命のスープ~20章~
我が家はありがたいことに習い事を2つさせてもらえた。
1つはお母さんが決めたお習字。
八段を習得するまで習うこと。
もう1つの習い事は自分で決めてよいというシステムだった。
長女は英会話教室。次女はバドミントン。
私はピアノを選んだ。
仲の良いお友達が教室で弾いていて憧れた。
しかし始めてみると、そう簡単にはうまくいかない。
練習嫌いな私は、先生に怒られるのが嫌で、ピアノの教室まで車で送ってもらうと、車から意地でも降りなかった。
ドアのロックをかけつづけ、ピアノの先生のお父さんが飴ちゃんを持ってきてくれてようやく外に出た。
バイエルがつまらなく、基礎練習を投げ出した。
先生は音大を出て、初めて持った生徒であった私にありとあらゆる方法を試してくれた。
ポーンと弾いた音がどの音だったか当てるなど。
おそらく音感はここからきている。
そして、ピアノをしていたからともいえる弊害が今ボイストレーニングで出ている…。
私はピアノのように音を刻む。
ピアノは打楽器である。
人間の喉はそうできてはいない。
考えるとどんどん沼にはまっていく。
ちなみに、うちのお母さんはとてつもなく歌が下手なので、家で歌を口ずさむなんてことは全くなかった。
中学生、高校生になり、カラオケに友達と行く。
合唱コンクールに向けて練習をする。
その中で皆に誉められたりし、少し私の中で歌を歌うことが意味を持ち始めた。
大学生になり、ジャズ研究サークルに足を踏み入れ、おずおずと「ボーカルをさせてください。」と申し出た。
大学の実習先で、「実習生の一芸披露」という時間があった。
悩んだ私は歌を歌った。
それが非常に好評だった。
翌年、実習先の夏祭りに出演してほしいと依頼があり、出向くと
「控え室」や「謝礼」などが準備してあり、大変恐縮した。
300人を越えた人の前で歌うことになってしまった。
付け焼き刃で覚えた教育テレビの歌を歌った。
重度な障害を併せ持つこどもたちが笑ってくれた。反応表出ですら読み取りづらい方もいる。
ありがたいことだ。
私の声で動いた。
単純に嬉しかった。
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