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★思い込み発見伝★vol.3[自己中心的な私]だと、なぜダメと思っているのかを深堀り

自分の根源には、私は自己中心的になってはいけない、という考えに基づいて今まできたよう、ということに気づく。

人間の根底にある「求めるもの」

人が求めることは、愛したい、愛されたい。
そのために、こう「しなければ」愛されない、愛せない、こう「してしまったら」愛されない、愛せない、といった価値観が誰しも持っているもの、と教えられる。

その価値観を作り上げる要因は、家族など近しい人の影響。
私は、「(相手が)自己中だと愛せない」「自分が自己中だと愛されない」の両方を持っていると思った。
家族に焦点をあてると、母に対して「自分が自己中だと愛されない」と感じているのでは?と。

母に対する恐怖のようなもの

幼少時の私から見ると、母は子供にも、第三者にも怒る、厳格なイメージがあった。
具体的には、
❶水遊びをするなら、裸にならないとだめ、ならないなら遊ぶなと。→裸にはなりたくなくて遊べなかった。
❷幼稚園の時具合が悪くなって休園するとき、自分で休むと言いなさいと、幼稚園までは送ってくれたが一人で先生に言いにいった。
❸田んぼで遊んでドロドロになって帰ってきたたしこたま怒られた。何度か家を出されたことがあるが、この時も家から追い出されたような。

以上のことが今でも鮮明な記憶にあり、自分のしたいことを抑えないといけないことが多かった。

怒りや悲しみを吐き出さないことには、喜びや楽しさを本当に味わえない

母への怖さのようなものを吐き出すことが課せられた。
ここは難しかった。
相手に対する怒りをどんなに吐き出しても、何か残るももがあって。
ぬいぐるみを投げつけて暴言を吐きだしても、体は疲れるけど、気持ちがまだ完全には許せない感じ。
そこで、自分を慰めることに。
よく耐えた、頑張った、自由に遊びたかったね、と。
これはキタ。自分を抑えていたことがよくわかった。涙が自然とあふれ出る。
吐き出し山の9合目までは来られた。
頂上はもう少しだけど、まだ登り切っていない感じが残った。