見出し画像

人本主義 篇

 ずっと「徳」について考えていますが、今日は『三国志』の話をしたいと思います。『三国志』は日本でも昔から嗜まれている歴史書の一つで、例えば日本の戦国時代においても、徳川 家康「劉備 玄徳の再来」と言われていたり、豊臣 秀吉の若かりし日の軍師、竹中 半兵衛「今孔明」というあだ名を持っていたりと、その影響がうかがえます。

 近代に入って吉川 英治の『三国志』が大ベストセラーになり、それを横山 光輝が漫画化したことによって広く知られることとなりました。

 これらの元ネタは『三国志演義』で、劉備 玄徳が建国したの人、陳寿が記したものなので劉備のことがとても良い人に描かれています。これをベースに吉川 英治は構想に手を加えまして、吉川三国志の特徴は、前半の主人公が曹操 孟徳、後半の主人公が諸葛亮孔明となっており、物語全体に知略が織り込まれていて、とてもダイナミックに仕上がっております。

 『三国志演義』では、劉備が儒学をしっかり修めた義の人曹操が「乱世の奸雄」という描かれ方をしていますが、正史を読むと少し様相が異なります。むしろ曹操こそが儒教的な義の人で、劉備は老荘的な野人として描かれています。

 例えば、曹操の覇権を決定づけた「官渡の戦い」では、演義では曹操は武勇と知略を駆使してライバルの袁紹に勝利する、力強いイメージがありますが、正史では曹操はまだ自信を持てなくて、袁紹が怖くて怖くて仕方がない

 そこで曹操は軍師の荀彧に手紙を送るんですね。

「官渡から引いて、許昌(曹操の本拠地)まで引いて袁紹を迎え撃ちたいと思うが、どう思うか?」

 これに対する荀彧の返答は激烈です。

「いま官渡で戦って死ぬか、許昌まで引いて死ぬかを選んでください」

 結局、曹操は官渡に留まり、そこで袁紹軍がエラーに次ぐエラーを重ねて運よく勝利を手にするのですが、曹操は袁紹の子を滅ぼした後、袁紹のお墓参りに行っています。そこで

「君がぼくを大きくしてくれた。ありがとう」

と言って哭泣するんですね。曹操とはそういう人です。

 かたや劉備はというと、正史ではゴロツキです。若い頃は公孫瓚などと一緒に学んだようですが、そこで目が出ず、現代でいうと派手な服を着てスポーツカーを乗り回し、音楽好きで遊び呆けているイメージです。

 しかし、そんな劉備の性格は、まさに老荘的な野人と言ってよく、無口で、自分の功績は人に譲り喜びや悲しみなどの感情は一切、外に出さなかった、と言います。劉備の場合、曹操と違って大将としての器は学問や努力によるものではなく天性のものであったと言えます。

 今まで何人も見てきましたが、要領の良い部下は上司の機嫌を取るのが上手です。かつて日本銀行でサラリーマンをしていた時、20数年生きてきて、初めてお腹の前で手を揉み揉みする先輩を見たときに衝撃を受けたものですが、上司におもねること仕事の成果と関係ないところで行われるようになると、組織にとってもマイナスに作用していきます(聞くところによると順調に出世をなさっているようですが)。しかし上司が喜怒哀楽を隠していれば、手をモミモミすることもできません

 さて、日本の戦国時代と同じく、三国志の時代というのは、大企業の経営者がみんなやり手で、市場の占有率を競っていたようなものなので、そこが面白いのですが、劉備は中小企業のトップで、前半生はずっと苦しいものでした。

 劉備 玄徳のクライマックスといえば「赤壁の戦い」の前後なんですけれども、このとき劉備は人生最大のピンチを迎えます。劉備が身を寄せていた荊州刺史の劉表が死んで、劉表の息子の劉琮によって、劉備は曹操に引き渡すべく売られそうになります

 実は、劉備の特技は逃げることなのですが、迫る曹操軍の報を聞いて、また劉備は逃げ出します。しかし、それまでと違ったのは、劉備の後を荊州の住民が追いかけてくるんですね。その数、数十余万人、というのは中国史お得意の盛り付けだとは思いますが、それにしてもかなりの人々が劉備を慕ってついていったのだと思います。

 そのため、劉備は住民が逃げるための船を関羽に用意させました。このとき、ある部下が劉備に進言したのですね。

「船で逃げなければならないのは私たちです。住民を連れて逃げれば、曹操軍に追い付かれたとき、足手まといになって戦うこともできません」

 このとき劉備は

「大事を済すには必ず人をもって本となす」

と言い放ちました。大きな事業を行うには人が最も大切だと言ったんですね。生きるか、死ぬかの瀬戸際に、なかなか言えるものではありません。そんな言い争いしていないで早く逃げろよ!というシーンなのに、迫力がすごい。マジで涙が出そうになります。

 曹操も「ただ才のみを求む」と標榜して、前科があろうが、不倫していようが、とにかくアンジャッシュの渡部とか東出みたいな人も、才能さえあればどんどん採用していった人なんですが、一度失敗があったならば簡単に切ってしまいます。諸葛 孔明も史上最高の名宰相との呼び声が高いですが、泣いて馬謖を斬っています劉備には人を斬る逸話がないんですね。

 老荘的な大人、劉備が、リーダーとしての資質は備えていたものの駆け引きの才能に劣っていて、にも関わらず中小企業から上場して天下の3分の1を手に入れることができたのは、まさにこの「人を本とする」思想に要因があったからに違いありません。

 一方で、劉備が曹操に勝てなかったのも事実です。劉備や曹操を上回る人物になるためには、覇道(力、才能によって道を開いていく)と王道(徳、心によって道を開いていく)とのバランスが重要になりますが、現代は覇道に寄りすぎちゃいませんかね、という気がしないでもありません。

(了) 2025 vol.013

ここから先は

0字

Podcast「チノアソビ」では語れなかったことをつらつらと。リベラル・アーツを中心に置くことを意識しつつも、政治・経済・その他時事ニュー…

この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?