生きづらさの「源泉」を知る
1.チノアソビメンバーの抱える闇
Podcast「チノアソビ」は、わたくし林田めと、MC後藤、す〜社長の3人で運営するネットラジオなのであります。毎週、水曜日更新。最新号は「後藤の少子化シリーズ」最終回(多分)。
一年は52.1429周あるので、ほぼ1年半、後藤&す〜と付き合ってきたわけですけれども、本人たちは気づいていない、いや気づいていたとしても絶対に認めないと思うんですけど、この二人は本当に似ています。
それは、なんか、、、生き辛そう、ということ。
基本的には、す〜社長は、旧帝国大学である九州大学のしかも工学部で原子力を博士課程まで務めており、また、MC後藤も、ごきげんな高校を出たあと熊本大学を卒業しておりまして、学歴的にも申し分なし、、、正直、めちゃんこ頭が良いのですが、なんなんでしょう、この生きづらそうな感じは。
先に言っておくと、ぼくが二人のことを尊敬して止まない人間としての美徳は、他にあるので、この生きづらさみたいなものを目の当たりにしても
こんな感じでしか見れていないと思います。ハズレたー!と思ったら大当たりだったの図ですね。わかる人にしかわかりませんが。いや、ハズレって失礼ですね。あとで怒られそう。でも、本当にそんな感じで見ています。ちなみに、隆 慶一郎が描いた前田 慶次は、完全に老荘思想です。
なんか、だんだんめっちゃ怒られそうな気がしてきました。でも闇とか言いつつ、チノアソビは陰翳礼讃ですからね。闇も大事にしていきたいと思います。
2.マインドセットからカタストロフまで(後藤の場合)
もう怒られるの覚悟しました。
書きます。書きますよ!(ブルブル)。
では、具体的にMC後藤とす〜社長のどこが似ているか、ということについてです。
まず、MC後藤の分析から始めます(ワナワナ)。
彼女の代名詞といえば、そう「ポイズン」なわけですよ。
いや、もう番組的には、今後とも思う存分、ポイズンをぶちまけていって欲しいと思います。でも、このポイズンが吐き出されるセオリーを分析していくと、個人的には、いや、独断的には、畏れ多くも、震えながらですが、
私の考えは絶対に正しい
というマインドセットが前提にあるんですね。優秀だから。天才だから。仕方ない。というか、天才でなくとも、多くの人がそうです。いや、いい。みんな違って、みんないい。みんな正しい。ほんとにそう思います。
ただ、「みんな正しい」という前提に立ってみると、誰かの正義が後藤の考えを否定する瞬間というのが、これは絶対にあるわけです。そしてMC後藤というのは、敏腕というより剛腕なんですね。鉄腕かもしれない。稲尾以来の。
でも、同時にめちゃくちゃ奥ゆかしい大和撫子なのです。遠慮深く、慎み深い。もうインテリジェンス女子日本代表があれば、ナデシコ・ジャパンに入れると思います。
つまり奥ゆかしい鉄腕後藤は、自分の意見が絶対に正しいと信じているにも関わらず、その場では研ぎまくっている刀を鞘に収めて不敵に笑っているのです。
そしてある瞬間やってくるポイズン。だから「それはね、、、」と対話していくと、
「私が間違っているというんですか?」
という反応がとても多いです。でも、MC後藤は鉄腕ですから、直接的にこんな感情的な反応はしないんです。婉曲的に、曲がりくねった道の先に、待っている幾つもの小さな光、まだ遠くて見えなくても 一歩ずつ、ただそれだけを信じて言うんですね。
「はいはい、私が間違ってるんですよね。みんなわかってない。結局、私が悪者になるんだ。」
そして、最後に訪れるカタストロフ。
「この世から消えてしまえばいいんでしょう」
3.カタストロフからマインドセットまで(す〜の場合)
一方で、す〜さんの場合、ベクトルが後藤とは逆です。
だから、ひょっとしたら周囲の人々がこれを読んだら、
「林田、何言ってんの?ぜんぜんタイプ真逆やん」
と思われるかもしれません。何より、本人たちがそう思っていると思います。まぁ、聞いてちょんまげ。
す〜さんは、いつの頃からか、少なくともぼくが出会った頃にはもう、スタートラインがカタストロフなんです。つまり、「死んでしまいたい」という前提。だから、実はマインドセットがあります。それは、
というものです。太宰です。色男です(そういう意味では、す〜さんは、まさかの陽キャラであるとも考えられる)。
「自分の人生は、なんてダメなんだ。人に迷惑ばかりかけて。」
という前提があって、それを「死にたい」というカタルシス(浄化)のフィルターを通して、無理やり生きている、とそんな感じです。かっこいい。ハムレット的でもある。ハムレットは、もう物語の冒頭で
「To be, or not to be(生きるべきか、死ぬべきか)」
と悩みますね。そのあと、その答えを求めて生きる。最後は壮絶なカタストロフです。もう一回行っときますか。
つまり、何が言いたいかというとですね。
後藤は演繹的に死にたい、消え去りたい、というのに対して、す〜は帰納的に死にたい、消え去りたい、ということなんですね。ベクトルが違うんですけど、証明されるものは同じ。
もうシェイクスピアを通り越して、壮大なギリシャ神話のようです。叙事詩。令和のホメロスとはアタイのことかもしれない。
だから二人の言動(ポイズン時、林田調べ)の要素を大きく抽出すると、共通言語は、この二つ。はい、皆さん、復唱しましょう。
「わたしは誰にも理解されない」
「死にたい。この世から消え去りたい」
4.生きづらさを解消するために注意して欲しい一つのこと
でも、これはMC後藤やす〜社長に限ったことでなく、世の中の人の多くの悩みだと思うんですよね。
「じゃあ、お前はどうなんや」
と九州弁で詰められそうですが、ぼくも似たようなもんです。特に、若い頃はそうでした。人生、攻めて、攻めて、うまくいかない。周りが認めてくれない。なんで認めてくれないんだ、と。
後藤やす〜は、残念ながら頭がいいので、そうしたルサンチマンを言語化できてしまう。ニーチェとかショーペンハウエルとかと同じだと思います。
ぼくの場合、ラッキーだったのは東洋哲学の勉強を始めたことだと思います。最初は、人のために始めたことだったのですが、自分にとってとても良かった。もう一つの幸運は、ファシリテーションを学んだことです。
実は、東洋哲学とファシリテーションの共通事項は、
「マインドセットを解く」
ということでもあります。自分の考えは、実は前提としてセットされたものかもしれない。その前提を取っ払った時に、新しい考えに出会える。
孔子も言っています。
間違っているのに、これを改めようとしない。これを過ちというのだ。
でも、
「1%でいいので、あなたが間違っていると考えてみては?」
と言うと、どうでしょう。MC後藤もす〜社長も、頭がいいから、お前に言われたくない、と思うかもしれません。だから、こう言いたい。
「1%でもいいので、あなたの考えは変わる可能性がある」
こう思ってみてはどうでしょう。そうすると、自分と異なる全ての意見が、あなたのためにあるように感じるかもしれません。いやそんなわけないか。1%だもんね。でも100あるポイズンのうち、一個だけ薬があるかもしれません。
自分の考えは変わる
こうマインドセットするだけで、もしくはマインドセットをしない、だけでずいぶん、生き方は楽になる気がするんだけどなぁ。
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