「生理的に無理」という言葉について
「生理的に無理」という言葉は大抵の場合、「無理」である理由の言語化が簡単に出来ないことを「生理的拒絶」と錯誤しているのであって、むしろそれは社会的に構築された「無理」である。
「部屋が汚い女性は生理的に無理!」と声高に叫ぶ男性を想定しよう。彼は部屋が散らかっている女性を見ると、えも言われずゾッとする。このなんとも表現しがたいゾッとした感覚のために、彼は「無理」という言葉の前にわざわざ「生理的」を付け加えている。
しかしながらこの「無理」は多分に社会的なものである。「女性は身の回りを整頓すべし」という社会的通年(のようなもの)の影響を、知らず知らずのうちに受けた結果である可能性が高い。問題は、その影響があまりに身体の奥深くにまで浸透しているが故に、それが社会的なものであることに気づきにくいことである。「生理的に無理」がそこかしこで使用されていることは、我々の身体が社会の影響を強く受けている事実を自覚することの難しさも表している。
我々が生得的だと思う事柄であっても、その内容を微細に検討していくと、確かに社会の痕跡を見て取れることが多い。我々の身体も、感覚でさえも例外ではない。その意味で、我々はやはり社会的な生き物である。
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