タヌキの親子見聞録 ~熊野古道編②~
第1章 熊野古道の玄関口
「とにかく国道311号にぶつかればいいんだから」
レンタカーで滝尻王子を目指す出だしから、カーナビの案内と母ダヌキの案内が一致せず、カーナビの案内を選んで、この道でいいのか迷いだした父ダヌキに、母ダヌキは、手に持っていた道案内のメモを膝に置いて、落ち着かせるために言った。
「多分、しばらくカーナビ通りに行けば、必ず国道311号にぶつかるから。とりあえずこのままナビ通りに運転して」
知らない道で、ナビを見ながら運転すると事故に遭いそうで怖かったが、ナビが本当か迷いながら運転するのはもっと危険だった。
「到着時間が少し変わるだろうけれど、そんなに大差はないと思う」
本当は、前もって調べていた道の方が早かったのではないかと思ったのだが、カーナビの案内する道は広い道なので、安全面を考えると、時間がかかってもこちらの方がいいのではないかと母ダヌキは思いなおして言った。
「ほら、あそこにトンネルが見えてきたでしょ。あそこからは私が調べたルートと重なるから、この道で間違いないし、そんなに時間も変わらないみたいよ」
トンネルを抜けると、川沿いの道を国道371号のところまで道なりだった。道が空いていて、時間も予定より少し早くなり、到着したのは12時20分を少し過ぎたぐらいだった。
滝尻王子の駐車場に車を置き、山の中を歩くので首にタオルを巻いて、長そでを着、帽子を被り、滝尻王子の近くにある公衆トイレで用を済ましてから、滝尻王子宮でお参りして、その向かって左側の山道を裏の方へ入って行った。最近はクマ出没のニュースがよく流れていたので、昨年出羽三山神社を上る途中の御茶屋で買った鈴を兄ダヌキの腰につけて、音を鳴らしながら用心して登って行った。
「この道だよね」
登り道の取っ付きは、本当に何の変哲もない山道なので、これが熊野古道であっているのか不安になった。
「うん、間違いない。ほら、案内が出てる」
少し入ったところに建ててある道案内の存在に気が付いて、タヌキたちは安心して山道に分け入っていった。
そこから先の道は、ところどころ石で作ってあったり、普通の落ち葉の敷き詰められた山道になったり、たまに熊野古道の看板が出ていないと、本当に熊野古道を歩いているのか不安になるような、急傾斜の山道だった。
滝尻王子宮から5分ほど歩くと、熊野古道沿いに大きな岩が重なるようにしていくつもあった。
「あっ!これは『胎内くぐり』のできる岩じゃない⁉」
ガイドブックなどで調べていた母ダヌキは、岩と岩の間に出来た隙間を覗き込みながら言った。『胎内くぐり』とは、岩と岩の間を潜り抜けると、女性は安産ができるといわれ、その他の人も生まれ変われるとのいい伝えがあり、ここを通り抜けることで熊野古道の霊域へ入って行くという実感がわくだろうと、タヌキ一家はみんな通り抜ける覚悟で登ってきていたのであった。
「でも、この穴真っ暗だよ」
「こんな小さな穴、頭しか入らないんじゃない?」
小さな穴を覗いても少しの光も見えない穴の上はどうなっているのか、横の道を上って確認すると、出口のところに葉っぱがたくさん積もっていた。
「7月に降った大雨で出口が詰まっちゃったのかな?」
狭くて暗いところが苦手な母ダヌキも、せっかくここまで来たのだから、何とか頑張って穴を通り抜けようと思っていたが、出口が塞がれているのならばしょうがない。
「これは無理だから、今回は諦めよう」
タヌキたちは、目的であった『胎内くぐり』ができないのがわかると、少し肩を落として、さらに上を目指して歩き出した。山道の傾斜は厳しく、激しい呼吸音と、兄ダヌキの腰に付けた鈴の音が、熊野古道の玄関口である滝尻王子のすぐ後ろで賑やかに鳴っていた。
第2章 重要な観光スポットには看板がつきものだ
タヌキ一家が滝尻王子から登って、急な山道を登ること15分以上のところに、熊野古道と書いてあるのとは違う看板が出現した。そして、その後ろには大きな岩がまた出現した。
「あれっ⁉ちょっと待ってよ!あれって、本物の『胎内くぐり』の岩じゃない⁉」
看板を見ると、胎内くぐりの説明がしっかり日本語と英語で書いてあり、入口に立って見ると、さっきの頭しか入らないような穴と違って、小学校の中学年程度の子どもなら立って入れるような大きな穴が開いていた。そして、その中から向こう側を覗くと、ちゃんと人の頭より少し大きめの穴が待ち構えていた。
「あぁ~、さっきの穴に無理やり頭突っ込まなくて良かった!」
一番にさっきの穴を発見した母ダヌキは、そう言って笑った。
「無理やりさっきの穴に入って、出られなくて汚れるか、救急車呼ばなきゃならなくなったかもしれないよ」
「やっぱり、こういう大事な観光スポットには、たいてい案内板があるよね」
タヌキたちは、『胎内くぐり』の岩を勘違いしていたのに気付き、安堵した。
「でも、やっぱり抜け穴は小さいよ。通れるかな?」
狭いところが嫌いな母ダヌキは、肝心なところで怖気づき始めた。
「ここまで来たらやらないとね」
父ダヌキは、背負っていた大きなリュックを母ダヌキに渡すと、先頭を切って『胎内くぐり』をやろうとした。
「ちょっと待って‼暗くて涼しいところにはハミ(マムシのこと)がおるかもしれんよ」
母ダヌキは心配になって、もう一度、岩の穴の広いところに、スマホの光を当てて、危険な生物が居ないか確認した。
「うん、大丈夫。行ってもええよ」
安全確認された『胎内くぐり』の岩に、父ダヌキ、弟ダヌキ、兄ダヌキと入って行った。出口が少し上あたりにあって、両手を使って這い出るようにしなくてはならないので、母ダヌキは狭いところにつかえるのも嫌だったが、狭い穴を通り抜けるのに服を汚すのも嫌だなと及び腰になった。
「おっかあはやらないの?」
迷っていると、子ダヌキたちが『胎内くぐり』の岩の抜けたところから降りてきて言った。
「うん・・・」
「荷物持っててあげるから行ってきなよ」
父ダヌキも降りてきて、自分のリュックと、母ダヌキのカバンを持って言った。
「やっぱり怖い?」
父ダヌキに言われて、こんなところまでせっかくやってきたのに、抜けなかったどうしようとか、汚れたら嫌だなと思っている自分が、母ダヌキはダメだなと思った。
「いいや、やるっ‼」
母ダヌキはそう言うと、穴の中へ入り、上に光る出口の穴を見つめた。頭は入るだろうが、問題はお尻だなと母ダヌキは思いながら、
「お父さんだって通れたんだから、私にもできる‼」
と、頭を振って、勇気を出して手を伸ばした。両手で岩の出口を持つと、頭から胸のあたりまですぐに出ることができた。『胎内くぐり』の岩の出口で、母ダヌキが詰まったら引っ張ってやろうと待っていた兄弟タヌキが手を差し出したが、
「大丈夫。自分でできる」
と、断ると、足をしっかり出口近くの岩にかけて、ジーパンを汚しながらも、何とか這い出ることができた。
「おっかあ、通れるじゃん」
「おっとう!おっかあ通れたよ‼」
兄弟タヌキは、通れなかったときのために『胎内くぐり』の入口付近で待っていた父ダヌキに大きな声で知らせた。
「私にもできるじゃん。全然楽勝で通れた」
穴から這い出ると、母ダヌキは汚れたジーパンを叩きながら、息を切らせながら言った。下から『胎内くぐり』の岩をまわって登ってきた父ダヌキは、
「出てきたところ写真で取りたいから、もう一度やって」
と、母ダヌキに言ったが、
「いやだ」
と、即座に断られた。
第3章 熊野古道の難所に挑む
『胎内くぐり』のすぐ上に、『乳岩(ちちいわ)』と呼ばれる岩屋がある。平安時代の末期、奥州平泉の武将藤原秀衡が妻と熊野詣に来た際、妻が急に産気づき乳岩で出産した。無事生まれたが、出産が死と同じぐらい忌み嫌われていた時代の話、どうしたものかと悩んでいたら、その夜、夢枕に熊野権現がお立ちになり、乳岩に赤子を残して旅を続けるように告げられた。秀衡夫妻が赤子を乳岩に残して熊野詣をしている間、山のオオカミが子を守り、岩屋から滴り落ちる乳を飲んで、両親が返ってくるまで無事育ったという。熊野古道には、こういったいくつもの伝承や伝説が今も語り継がれている。岩屋の中にいらっしゃる赤い前掛けをしたお地蔵様の石が、登ってきたタヌキたちを良く来たと迎えてくれた。この滝尻王子から出発するコースは、最初の1kmで300m登るという熊野古道内でも難所と言われるコースで、出発してまだ間もないのに、タヌキ一家は乳岩の前で乱れた息を整えるために、飲み物を飲んで小休憩を取らなければならなかった。
乳岩から登る道は、本当に「熊野古道」か?と思うような木の根があちらこちらに飛び出した、歩き難い山道で、山中の木陰を歩いているのだが、全く涼しくはなく、子ダヌキたちは何度も立ち止まって飲み物を飲んでいた。大きなリュックに、予備の飲み物を持って登る父ダヌキは、暑さと重さに耐えながら急斜面を登らないとならないので、みんなから徐々に遅れを取り出した。石畳が見えず、木が生えているだけの急斜面が、いつまで続くのかと見上げると、
「道は合っているよね?」
と、思わずにはいられないくらい、本当に山道だった。
「これ熊出てくるんじゃない?」
「兄ちゃんと離れたら、鈴の音が無いからやられちゃう?」
先頭を行く弟ダヌキは、不安になって、何度か兄ダヌキを待ったが、どうしても兄ダヌキが追いつくのが遅い時は、両手をオの形にした口の前で叩いて、ポ~ン、ポ~ンと鼓を叩くような音を出して、クマが出てこないように用心しながら登って行った。
少し平らな道が出てくると、
「もう着く?」
「そろそろ引き返す?」
と、子ダヌキたちは飲み物を飲みながら親ダヌキに聞いてきた。予定としては、滝尻王子から一番登り切った展望台まで行こうとしていたので、
「もう少しかな」
と、展望台の案内板が見えないので、残念に思うのを隠しながら母ダヌキは答えた。それを何度か繰り返していると、山奥に立派な石の階段が現れてきた。
「『熊野古道』って感じにようやくなってきたね」
母ダヌキはそう言って、息を切らしながら子ダヌキたちが登る姿を写真におさめた。
第4章 和歌山でヤッホーを叫ぶ
石段を頑張って登っても展望台は見当たらなかった。一番先に行く子ダヌキたちは、
「もう引き返す?」
と、何度も振り返り、一番後ろを登る父ダヌキは、大きなリュックを背負って、真っ赤な顔をしながら追いつこうと一歩一歩足を斜面に踏み出していた。母ダヌキは、その間を、上を見たり下を見たりしながら、時間的にそろそろ出現してもいいはずの展望台が見えてこないことを不安に思って、これからあとどのくらい歩けるのか考え始めていた。
暑い中、さらに10分以上歩き続けると、落ち葉に埋め尽くされた平らな場所に再び出た。
「看板があるよ」
そこには『剣ノ山経塚跡』という案内板があって、少し離れた場所で、生えて2,3年たったぐらいの木に『剣ノ山371m』と小さな掛札があった。
「ここが剣ノ山なら、もう少しで展望台のはずだよ」
母ダヌキは、少し安心して、カバンから麦茶を出して飲んだ。子ダヌキたちも、平らな場所で休憩しながら飲み物を飲んでいると、父ダヌキが石階段のあるほうからようやく登ってきた。
「父さん、みんなの飲み物持っているから、はぁえらくて(疲れて)やれん!」
真っ赤な顔をして、父ダヌキは、他のタヌキたちにジラをくった(駄々をこねた)。
「みんな!そろそろもう一本の飲み物がいるでしょ。父さんのリュックから一本ずつ取ってあげて。そうしたらリュックが軽くなるから」
母ダヌキがそう言うと、麦茶のペットボトルが空になった兄弟ダヌキは、我先にとスポーツドリンクを父ダヌキのリュックから取り出した。
「ここがこのコースの一番高いところになるはずよ。展望台まではあと少しのはずだから、もう少し歩こう」
母ダヌキは、父ダヌキに言うと、父ダヌキはスポーツドリンクを半分ぐらいまで一気に飲んで、真っ赤な顔で頷いた。少しも涼しくない木陰でスポーツドリンクを飲んでも、次から次に体中から汗になって出てくるようで、汗がとめどもなく流れた。しかし、剣ノ山の山頂から少し進むと、下っていく道が目の前に出てきたので、何とかもう少し頑張れそうな気がして、再度歩き出すタヌキ一家であった。
「ほら、あの案内板に展望台って書いてある」
剣ノ山から10分ほど歩くと、木でできた階段が出てきて、最後の力を振り絞って登ると、遠くの山が見渡せる場所があった。『飯盛山341.1』という掛札が柵にかけてあり、それを持ちながら記念写真を撮った。
「せっかくこんなところまで登ったんだから、やまびこしようよ」
母ダヌキが言うと、思春期真っただ中の兄ダヌキは嫌な顔をした。
「ほら、あっちの山に向かって。旅の恥はかき捨てっていうじゃん。誰も見てないし、大丈夫よ」
「ほんと、こんな暑い時に歩いてる人誰もいないよ。誰だよ、外国人がたくさん来て歩いてるって言ったの」
父ダヌキも、ようやく真っ赤な顔の色が落ち着いてきて、しゃべられるようになってきた。
「ヤッホー‼」
弟ダヌキが叫ぶと、兄ダヌキも、
「ヤッホー‼」
と、少し低音でかすれた声で叫んだ。
「何も返ってこんね」
弟ダヌキは少し残念そうに言ったが、頂上で大きな声で叫ぶのはとても気持ちよかった。
行きよりも帰りの方が早く降りられたが、行きで足を酷使していた親ダヌキたちは、膝がどうにかなりそうな急斜面を、登る時以上に気を付けて降りた。
『胎内くぐり』の大岩のところまで30分かけて降りると、初めて人に出会った。しかも外国人だった。タンクトップに半ズボンの外国人のカップルは、『胎内くぐり』の説明板を読むと、岩の穴を覗き込んだ。父ダヌキが、もう一度中の様子を写真に撮ろうと先に入っていたが、大きな外国人の男性が穴を見て「Small」と言っていたのを聞いて、
「スモール、スモール」
と言って、声をかけた。確かに、その男性は、あの穴を通り抜けるのは難しそうだった。穴を覗いている外国人カップルを後ろに、滝尻王子に戻ったのは14時半前だった。駐車場に戻るまでに公衆トイレがあったが、そこにも外国人のグループが、大きなバンを借りて旅の途中のようで何かしていた。日本人の観光者もいたが、滝尻王子ではなく近くにある熊野古道館の方へ歩いて行った。もっとたくさんの人が歩いていると思っていたタヌキ一家は、夏に熊野古道を歩く人がほとんどいないことを初めて知った。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?