、2023年の干支を確認する前に、2022年の干支である「壬寅(みずのえとら・じんいん)」について実際にどうだったのか、ちょっと振り返ってみます。
昨年の干支「壬寅」では、このように書いていました。
・これまで「胎動」していたものが動き始める年である。
・その「胎動」は「良い事」も「悪い事」も孕んでいる。
・その結果、物事がどんどん進展していく一方で、驚かされるような事件・事象も次々と起きる。
・こういう時は、時局に便乗する口達者な「佞人」が跋扈するので、人を任命する時や任務を負う時にはとくに注意が必要。物事の進展や驚天動地な事態にかまけていると「佞人」に足元を掬われかねない。
「良い意味」でも「悪い意味」でも物事が動き出す年だったのですが、実際のところはどうだったか?
「驚かされるような事件」といえば、やはりロシアのウクライナ侵攻ですかね。この時代に、武力で現状を変えようとする国(しかも常任理事国)が現れるとは・・・。
私個人で言えば、昨年も(主に仕事で)辛い・苦しいことは多々ありましたが、色々と「胎動」と「進展」を感じる一年でもありました。ここから、より良い方向に動き出すのかなぁ?と期待半分、不安半分。
皆さんの「壬寅」はどんな感じでしたか?
癸卯(きぼう)はどんな年なのか
さて、本題です。
2023年(癸卯)とはどんな年でしょうか。
まず「癸」と「卯」それぞれの字を見ていきます。
「癸」
癸の字は、植物の内部にできた種子が大きさを測れるまで大きくなった状態を表します。ものごとを測るためには基準や規則が必要なので「基準・規則に則って諸事を取り仕切る」という意味もあります。
ちなみに癸の字は「一揆」とかで使われる「揆」に繋がる字でもあります。「揆」にも「はかる」とか「取り仕切る」という意味があります。「一揆」というと農民が行政や領主に対し武力による反抗のことですが、要するに「一つの目的のもとに集まる」ということですね。「一揆」には必ずリーダーが必要です。一つの目的のもとに集団を束ねて、目的が達せられるように取り仕切る役割が「癸(揆)」です。一揆のリーダーとして有名どころでいえば大塩平八郎とかですかね。
では現代社会でいうところの「揆」は誰にあたるか?例えば「国民を束ね、取り仕切る」のは総理大臣だし、「社員を束ね、取り仕切る」のは社長だし、「家族を束ね、取り仕切る」のは家長(世帯主)です。
集団を取り仕切る上で重要なのが「基準・規則」です。何に則って集団を取り仕切るのか?総理大臣なら憲法、社長なら社則、家長なら家則でしょうか。
まとめると、癸(リーダー)が「基準・規則に則って、集団を束ね、取り仕切れるかどうか」が問われる年になりそうです。
「卯」
卯の字は、真ん中の二本の棒が門柱を表わしています。よく見ると、ちょっと左側が開いてますよね?
これは「これまで閉じられていた門が、今年ついに開いた!」という状態です。ただ、開いてみれば門の中は未整備で、雑草や樹木がおい茂った野原のままです。したがって「卯」には「未整備の領域を開拓・開発して有効地に整備していく」という意味があります。
「癸卯」
「癸」と「卯」それぞれの意味がわかったところで「癸卯」として組み合わせてどう見るか?
こんな感じでしょうか。
癸卯は、何らかの新しい可能性が見えてくる、新しい領域が出てくる年になる。これを見事に開拓・開発していけるかどうかは、リーダーが「基準・規則」に則ってメンバーを束ね、取り仕切れるかどうかに掛かっている。
新しく見つかった可能性を開拓できるのか、新しい領域をモノにできるかどうかは、リーダーの動き次第だということですね。いまリーダー的な役割についている or これからつく予定の人にとっては、なかなかシビれる一年になりそうです。
おしまい。
蛇足①:リーダーって何ぞ?
一口に「リーダー」といってもいろんな考え方があります。例えば肩書に「長」が付く場合(課長、部長、社長など)は分かりやすいですが、私個人はどんな人でも「リーダー」になり得ると思ってます。
例えば職場で(同じ職位の)二人がペアで仕事をする場合であっても、必ずどちらか一方がもう一方の「先輩(先達)/後輩」という関係性になります。年齢とか、入社年数とか、経験年数とか色んな要素があると思いますが。トラブルが起きたりすれば、先輩(先達)の方が後輩よりも前に立つでしょう。
あるいは家庭であれば、親子が行動するときは常に親が子の前に立つでしょうし、兄弟だけで行動するときは兄が弟の前に立つでしょう。リーダーとは絶対的なものではなく相対的なものだと思っています。
蛇足②:基準・規則って何ぞ?
先ほど、基準・規則の例として
総理大臣なら憲法、社長なら社則、家長なら家則でしょうか?
と書いてみたものの、これは適切な例じゃないかも、とも思います。
というのも、これから新しい可能性や新しい領域を開拓・開発しようというときに、憲法や社則、家則といったいわゆる「ルール」でもって集団を取り仕切れるのか?という話です。
もちろん集団で行動する以上はある程度の秩序が必要なので、秩序を守るための規律は必要ですが、それだけでは新しい領域の開拓にメンバーを駆り立てるのはしんどいかなと思います。
どちらかというと、国是とか社是とか家訓とか、集団のアイデンティティに基づくもので取り仕切る方がいいかなと思います。
そうなると、リーダーは自分たちのアイデンティティについて「自分の言葉」で語れるようにならなくてはなりません。このブログでは主に「日本人とはなにか」についてのネタを投稿してますので、興味ある方いたらぜひ覗きに来てください😀
今年も良い一年となりますように!