カタルーニャの鳥たちはピースと謳う 篇
ぼくは今、東京では西東京方面にある調布市、という街に居付き、月の半分をそこで過ごしています。一方で、毎週木曜日に、ビジネス的なホームベースと言ってもよい福岡のローカル番組「めんたいワイド」のレギュラーコメンテーターを、もう10年近くも務めていて、今日も朝イチで福岡へと移動するため羽田空港のラウンジでこの記事を書いています。
つまり、月のもう半分は福岡で過ごしている、という、やや忙しない人生を10年続けていることになるのですが、必然的に移動が多い、ということは言うまでもありません。
移動時間の多い人の中には
「移動中に仕事やってしまう」
という猛者の経営者たちが割と多く見られる中で、三半規管があまり強くないぼくは、ほぼ、映画を見たり、それでも酔ったりすると音楽を聴いたりしながら過ごすわけです。
今日は、そんな中で最近、特にオススメのサブスクで拾ったオススメの映画や音楽たちをお届けしたいと思います。
移動中にポイントとなるのは、とにかく「暇つぶし」になるもの。そういう意味では、この映画に勝るものはなかなかありません。いや、内容も面白いんですよ。
なんちゅうんでしょう。星野源が俳優として大成するまでは、その見分けがあまり(個人的に)ついていなかった森山未来の好演も光ります。ただ、内容以上に、音楽がいいんですね。
映画版のオープニングは、フジファブリックの『夜明けのビート』で威勢よく始まります。
逆に、疲れている、もう眠りたい、、、というパトラッシュを従えたネロのような心境と体調の時には、敢えて社会派の難しい映画をチョイスします。前回、福岡から戻ってくるときにチョイスした映画が『ゾディアック』。
もうね。逆に、面白すぎて眠れませんでした。
意外と名作を見逃してるんだな、と改めて反省させられたのは、実際にアメリカで起こった猟奇的連続殺人事件「ゾディアック事件」を題材にしたサスペンス・スリラー。
社会派だと思ってみたのに、いや、社会派なんだけど、社会派ではなかった。超オススメです。
もう一本、こんなに賞も撮りまくっているのに、なんで今まで見てなかったの?という一本がコチラ。
『グランド・ブダペスト・ホテル』。
なんだよ、三谷幸喜かよ、的に身始めたんですけれども、ウェム・アンダーソン、侮りがたし。セット、家具などのセンスの良さもさることながら、そのストーリー。人生観の奥行き。どれをとっても一級品でした。
最後に、少し前に知人に
「林田くん、カザルスの”鳥たちの歌”って聞いた?」
と言われて、なにそれ、Creepy Nuts的な?とこれまた勘違い甚だしいのですけれども、後からよくよく思い起こすと
「嗚呼、パブロ・カザルスね」
という、今さらなにを言っとるのかね、チミは、と自省せざるを得ない会話が為されていたのでした。
パブロ・カザルス(Pablo Casals)は、20世紀の最も偉大なチェリストの一人で、彼の音楽家としての活動は、クラシック音楽界に多大な影響を与えました。
この「鳥たちの歌」(El Canto de los Pájaros)は、彼の故郷であるカタルーニャ地方の自然からインスピレーションを受け自然と人間の感情の深いつながりを歌った美しい楽曲。
何よりカザルス自身、音楽は単なる技術的なものではなく、感情や自然との対話であると強く信じていました。
この曲の中心的なテーマは、自由と孤独、そして帰るべき場所への思いです。カザルスは、鳥が空を自由に舞い、故郷に戻ることを夢見ている様子を通じて、聴く者に深い感情的な共鳴をもたらそうとしました。
また、カタルーニャという、特に政治的な信念を持たざるを得ない地域の事情、特にスペイン内戦時における自由と人権への渇望とも結びついています。
なんとなく、今のウクライナ=ロシア紛争、ガザやヨルダン、イスラエルを取り巻く環境を想って、友人はこの曲のことをぼくに教えてくれたんだな、と分かると急に恥ずかしくなってきました。
「これから短いカタルーニャの民謡《鳥の歌》を弾きます。私の故郷のカタルーニャでは、鳥たちは平和(ピース)、平和(ピース)、平和(ピース)!と鳴きながら飛んでいるのです」
彼は右手を高く上げて、鳥が飛ぶように動かしながら、ピース、ピース!とくり返します。
「この曲はバッハやべートーヴェンや、すべての偉大な音楽家が愛したであろう音楽です。この曲は、私の故郷カタルーニヤの魂なのです」
静まり返った会場に流れた「鳥たちの歌」。
巨匠の人生と思想が凝縮されたこの短い曲に、今を生きるぼくたちはどう答えるべきでしょうか。
それでは、行ってきます!
(了)
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