なぜ日記を書くのか?
僕が日記を書き始めてから、かれこれ2年くらいが経ちました。
必ずしも毎日書けていなかったり、辞めていた時期もあったりですが、500日ほど積み上がってきています。内容も、最初は200文字くらいだった日記も、今では2000文字を超え、写真やタグなども充実する中で、日々の記憶の栞として、僕の中で重要な役割を担っています。
今でもとり方は少しずつ変化しており、さいきんではGPSの記録を追加してみたり、タグ機能をフル活用して整理してみたりと、試行錯誤する日々です。
日記を書くことは、単なる日々の記録以上のものです。日記は自分の資産であると同時に、現在のAIをはじめとするテクノロジーの進化によって、更にその重要性が高まっていると考えています。
なぜ日記をとるのか?
そもそも日記とは何でしょうか?
日記は、個人が日々の出来事を記録した文書です。
内容は単なる記録から文学的なものまで多様で、長期にわたるものから特定の旅行の記録に特化したものまで様々。歴史的な観点から見ると、特定の時代や個人の生活に光を当てる重要な文化的・歴史的資料となることもあります。
ですが基本的に、日記は個人的な経験や感情、思考を綴ることによって、自己理解を深める手段として利用されます。
書くという行為そのものが、その時々の乱れた思考や鬱々とした感情を整理し、その問題を解決に向かわせます。そういった『道筋』が積み重なっていくことによって、それはのちに大きな資産となって自分を助けてくるのです。
そんな日記ですが、現代の社会情勢に伴って、よりその重要性を増していると考えています。
情報の洪水
現代社会において、テクノロジーの進化は膨大な情報の洪水を引き起こしています。
15年前、iPhoneの登場は我々の生活を一変させました。
これは単に技術の進歩という枠組みを超え、私たちの日常生活、コミュニケーションの仕方、情報へのアクセス方法に革命をもたらしました。スマートフォンが手軽に持ち運び可能なデバイスとして普及することで、いつでもどこでもインターネットにアクセスできるようになり、これが情報の流れを根本から変えたのです。
この変化は、私たちの生活のあり方に深く影響を及ぼしました。以前は、情報を得るために新聞を読んだり、テレビを見たり、図書館に行ったりする必要がありましたが、今ではスマートフォン一つで世界中の情報にアクセスできます。
そしてその一方で、こういったテクノロジーの進歩は人々が受け取る情報量に驚異的な増大をもたらしています。
SNSからネットニュース、Youtubeをはじめとした動画配信サービスや音楽のサブスクリプションに至るまで、僕たちは日々膨大な情報を受け取っています。
よく巷では「江戸時代の1年分の情報量が、現代では1日で我々に降りかかっている」なんてことが言われているほどです。
こうした驚異的な情報の増大は、言うまでもなくこうしたテクノロジーの発展が引き起こしたもの。僕たちの生活は便利になったのと同時に、情報過多によるストレスや焦りも生まれています。
こうした現代の情報環境の中で、は自己と向き合う時間を確保し、精神を安定させていく必要性があると感じています。
AI技術の台頭
さらに近年では、AI技術の進化も連日報道されています。
『生成AI』と呼ばれる一連の技術は、画像生成に始まり、文章、さらにはさらには音楽生成に至るまで、生成AIの応用範囲は日々拡大しています。
今、私たちがデジタル上で行なっている仕事のほとんどが、AIにとって代わられるというSF作品のような世界が到来するのも、もはや時間の問題でしょう。
そしてこの技術革新の裏側には、さらなる情報の洪水という大きな課題があります。
生成AIにより、大量かつ多様なコンテンツが瞬く間に生成され、私たちを取り巻くデジタル環境は一層複雑なものになっています。この情報過多の状況は、私たちの注意を散漫にし、何が真実で何が創作されたものかを見分けることを難しくしています。
このような状況の中で、私たちはどのようにして自分の軸を保ち、情報を適切に取捨選択していくのかが重要な課題となっています。
生成AIによって生み出されるコンテンツの洪水の中で、個々の情報の価値を見極め、自身の精神世界を豊かにするための選択を行う必要があります。
そのためには、テクノロジーの進歩をただ受け入れるだけでなく、それを自分の生活や価値観にどう組み込むかを深く考え、賢く利用することが求められています。
日記は古いカタチのまま
そんな風に、iPhoneやAIを代表とするテクノロジーの進化は私たちの生活を大きく変えています。
しかし、こうしたテクノロジーの進化にも関わらず、日記という形式は伝統的な手書きや簡素なテキスト入力の方法に留まっているように見えるのです。
日記iPhoneを活用することによって、写真やビデオ、音声メモを簡単に追加できるため、より豊かな表現が可能です。また、クラウド技術のおかげで、いつでもどこでも日記を更新し、過去のエントリーを閲覧することができるはずです。
しかし、そうしたカタチで日記を書いている人というのはどれくらいいるのでしょうか?
テクノロジーを正しく活用する
僕たちはテクノロジーを正しく活用することによって、その生活、ひいては人生をより良くしていくことができます。
AIは情報をフィルタリングし、私たちに必要な情報を提供する能力を持っています。と同時に情報の選択肢を増やし、過剰な情報へのアクセスも可能にしてくれると考えています。
AIを賢く活用することで、より豊かな人生を送ることも可能なのです。
具体的な例を挙げるのならば、『老い』という問題に対して、AIの活用はとても有効なアプローチであると考えています。
AIは私たちの経験や知識をデジタル形式で保存し、必要な時にアクセスできるアーカイブの役割を果たします。日々のライフログや記録をAIを通じて保存することで、失われがちな記憶や技能を保持する手助けをしてくれます。これは私たちの過去を形成し、老化による記憶力の減退に対処する方法として重要です。
それにそういった『補完』的な意味を超えて、きっとAIは認知機能の拡張にも貢献していくいだろうと予測しています。
AIを活用することで、老化に伴う認知機能の衰えに対抗し、クリエイティブな仕事や思考に深みをもたらすことができます。AIは文章作成やデザイン構想、データ分析などの高度な思考作業において、新しいアイデアや解決策を提供するサポート役を果たします。
かつては老化に対して抵抗するしかありませんでしたが、AIは老化プロセスを受け入れ、その影響を緩和し、生活をより充実させていくことができるのです。
日記はガーデニングに似ている
こういった中で、日記を書くという行為はすべての根本となります。
その時々の乱れた思考や鬱々とした感情を整理し、その問題を解決に向かわせ、そういった道筋の積み重ねはのちに大きな資産となります。
その資産がどう使われるかについては、『老い』の例を一例としましたが、その活用法はそれこそ無限大にあると考えられます。
突然ですが、日記を書くことはガーデニングに似ていると感じています。
毎朝少しずつ水を与えるように、日記に思考や感情を記録することで、自分の内面を育んでいきます。そして時間が経つにつれて、それは大きな資産になり、収穫の時期を迎える。
日記を書くことは、現代社会における重要なアプローチの一つとなり得ます。
一緒に日記を書きながら、自分自身の小さな種を育てていきませんか?