「文系の大学院って何するの?」

 こんばんは、つぇんです。

 この記事は文系の大学院の具体的な内容とか進路とかについて語るものではないので、大学院に行こうかな?と思っててこのページに辿り着いちゃった人は、多分他のページ見た方がいいよ。応援してます。

 この記事は小さな文系大学院生の主張です。お目汚し失礼します。


 私は実は地方の文系の大学院に在籍している。研究内容とかについては身バレの可能性があるので言えないけど、大学院の人文学研究科のようなところで、物をいじったりいじらなかったりしている。

 さて、表題の言葉は、大学4年生の後期、部活の後輩に「院行くんだ〜」と言った時に返された言葉だ。
 最初は全然、まあ世間一般的に文系の社会的地位って低いし(文部科学省?から経費削減されたりなど)、そんな認識だよね〜と、半ば自虐的に思っていた。
 なので、私はこれこれこう言う研究をする予定だよ〜と至極真面目に答えていたのである。

 最初はね?


 最近また別の後輩に「文系の院って何するんですか?」と聞かれ、
 なんかちょっとイラッとした。ストレスが溜まっていたのかもしれない。
 その後輩は単純に気になっただけなのかもしれないが、私はキレ気味に返した。


「研究するんだよ!!!!!!!」


 当たり前だろうが!


 すると後輩は、私の言動に戸惑いながらも、
「いや、それはそうなんすけど」
と宣った。
 そして私はさらにキレた。心の中で。

 じゃあ聞く内容は「文系の院って何するんですか?」じゃなくて、「院でなんの研究してるんですか?」だろうが!!!!!


 というわけで。
 文系大学院生である私が、かけられて今一番イラつく質問である、「文系の院って何するんですか?」のイラつきポイントについて説明していく。


 まず考えてほしいのは、この質問を理系の大学院生にするだろうか?というところである。

 「理系の大学院って何するんですか?」

 多分みんなこの質問はしないだろう。少なくとも小耳に挟んだことがない。
 うちの大学は総合大学で、理工系の学部の人は半分程度が皆大学院に進んでいた。理系の方々にとっては、「大学院進学」は割とポピュラーな選択肢らしい。就職なども考えて、その道のある程度のスペシャリストを目指す。
 一方人文系学部は、1学年100人以上の学部生がいながら、同大学の大学院に進学するのは10人ちょっとである。そのほかは皆しっかり就活をし、それぞれが望む就職先へ旅立っていく。大学に残るのなんてほんっっっっとうに少数派である。その為、理系の大学院生に比べて存在感が薄い。それはそうである。

 そもそも「院って何するんですか」質問に文系だの理系だのをつけなければ、大学に通う人たちであればその答えを知っているはずである。大学院は研究する場所。より学問を深める場所。それはそう。

 ところが、「文系の」がついた途端に、彼らは大学院生に対して疑問を浮かべる。

 それってつまり、「文系の大学院って何するんですか?」じゃなくて「文系って何するんですか?」と同義じゃないの??????
 さらにいうと、「大学院って研究する場所だけど、文系って何するの?研究してるの?」と言いたいんじゃないの???

 つまり(何回もつまって申し訳ない)、
人文系学生以外にとって、人文系学生とは、学部の頃から謎に包まれているのである。悪い意味で。

 お恥ずかしながら、うちの大学における人文学部は、「暇人文」と呼ばれている。
 文字通り暇人と人文をかけたもので、立派な蔑称だ。
 まあそう言われるのも無理はないカリキュラムになっている。理工系学生に比べて卒業単位数が少ないし、理工系学生に比べてちゃらちゃらしがちだ。単位取得は出席と適当なレポートがあればなんとかなるし、卒論についても4年生になってから相談を始めて間に合わすことができる(なんなら4年後期から着手している人もいた気がする)。
 理工系学生は一番やばいところで、2年次に毎日1コマがあったり、落とすと即留年!の単位が存在し、しかもそれを担当する先生が点数のみで判断し容赦なく不可の烙印を押す…など、側から見ていても大変そうだった。そう言ったヤバさが文系にも噂として伝わってくるんだから、その差は歴然である。

 さて、というわけで私の所属した人文学部というのは、しばしば馬鹿にされてきた。
 それは理工系学生からもそうだし、自虐的に人文系学生が言うこともあった。「まあ暇人文だから楽だよね〜」とか。
 ほんとに暇しているかどうかはさておき、カリキュラム的にそうなっているから仕方ないのである。

 人文は本当に暇人文であるのか?
 答えは一つ、「そんなん人による」である。

 そして、大学院に進む人間は、だいたい「暇人文」に値しないはずだ。
 大学院生には、必ず研究内容がある。それは学部の卒論の延長線上かもしれないが、一つの研究テーマを掲げ、そのテーマ/課題にアプローチする為の研究方法などがある。それは人文だろうと理工だろうと同じだ。知ってた?文系も研究してるんだよ?

 あらかた想像がつくかもしれないが、人文系の研究というのは、世間的に疎かにされがちだ。
 法学や政治学はさておき、言語学、歴史学、哲学、考古学系の学問というのは、一般人からしたら「それやって意味あるの?」「何になるの?」といったものばかりだろう。
 そういった質問が、研究テーマを考えるときや、研究計画書を書くときなど、毎度毎度文系の大学院生に降りかかる。
 だから彼らは考えなくてはならない。自分の研究の社会的意義や学術的意義を。マジで暇じゃないよ。研究に追われているしメンタル崩す人もいっぱいいる。院生いっぱいいないけど(人文院生ジョーク)。
 それは理工系の学生と同じなんじゃないの?なんなら理工系の学生より必死に考えているかもしれない。社会的に、文系を疎かに、馬鹿にする風潮があるからだ。

 「文系」と「研究」という言葉は、その風潮の中で生活していればなかなか結びつかないだろう。
 社会的に意味がなさそうな学問、何やってんのかよくわからない学問。
 文系と理系の学問は、違いが多すぎるのだろう。文系は答えが一つじゃないとか。理系からしたら、文系はきっととてもあやふやなものに見えている。
 でも、わからないから馬鹿にするって、何やってるのかわかんないし楽そうだから遊んでるやろ、みたいな感じで馬鹿にするのって、滑稽じゃない?

 もうちょっと広い視野で見られるといいね、と、思ってしまうね。


 …ノリで書いたのでめちゃくちゃな文章な上に、結局何言いたいのかわからなくなって来たのでそろそろやめようと思う。

 世の中の文系軽視がなくなればいいな、と思っているけれど、無意識に自分を貶めている文系の人もいて、その自虐が不幸を呼んでいるのではないかと思う。

 文系理系問わず、自分の研究もとい自分の好きなことに自信を持って生きていける世の中になってほしいよ。

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