みたか とおる

言葉による-社会への-ささやかな-抵抗

みたか とおる

言葉による-社会への-ささやかな-抵抗

マガジン

最近の記事

過剰な自意識は自己を滅ぼし、過小な自意識は他者を滅ぼす

    • 真理とは、観測数の多さに裏付けられた「尤もらしさ」の感覚である

      • 星に駆られて

        頭上には満天の星空が広がっている。 黒のキャンバスに散りばめられた宝石細工のように、数多の星々がきらきらと輝いている。 辺りはしんと静まり返り、星の明かりを除いて真っ暗だった。 僕とこの星空だけが存在している。 それは決して錯覚ではなかった。 スマホでも、ミラーレスでも、目の前に広がる景色をそのまま写し取ることはかなわなかった。 確かに、ある程度までは写し取ることに成功していた。 しかし写し取られたものは、僕の目の前に確固として広がっている、この星空ではなかった。 この

        • ハッピーエンドは、そこで話を終えるからハッピーエンドなのだ

        過剰な自意識は自己を滅ぼし、過小な自意識は他者を滅ぼす

        マガジン

        • 思索
          12本
        • 音楽
          2本
        • 今日のつぶやき
          6本
        • 散歩・街歩き
          2本
        • 1本
        • 読書目標
          1本

        記事

          「言おうとしたこと」が声にならず、「言うつもりのなかったこと」が漏れ出てしまう。それが人間が言語を用いるときの宿命です。 (内田樹『寝ながら学べる構造主義』p. 128)

          「言おうとしたこと」が声にならず、「言うつもりのなかったこと」が漏れ出てしまう。それが人間が言語を用いるときの宿命です。 (内田樹『寝ながら学べる構造主義』p. 128)

          「自分探し」はキライ

          「自分探し」という言葉がキライ。大嫌い。 この世で一番キライなのが雷、その次がパクチー、そしてこの言葉。 大学を休学してから、「なんで休学したの?自分探しのため?」と言われることが多い。 冗談じゃない。 自分は探すものではない。自分とは解体するものである。 「自分探し」のために旅行にでる人があるが、そんな理由はまやかしである。 まだ見ぬ自分を探すために旅に出るのではない。 自己を相対化し、安定的な自分の意味世界を崩すのが旅の効能だ。 発見されるものがあるとすれば、それ

          「自分探し」はキライ

          世界は協働=共犯によって成り立っている

          世界は協働=共犯によって成り立っている

          J. P. Sartre 『出口なし』 地獄とは他人のことだ (L'enfer, c'est les autres)

          J. P. Sartre 『出口なし』 地獄とは他人のことだ (L'enfer, c'est les autres)

          僕たちは一体何の権利でもって、他者を裁くことができるのだろうか?

          僕たちは一体何の権利でもって、他者を裁くことができるのだろうか?

          ぼんやりとした不安

          「ぼんやりとした不安」の「ぼんやり」は、不安の原因が文字通り漠然としているわけではないのだ。 むしろそれは、目の前すぐのところにあるものに、ピントが上手く合わずぼやけて映ってしまうように、不安の原因があまりにも我々の生と深く関わっているが故の「ぼんやり」なのである。

          ぼんやりとした不安

          たとえ「わからな」くても、考えることを止める理由にならない。 しかし「わからない」ことを考えることは辛く、苦しい。 「どうもへんだな。どうも腑に落ちない。分からないことを強いて尋ねようとしなくなることが、結局、分かったということなのか?どうも曖昧だな!」 (中島敦『悟浄出生』)

          たとえ「わからな」くても、考えることを止める理由にならない。 しかし「わからない」ことを考えることは辛く、苦しい。 「どうもへんだな。どうも腑に落ちない。分からないことを強いて尋ねようとしなくなることが、結局、分かったということなのか?どうも曖昧だな!」 (中島敦『悟浄出生』)

          【予告】旅とはなんだろう

          東京から遠く離れた今、僕は朔太郎の言葉の意味がほんの少しわかる気がする。 詳細は後日。

          【予告】旅とはなんだろう

          絶対普遍の真理が存在しない代わりに、人間にはただ「信じる」ことが許されている あらゆる言辞には「わたしは…であると信じる」という形式が潜在的に伴っている

          絶対普遍の真理が存在しない代わりに、人間にはただ「信じる」ことが許されている あらゆる言辞には「わたしは…であると信じる」という形式が潜在的に伴っている

          忘却と沈殿――2つの記憶

          私たちはこの人生において数え切れないほどの人々と関係を持つ。 そしてその記憶のほとんどは、時間が経つにつれて忘れ去られていく――ちょうどアルコールが揮発していくように、あるいは炭酸飲料から炭酸が抜けていくように。 記憶にとどまらない無数の関係がある一方で、いつまでも記憶にとどまってほしいと願うような特別な関係もある――家族や恋人といった親しい関係から、ほんの一瞬時間を共有しただけなのに忘れられない人まで、その内容は様々であるが。 しかしながら、終わりのない関係はこの世に存

          忘却と沈殿――2つの記憶

          曖昧である方がよい事柄は、白黒をつけようとした瞬間にその魅力を失う

          曖昧である方がよい事柄は、白黒をつけようとした瞬間にその魅力を失う

          同一の事柄が一面においては正しく一面においては誤っている、そういう矛盾と曖昧さをそのまま受け取りつつ生きることが、物事に白黒をつけるのとは別の意味での強さなのだろう。

          同一の事柄が一面においては正しく一面においては誤っている、そういう矛盾と曖昧さをそのまま受け取りつつ生きることが、物事に白黒をつけるのとは別の意味での強さなのだろう。