(小説)異・世界革命Ⅱ 空港反対闘争で死んだ過激派は異世界で革命戦争を始める 04
新国王は、王族救命の功でレオンを伯爵から公爵に陞爵させることをその場で宣言した。
レオンは、王宮の司法・行政と戦闘部隊⋯今は三百人しかいないが⋯を指揮する指揮監督権者に勅任された。王都パシテは、王宮の付属物とみなされる。なのでレオンは、王都の事実上の軍事独裁官だ。
しかし、よほどのことがなければレオンは独裁権を行使しようとはしない。シャルル一世に耳打ちして策を授け、勅令として発布させた。レオンの提言は、必ず採用されるのだから、国王を通した方が良い。独裁者となったレオンだが、神ではない⋯前世は女神だったが⋯。後知恵で揚げ足を取ることは容易だ。しかし国王の勅令を後から非難することは、誰にもできない。
ついさっきレオンの推薦で国王秘書官に勅任され王宮メイドから大出世したローザがシャルル国王の横につき、動かぬ証拠の『お言葉』をひと言も漏らさず記録している。
レオン・マルクスは、日本人の新東嶺風の転生だ。左翼とはいえ無意識に日本的無責任体制の元である天皇制を模倣していた。
レオンは、国王という絶対に責任を問うことのできない神格的な存在を政治利用している。その神格的な存在に形式的に政策を通すことによって、為政者の責任を神的な王権の中に蒸発させてしまうのだ。この手口を使うと権力・強制力は行使できるのに、責任の所在は消えて無くなってしまう。
レオンと話している内に、シャルル一世の顔色がだんだん明るくなっていった。レオンは、問題を丁寧に解いてみせる教師のように、文字通りシャルルを導いていった。
「優先順位が高いものから、手を打っていきましょう。数日後に来るかもしれない領主軍の騎馬部隊よりも、王都警備隊本部を占拠している目の前の反乱軍を無力化します」
「だが、王宮からは部隊は出せないと言ったではないか?」
「二十人ほどなら、出せます。おそらく王都警備隊長官は殺されています。しかし、占拠されたのは警備隊本部だけです。他の地区警備隊は、警備隊本部との連絡を絶たれ、現状を把握できていません」
「地区警備隊は無傷か。早急に王都警備隊長官を任命せねばなるまい」
「はい。新しい王都警備隊長官には「全警備隊員は王宮前広場に集合せよ」と通達させます」
国王が直問中に廷臣が口を挟むなど、普通は考えられないのだが、誰かが言った。
「警備隊が領主騎兵隊に勝てるのか?」
まあ、もっともな疑問だ。レオンの計画は、警察署から警官をかき集めて米軍の精鋭部隊と戦わせろというようなものだ。
「たしかに戦闘になったら勝てません。王宮前広場に警備隊を集めるのには、他に目的があります。フランセワ王国政府が機能していることを目に見えるかたちで示し、敵を孤立させるのです」
「敵の戦意を殺ぐわけか。では、王都警備隊長官にはレオンを⋯⋯」
レオンが手を上げて押し止めた。
「お待ち下さい。私は王宮内で指揮を執らねばなりません。各地区警備隊に出向かねばならない警備隊長官を兼務するのは無理です。王都警備隊長官にはジルベール中佐を推薦します」
「ジルベール? おおっ、フォングラ侯爵家の傷の男か。助けられたぞ!」
新国王のジルベールに対する覚えは、至ってめでたいようだ。
「はい。決死隊を率いて王族の間に最初に突入した男です。ジュスティーヌ王女殿下がルーマで暗殺団に襲われた際には、ラヴィラント隊長と共に五人の賊と戦い、顔に太刀を浴びても一歩も退きませんでした」
シャルル新国王は、大いに喜んだ。賊徒と戦える者がレオンたった一人だけとは心許ないが、他にも勇猛な男がいた! 敵をなぎ倒し血刀を振りかざして王族の間に突撃してきた男だ。
貴族たちは、ジルベールがレオンの弟分で、親友に近い仲だということを知っている。ジルベールは、生まれや育ちからみても民衆派だ。「レオンという男は、この混乱に乗じて自分の派閥の権力を固めるつもりなのか?」。もちろんその通りだ。
妾腹の不良にしか見えないジルベールをほめちぎって国王に推薦するレオンに、多くの貴族は眉をひそめた。しかし、表立って反対もできない。対案がないからだ。だが、いずれ反乱部隊が鎮圧された時には⋯⋯。「それまでは待ってやる。それからだ。下民にへつらう粗暴なやつらを排除するのは⋯⋯」。
今の局面では、戦闘という暴力が全てを決する。王宮の部隊が領主軍に負けたら、この場の全員が殺されても少しも不思議ではない。必要なのは軍事指揮官だ。シャルル新国王も貴族たちも、そんなことは分かりきっていた。だからジルベールの抜擢に、ためらいはない。
「ジルベール・ド・フォングラ中佐を、王都警備隊長官に勅任する」
引っ張ってこられ直立不動の姿勢で国王の前に立ったジルベール中佐が、拝命した。レオンが口を出した。
「王都警備隊長官は、中佐では務まりません。併せて進級が必要です」
「それはそうだな。警備隊長官の階級は?」
「少将です」
ジルベール中佐はその場で二階級特進し、二十二歳でフランセワ王国史上最年少の将官になった。本人が一番驚いている。
レオンが呼び込んだカムロたちが、例のコンニャク印刷機を使ってたちまち印刷した。三十枚ばかりの紙を受け取ったレオンは、ジルベールに押しつけた。
「ほら、全部にサインしろ。⋯⋯くっそ、警備隊印が無いな。仕方ない。陛下、王章をお借りします」
「あ、ああ⋯⋯。好きにしろ」
レオンとジルベールとローザの三人で、あっという間に王都の警備隊を掌握するための命令書がつくられた。
「王都警備隊本部が、武装した反乱部隊により占拠された。警備隊長官の所在は不明である。国王陛下は、ジルベール・ド・フォングラ少将を新長官に勅任された。王都警備隊は、フォングラ少将の指揮下に入る。各地区警備隊は、地区分署に最小限の人数を残し、速やかに王宮前広場に集合せよ」
王都警備隊本部が占領されているため警備隊印が無く、代わりに王章と王宮親衛隊印を押印した。
「よし。騎馬隊に渡して地区警備隊に配らせろ。警備隊兵が集まったら、王宮の武器庫を開き武器を分配する。二十人ばかり親衛隊を貸すから部隊を編成し指揮をとらせろ」。第四中隊の騎士は、全員が中隊長水準の指揮統制訓練を受けている。
ジルベールがニヤニヤし始めた。こいつも頭が良い。レオンにだけ聞こえるように小声で言う。
「敵の騎兵部隊がここまで突入してくると、本気で考えてるんですか? へへ⋯」
思わずレオンも笑いそうになった。だが、居並ぶ貴族どもを黙らせるには、やつらを案山子に怯えさせていなければならない。
「可能性はあるだろ。敵部隊の攻撃があった場合は、おまえが指揮を執り、王宮前広場で全滅するまで戦え」
「どうして王宮前広場で戦うんです?」
「敵が狙うとしたら王宮だろ。それに街で戦闘したら、民衆に被害がでるだろうが。火事が出ても消すやつはいないぞ」
あくまでレオンは、民衆派だった。「民に被害が及ばないように王宮前に敵を引き寄せる」というレオンの計画は、ノブレス・オブリージュにかぶれた若手騎士たちを感動させ、「王宮より平民街を優先するのか」と戦闘に巻き込まれるのが怖い保守派貴族を憤激させた。
「ジルベール長官は、伝令を使って王宮から指揮を執れ。警備兵が集まるまで、オレ⋯王宮最高指揮官の近くから離れないこと」
まだまだカウンタークーデターの仕事は山積みだ。レオンは、小走りでシャルル新国王の前に立った。今でも戦争状態ということになっているので、礼法は免じられる。
「報告いたします。軍総司令部と連絡が取れません」
正式には、『フランセワ王国軍総司令部』。常備軍である十個軍団十万人を擁する。さらに士官学校、特殊部隊、保安部、情報部、特務機関なども加え、計十一万人を指揮するフランセワ王国最大最強の暴力装置だ。司令部は王宮近くの官庁街にあるのだが⋯⋯。
シャルル新国王は、思わず王座から腰を上げた。
「軍総司令部が? どういうことだ? まさか敵に?」
百年近くも本格的な戦争がなかったため、軍総司令部は無能貴族の閑職となっていた。おかげでレオンがこのチャンスを掴むことができた。
「戦闘突入前の深夜から何度も使者を送っているのですが、拘束されたり追い返されたりです。しかし、敵対行動を取るわけではありません⋯⋯」
この非常時に王宮親衛隊からの使者を軍総司令部が拘束するとは、どういうことか? 困惑するシャルル新国王に、レオンがこの男らしい率直な物言いをした。
「どちらが勝つか、日和見していたのでしょう。反乱軍を王宮から叩き出したことを知ったら、向こうからやってくるのではないかと」
シャルル新国王は若い。若いから潔癖であり、卑怯なやつが嫌いだった。
「おのれっ! 軍総司令官を解任するっ!」
レオンには、それだけでは足らない。
「今回の不服従は、軍総司令部の総意ということになります。軍総司令官だけでなく全幕僚を調査し、抗命した者は拘束し軍法で裁くべきです。そのうえで各地に駐屯している軍団を王都防衛に呼び寄せましょう」
軍団は、主に国境地帯に配置され、敵対国と対峙している。その軍団を王都に向けるのか? それは、しかし⋯⋯。
「来るとすればですが、領主領軍の騎馬部隊が王都に到達するのは、おそらく五日か六日後です。軍団は徒歩ですので、一番近い部隊が最速で進んでも五日はかかります」
シャルル新国王は考え込んでしまった。やはり軍団を国境から離すことを危惧しているのだ。
「千名程度の騎馬部隊など、一万名の軍団が接近していると知ったら、引き返します。この処置で、王都内での戦闘を未然に防ぐことができます」
殺された父王同様に、シャルル新国王も平和主義者だった。外国との戦争は避けたい。そのためには敵対国に隙を見せたくない。
「駐屯地にいくらか軍団兵を残して、敵対国を牽制します。ついで王都に到達した軍団の圧倒的な軍事力をもって速やかに反乱を鎮圧。再び国境にとって返せばよいのです。作戦は十日間で終了します」
たしかにこのまま反乱軍とにらみ合っていても、どうしょうもないのだ。再び敵の奇襲を食らわないとも限らない。今の王都では、なにが起こるか分からない。シャルル新国王としては、一刻も早く事態を収拾したい。
「それしかない⋯か⋯。だが、軍総司令官はどうする?」
これこそレオンが欲しかったものだ。『なにくわわぬ顔』とは、このことをいうのだろう。
「私が、やらせていただきましょう。いずれ軍団が王都に到着したら、王宮最高指揮官の指揮下に入ることですし」
猫なで声のレオンは、新国王のみならず居合わせた高位高官貴族をだまくらかした。たしかに緊急時の武官職には、レオンが最もふさわしい。しかし、こいつに軍権を与えたらどうなるか、この場でそこまで考えることができた者は数名だった。何万もの軍を首都に引き込んで忠臣ヅラをしたレオンは、なにをするつもりなのか? 数時間前に集団で斬り合い、ついさっきまでいくつもの死体が転がっていたこの王族の間で、そこまで考えを至らせることは難しいだろう。シャルル一世も同様だ。
「ああ、早急な事態収拾には、それしかないだろう。レオン・ド・マルクスを大将に進級させ、フランセワ王国軍団総司令官に任命する。緊急勅令だ」
緊急勅令は、大臣たちの会議や承認をすっとばした。アッという間にローザ秘書官が、公文書にして王章を捺してしまった。
女性王族の序列一位として王妃の席に座っていたジュスティーヌは、三年半も夫婦として暮らしていたので気づけた。隠しているが、レオンは喜色満面だ。
実際にレオンは、ガッツポーズでも取りたい気分だった。王都の治安警察組織は、親友のジルベールが握った。シャルル新国王の最側近として、妻のジュスティーヌとカムロメンバーのローザ秘書官が控えている。そしてレオンが、王宮・王都の独裁権と国軍の指揮権。王都内に軍団を進入させる許可まで取った。
王宮に巣くっている貴族どもには、軍事力も新国王の信頼もない。「官僚が貴族ヅラして威張り返りやがって。さぁ、寄生虫退治だ!」。たんまりと恐怖を味わせてやろう。
「陛下、軍団の到着前に王都の反乱軍を壊滅させる手を、できる限り打ちましょう。領主貴族どもやブロイン帝国の介入、それに民の被害を防ぐためにも、手を打つのは早いほどよいでしょう。軍団の投入は最後の手段です」
ついさっきは、軍団を呼び寄せて反乱を鎮圧するとか言ってたくせに⋯⋯。レオンは、窓を指差した。王族の間は、王宮の五階にある。現代の日本ならマンションの十階くらいの高さだろう。
「ご覧ください。数十万もの民が、フランセワ王家を慕って王宮を取り囲んでいます」
実際は単なる野次馬で、なんの役にも立たない烏合の衆なのだが⋯⋯。王座を立って外を眺めた新国王は、王宮の周りにひしめく王都民の数の力に圧倒され、感動してしまった。
「父王陛下の仁政の賜物だ。たしかに軍団の王都での戦闘は、最後の手段にしたい」
「はい。悪逆な反乱に民も憤っております。王都の総力を挙げ、反乱軍撃退に協力させましょう」
実は、これがレオンの最もやりたかったことなのだ。これに比べれば、軍の指揮権さえも問題ではない。そのために都合のよいことをベラベラしゃべり、若い新国王を煽る。
誰かが異を唱える前に急いでローザ秘書官に、口述筆記をさせた。カツオ節を前にした猫のようだ。
「本日深夜に王宮内で一部の悪逆な貴族による反乱が発生した。王宮親衛隊の反撃により反乱は速やかに鎮圧され、王宮内の敵は既に壊滅した。しかし、少数の敵敗残部隊が王都内市街地に逃亡し、一部は王都警備隊本部に逃げ込み同所を占拠している。フランセワ王国国王及び王宮最高指揮官は、全ての王都民に対して、いついかなる場合においても反乱部隊に属する集団・個人に対する飲食料、移動手段の提供など、あらゆる便益の供与を厳に禁止する。この緊急令に反した者は、反乱に組したとみなされ、最高刑に処せられる。反乱分子から貴族位とそれに伴う特権、ならびに国家に保護される権利は、全て剥奪された。王都パシテの治安責任者である王宮最高指揮官は命令する。全ての王都民は、その身分を問わず武器を取り、残存反乱分子を摘発し、発見し次第攻撃せよ。武器は、王都警備隊により供給される。武器が不足する場合は、熱湯、布切れ、棍棒、レンガ、包丁などあらゆる物を武器に転用せよ。地の利を生かし、時と場所を選ばず敵を攻撃せよ。反乱分子を倒した者には、あまねく報償が与えられる。
フランセワ王国国王シャルル一世(王章)。王宮最高指揮官・軍総司令官レオン・ド・マルクス大将(王宮印・親衛隊印)。王都警備隊長官ジルベール・ド・フォングラ少将(急遽作らせた警備隊印)」
ローザ秘書官が筆記した高級紙を満足げに手にしたレオンは、うやうやしげに新国王に差し出した。
「どうぞこちらに、ご署名と王章をお入れ下さい」
この肝心な時に立ち上がり、声を上げた男がいる。
「それはっ! お待ち下さい!」
元王宮親衛隊騎馬隊隊長のラヴィラント伯爵だ。野盗に襲われたジュスティーヌの救援に駆けつけたり、レオンとジュスティーヌのルーマ巡礼隊の隊長も務め、暗殺団に襲われた時にはジルベールと共に先頭に立って戦った。レオンとは、よく知った仲だ。そういえばラヴィラント隊長からカネを借りては、毎晩のように乱痴気騒ぎをしたこともあった。
ラヴィラント伯爵家は、フランセワ王家の股肱。代々の忠臣で、数多い伯爵家の筆頭だ。侯爵に陞爵しないのは、中位貴族のまとめ役として期待されていたことと、侯爵にしてしまうと実務に使いにくくなるためで、家格では並の侯爵家よりも高い。
ラヴィラント伯爵は、親衛隊騎馬隊の隊長職が気に入っていたが、国王直々に王太子をはじめとする王子たちの教育・調整係に勅任されていた。次期国王の教育係なのだから、国王が代替わりしたら宰相に任命されると目されていた。文官となり、王太子らと寝起きを共にしていたので、クーデター軍に捕らわれ監禁されていた。
レオンは、王宮貴族など馬鹿にしきっていた。なので頭が良くて気骨のあるこの男を見落としていた。舌打ちしたい思いだ。男女王族のトップを丸め込んで、事実上の軍事独裁者と化しているレオンに刃向かうラヴィラント伯爵は、決死の面もちだ。
「民衆に武器を渡し、戦に差し向ける。そのような布告は、おそれながら我がフランセワ王国の将来に、多大な禍根を⋯⋯」
即座にレオンは、ラヴィラント伯爵を政治的に殺す決心をした。「ラヴィラントさんに、これ以上喋らせたらヤバい!」。そして昔のスターリン主義国の悪辣政治家のような真似をすることにした。⋯⋯政治はきれいごとではない。
「伯爵の地位にありながら、反逆者どもと戦おうという布告に反対するとは、信じがたい暴挙ですな。王太子殿下をお護りもせずにどこに隠れていたのやら。⋯⋯スパイかもしれない」
「なっ!」
「ええっ!」
「そんなっ!」
「いやっ! それは!」
人格識見に優れており、そもそも王太子が国王に即位したら宰相の座が約束されていたラヴィラント伯爵が、クーデター軍のスパイのはずがない。レオン以外のその場にいた全員が、新国王も含めて仰天した。
たまりかねたジュスティーヌ王女が、割って入った。ラヴィラント伯爵のことは子供のころから知っている。ルーマのクラーニオの丘では暗殺者から命を救われた。
「あなたっ! ラヴィラント伯爵に、それはあまりに⋯⋯」
なにも言わず、冷ややかにジュスティーヌを見下ろすレオン。その目は「黙っていろ」と言っている。レオンがこの目をした時に無視をすると、大変なことをしでかす。ラヴィラント伯爵を殺してしまうかもしれない。レオンの性格を熟知していたジュスティーヌ王女は、下を向きそのまま黙ってしまった。その場にいた貴族は、弟国王の前で王女を黙らせたレオンに恐怖の目を向けた。
おそらくこの場で最も賢いジュスティーヌは、考え込んだ。「あの温厚なラヴィラント伯爵の強硬な反対。レオンのあわてぶり⋯⋯。なにかある⋯⋯。なに? 民衆に呼びかけて反乱軍の糧道を断ち、武器を配って戦わせる。良い考えだわ⋯戦わせる? 民衆を戦わせる⋯⋯。軍団まで呼び寄せたのに? 民衆に武器。⋯民衆⋯平民⋯貴族。⋯平民と貴族の違いは、なに? 貴族は武器を持ち、戦う義務と権利がある。平民は武器を持てない。平民に戦う権利はない。平民が、武器を取り戦う権利を手に入れる。平民の集団が反乱軍の貴族を倒す。そうなったら貴族と平民にどんな違いが? 貴族と平民を同じにするために、平民に武器を手渡す。平民が武器を手にした時に貴族と対等になり、貴族制の土台が無くなる。貴族の頂点に立つフランセワ王家は、その時どうなるの?」
人口の一パーセント程度の貴族が、権力と富を独占するフランセワ王国。貴族の力の源泉は、暴力の独占だ。そんな国で革命を成し遂げるには、民衆に武器を手渡し組織しなければならない。クーデター騒ぎは、良い口実だ。レオンは、そう考えていた。
「武器の使いかたに習熟することに努めないような被抑圧階級は、⋯奴隷としてとりあつかわれる値うちしかない」(レーニン『プロレタリア革命の軍事綱領』)
レオンだってラヴィラント伯爵をスパイだなどとは、毛ほども思っていない。だから気が引けてどうしても丁寧な口調になる。
「ラヴィラント伯爵。残念ですが、あなたにはスパイ容疑がかかっています。容疑が晴れるまで、別室でお休み下さい」
反対意見を述べたくらいで拘束するのはやり過ぎだと、今度は新国王が口をはさもうとする。シャルル一世にとってもラヴィラント伯爵は、師匠でありその人柄はよく知っている。
「レオン、ま⋯⋯」
ジュスティーヌ王女が、弟王に素早く耳打ちした。小声で話しているが、静まりかえった屋内では、意外によく響いた。ラヴィラントの耳にも入った。
「シャルル。ラヴィラント伯爵とレオンの間に、すれ違いがあるようです。二人は王国の柱石です。話し合いをさせなければなりません。会議が終わったら、すぐにレオンを連れてラヴィラント伯爵と話し合いを持ちます」
だから、このまま黙って連行させろと言っている。四歳からラヴィラントを知っているジュスティーヌは、言いがかりだということを承知でレオンの側に立った。
穏健で代々王家に忠誠なラヴィラント伯爵には、レオンのような狂気じみたところはない。後でも言葉を尽くして謝罪すれば、なんとか納まる。民衆総武装が潰されたら、レオンはもうなにをするか分からない。ジュスティーヌはそう考えた。レオンは、まるで猛獣だ。でもジュスティーヌは、レオンの獣じみた部分に、麻薬のようにどうしょうもなく惹きつけられてしまう。
シャルル新王は、物心ついたころから自分の手を引き先導していた二歳上の優れた姉に頭が上がらない。姉は常に公正で賢い。意見がぶつかった時は、いつでも姉が正しかった。たしかに今は、二人を離して落ち着かせた方が良いかもしれない。⋯⋯仕方がない。
「ラヴィラントは、罪人ではない。少し席を離れるだけだ。貴族に対する敬意を持ってあつかえ」
裏切りを連発されたラヴィラント伯爵は、もう言葉も返さず黙って元部下の親衛隊騎士に連れられていってしまった。
レオンに直言できる最後の一人が声を上げた。少将に大出世したのに、下町で生活していたころの素がでてしまった。ジルベールは、驚いたのだ。
「おいおい、センパイ。こりゃ、いったいどうしたんですかい?」
レオンだって、こんなことはしたくない。ため息をついている。
若手貴族には熱烈な支持者が多いとはいえ、王宮で地位のある上位貴族の中では、民衆派のレオンは孤立している。内心ではレオンの識見に感心している中立派貴族はいるものの、本当の味方といえば、妻のジュスティーヌ。レオンを見所のある婿とみていた死んだ前国王。ジルベールが親しくしているので引きずられたフォングラ侯爵家。あとは王家忠誠派のラヴィラント伯爵家くらいだ。
「ふーっ。⋯⋯ジルベール。王宮前広場の警備隊は、どのくらい集まった?」
ラヴィラント伯爵の件に関しては、答えるつもりはないという意思表示だ。取りつく島もない。
「⋯五百といったところかな」
「よし。親衛隊騎士二十名と警備隊兵五百名で部隊を編成し、軍総司令部を包囲しろ。通信・交通を遮断し、蟻一匹外に出すな」
ジルベールの頭からラヴィラント伯爵のことは飛んでいった。戦うことが大好きなのだ。
「包囲だけですか?」
「非武装で総司令部に入り、軍総司令官及び幕僚全員が罷免されたことと、王族の間に出頭せよと伝えろ。ローザ秘書官、命令書を書け。陛下、ご署名とご押印をお願いいたします」
反乱軍に突撃して暴れることができると喜色満面だったジルベールは、あきらめない。
「敵が命令に従わなかった場合は?」
「『敵』じゃねえだろ!」とレオンは舌打ちしたかった。この状況で軍部を敵に回してどうする。
「そのまま包囲を継続。考える時間をやれ」
「攻撃があった場合は?」
本当に戦闘がしたいんだな。戦争は手段であって目的じゃないぞ。
「ただちに反撃してせん滅せよ。⋯⋯ローゼット・クラフト大尉!」
ジュスティーヌの側から離れたローゼットは、王族の間の警備に加っていた。第三王子が自殺に使った短刀が自分の懐にあるのが恐ろしい。
「は、はい⋯」
ほんの三年半前に、安居酒屋で乱痴気騒ぎをして護衛の自分と剣を抜くケンカをしたこの男は、今は国軍の総司令官にまで昇進した。立ち居振る舞いなど、まるで別人だ。ローゼットは、そのこともまた恐ろしく感じた。
「ジュスティーヌ殿下をお護りした抜群の功績により、ローゼット大尉を少佐に進級させる。⋯どうした。 顔色が悪いぞ?」
「いっ、いえ。わたくしは、その⋯⋯」
「おまえの短刀で、第三王子が自殺したのを気に病んでるのか? 気にすんな。民衆から委ねられた権力を私物化しようとするようなやつは、死んで当然だっ!」
日ごろレオンからそんなことを吹き込まれている警備の第四中隊騎士は、ウンウンと頷いている。ジュスティーヌ王女は、当然とばかりに顔色も変えない。新国王もジュスティーヌ王女の影響で民衆派に寄っていた。日頃から姉に『王権人民委任説』とでもいうものを吹き込まれていたシャルル一世は、王権は女神から授けられ不可侵という『王権神授説』をとらなかった。「民の声は、神の声なり」なのだ。保守派貴族たちは、罪人とはいえ王族に対する公然の不敬発言に強い反感を持ったが、面に出すとラヴィラント伯爵の二の舞だ。そもそも当の王族たちは涼しい顔をしている。
「ジルベール少将! ローゼット少佐を副官につける。戦闘開始は、必ずローゼット少佐の同意を得なければならない。これは絶対命令だ。協同して作戦を遂行すること!」
ルーマ巡礼で一緒だったローゼットの慎重な性格を知っているジルベールは、「それじゃあ戦闘ができない」と不満そうだ。挑発するかテキトーな理由をつけて、王都の真ん中で大好きな戦争を始めるつもりだったのだ。レオンは、それを危惧してローゼットを付けたのだが。
フランセワ軍の敬礼は、胸に拳をドンと当てる古代ローマ式に似ている。敬礼してジルベールとローゼットが出ようとすると、レオンが呼び止めた。
「まて! これを持っていけ。王都の隅々まで、貼りまくれ」
例の民衆総武装の布告を印刷したビラだ。印刷カムロを総動員して短期間で刷らせた。五千枚以上もある。しっかり王宮印と王都警備隊長官印、軍団総司令官印、それに王宮親衛隊印まで捺されている。もう手当たり次第だ。
「⋯全ての王都民は、その身分を問わず武器を取り、残存反乱分子を摘発し、発見し次第攻撃すること。武器は、地区警備隊により供給される⋯⋯」
この布告は、フランセワ革命の実質的な第一歩を記すものとして歴史に残った。三百年後の高校教科書にも載った。レオンが民衆に武装権と交戦権を与えるために周到に準備していたという学説と、クーデターに対抗するための場当たりという二説あるらしい。
「そうだ。犯罪者の尋問に慣れた警備隊員を三十人ばかりよこして、捕虜を尋問させろ。⋯寄生虫狩りだ」
「そっちの戦闘の方が大変そうだよな」
軽口を叩くジルベールがローゼットを連れて、今度こそ王族の間から出て行った。
まだ暗い早朝四時の作戦開始から、十時間たった。十時間前のレオンは、少将で文部政務次官で伯爵だったが、今は大将で国軍総司令官になり、軍事独裁者で、公爵に陞爵した。
王宮に親衛隊部隊を突入させ、戦闘の末にクーデター部隊に占拠されていた王族の間を奪還。監禁されていた王族や、クーデター部隊に拉致されてきた政府高官を解放した。クーデター側の御輿に担がれていた第三王子を自殺させ、第四王子を新国王に即位させた。そして、民衆の武装と交戦を促す布告を発した。クーデター部隊が占拠している王都警備隊本部を孤立させ、王都に点在していた警備隊を王宮前広場に集結させた。バラバラだった警備隊を戦闘部隊に再編成させ、日和見を決め込んでいた軍団総司令部を包囲。外部との連絡を切断した。さらに三個軍団を王都に急行させている。
攻めてくるとしても千騎程度の領主軍を三個軍団の三万名で迎え撃つのは過大なようだが、レオンはこう考えた。「総司令部の機能が停止している現在、呼び寄せた軍団の指揮官が王都の軍事占領を企めば容易だ。だが、三個軍団が集結すれば、お互い牽制してそんなこともできないだろう。それでも反乱が軍にまで波及していたら、ジュスティーヌの手を引いて王家に忠誠な軍団に逃げよう」。
西方国境地域の領主貴族と王都の不平貴族が手を結び、第三王子を御輿に担いで起こしたのが今回のクーデターだ。
クーデターは、計画的だった。クーデター部隊の一部は、政府高官の邸宅に押し入って殺害したり、拉致連行して王族の間に監禁した。王宮親衛隊第二中隊長と第三中隊長は、自邸で殺されていた。レオンが殺されなかったのは、機密性の高い王宮内に居候していたからだ。王族夫婦が、使われてない客間で暮らしているとは誰も思わない。
クーデター部隊に連行されるままに王族の間に軟禁され、ぼんやりしていた保守派高官どもに、死の恐怖をたんまり見せつけてやろう。レオンにとって領主貴族が第一の敵ならば、王宮内の保守派貴族が第二の敵だ。
保守派貴族は、説得と懐柔、それに領主貴族の良識に訴えて彼らの特権を一枚ずつ返上させることを主張していた。穏健な前国王は、悲惨なことになる内戦を嫌い、領主貴族政策では保守穏健派に同調していた。その結果、死ぬことになった。
領主貴族と結んだ不平貴族のクーデターで、保守穏健派の政策は破綻した。既得権益にすがりつく階級に、良識や説得などに訴えて平和裡に特権を捨てさせることなどできないのだ。
シャルル新国王に保守穏健派がどれほど言葉を尽くして平和を説いたとしても、「領主貴族がいなくなるまで、武装騎馬隊に深夜襲われる恐怖なしに眠ることはできませんよ」というレオンの現実の言葉には敵わない。実際にそうして父王が殺されたのだから。
「おそれながら、次は陛下の番でしょう」
歯に衣を着せず生命の危険を直言するレオンに、シャルル新国王は感謝に近い感情さえ抱いていた。シャルルも、自分がいつ殺されてもおかしくないと考えている。
シャルル新国王に義務として背負わされたのは、王座という名の死の恐怖の地獄だった。おべっかを使わず、不興を買うのも恐れず厳しい現実を直言し、最善の策を練るレオンは、忠臣の鑑に見えた。しかも姉の夫、義兄だ。父王がレオンをもっと重用していれば、死なずに済んだのではないだろうか?
目の開いた者には、フランセワ王国の抱える問題は一目瞭然だった。農地の面積あたりの収量は倍増したのに、領主貴族の土地占有のために耕作地は増えない。結果、農村の余剰人口が大量に都市に流れ込んでくる。彼らの多くは、貧民街やスラム街に沈み仕事もなく飢え、いずれ死ぬことになる。食糧はあるのに!
王都で、まだ多数の餓死者がでていないのは、毎年の豊作と、ジュスティーヌやレオンを頭とする民衆派の努力の結果だ。しかしレオンは、それが革命家としては大変間違った努力であることを知っていた。
いずれそう遠くない未来に、干魃や冷害が起こる。領主貴族は、都市に食糧を供給することを拒否するだろう。その結果、百万に近い餓死者がでるはずだ。その時こそ、蜂起のチャンスなのだ。飢えた百万の民衆の先頭に立って王宮を取り囲み、兵には士官の命令に服従しないように呼びかけ、民衆派が保守派貴族を一掃し権力を奪う。
しかしレオンは、革命家としてまだまだ軟弱で甘っちょろかった。弱い人たちが飢えて倒れていく姿を座視するのが、嫌だったのだ。冷めた目で飢饉が訪れるのを待ち、それまで革命党を組織し蜂起の準備を整える冷酷さを持ち合わせなかった
レーニンは、第一次世界大戦でロシアとドイツが死闘を繰り広げるなかで、ドイツ軍部の協力を得て亡命先からロシアに帰国した。敗色が濃厚なロシアで『革命的祖国敗北主義』を掲げて武装蜂起し、革命政権を打ち立てた。革命政権はドイツ帝国に事実上降伏し、ヨーロッパ・ロシアの半分近くをドイツに差し出した。
広大な領土や数百万人の国民すらも、革命のために犠牲にする。このレーニンの冷徹さが、レオンにはなかった。本人もこの甘さを自覚し、自嘲していた。「オレはブルジョワ社会主義者なのか?」。
「ブルジョワジーの一部は、ブルジョワ社会存続のために社会の欠陥をとりのぞこうとする。経済学者、博愛家、人道主義者、労働者階級の状態の改良家、慈善事業家たちが、これにはいる。ブルジョワ社会主義である」(マルクス・エンゲルス『共産党宣言』)
貧民が百万人も餓死するのが嫌ならば、レオンが取れる方法はひとつしかない。領主貴族に対する戦争だ。
簡単なことなのだ。農地の生産力の増大による余剰生産物は、大半が領主貴族によって租税として搾取される。租税は大衆の生存や生産力の増加のために向けられず、領主軍の増強や無意味な奢侈に費やされている。
領主貴族が土地の所有権を放棄し、放置されている土地を耕作地に変え農民に分配する。徴税権を国に移譲し、それを原資にして公共事業を行い余剰人口に職を与え国力を増大させる。こんな簡単で必要なことを奴隷制に寄りかかった領主貴族は拒否した。ならば、もう戦争しか残されていない。百万の細民の餓死か、数万の贅沢三昧の貴族とその手先の死か、どちらかを選べということだ。両方助けるという、そんな調子の良い選択肢はない。
百万の細民が餓死したら、しばらくは社会は安定する。だが、やがて再び絶対的過剰人口が生じ、大量死は何度でも繰り返される。逆に領主貴族の絶滅は、奴隷制や小作制の廃絶など、社会を封建領主制の軛から解放する。分配が適正に行われるようになり、生産力は上がり、流通は改善し、社会は効率化される。再び悲惨が起こることがなくなる、⋯とはいえないが、かなりマシにはなる。
ならば抵抗する領主貴族を殺し尽くしてやろう。手を汚すのだ。
「暴力は新社会をはらんでいる旧社会の助産婦であるということ、さらに暴力は、それをもって社会的運動が自己を貫徹し、そして硬直し麻痺した政治的諸形態を粉砕する道具である」(エンゲルス『反デューリング論』)
説得と懐柔で領主貴族に土地所有権や徴税権を放棄させるという保守派貴族の計画は、当然ながら完全に失敗した。ならば表舞台から降りてもらわなければならない。
レオンら民衆派にとって第二の敵が、王宮内のこの保守派貴族だ。王宮貴族や法服貴族といっても、本質は官僚だ。こいつらがいなければ、行政が動かない。官僚らしく強い者につくという習性を持つ者が多かったが、レオンら民衆派を敵とみなす者も多かった。
とくに悪質な分子は、国に寄生しているくせに民衆を搾取の対象としか見ない身分差別主義者。そして領主貴族からおこぼれを頂戴している奴隷使いの縁戚どもだ。身近にいるこの二種類の寄生虫とスパイをどうにかしなければ、領主貴族との戦争は貫徹できない。
クーデターの失敗によって、王宮内の勢力バランスは大きく崩れた。しかし、まだ保守派の勢力が優勢だということは変わらない。
これが二年後だったら、レオンが校長をやっている軍士官学校の卒業生四百人。王宮親衛隊の過半数五百人。数百人の若手貴族。特務機関や初期ブルジョワジーに成長したカムロたち。軍部や王宮保安部と情報部にも民衆派が根を張り影響力を持っていたはずだ。
だが、今は早すぎた。王宮に常時出入りを許されていた貴族は、約千人。そのうちレオンの民衆派が約五十人、さっき連行させてしまったラヴィラント伯爵が筆頭の王家忠誠派が約二百人、残りは保守派かせいぜい中立だ。危機は目に見えているのに何も手を打たないことを主張し、社会を腐らせる保守派は敵だ。敵なのだが、こいつらが今いなくなると国家の機能が麻痺してしまう。
保守派といっても、概ね二派に分かれていた。保守強硬派はクーデター失敗で大打撃を受け壊滅した。残ったのは保守穏健派だ。
いずれ近い将来、戦争が始まる。いや、始める。その準備に王宮内でレオンが取れる方法は限られている。恐怖で日和見主義者を縛る。排除した保守強硬派の地位を日和見出世主義者に与えて懐柔する。
今のところ保守派がおとなしいのは、領主軍の攻撃が怖く、レオンに司法警察権と刑の執行権まで握られているからだ。数日もすれば領主軍など攻めてこないと分かる。レオンは司法警察権を剥奪される。そして今回の事件でレオンの力を知った保守派は、生まれたばかりの民衆派を潰しにかかってくるに違いない。残された時間はわずかだ。
やはり当面は保守穏健派を操縦し、時期をみて民衆派と入れ替えるしかない。操縦する手段は、飴と鞭だ。飴は、地位や利権。鞭は、死の恐怖だ。
まずは恐怖からいこう。
権力者が大嫌いな自分の、権力者そのものといった行動にレオンはゲンナリした。しかし、嫌でもやらねばならない。無能高官どもに、死の恐怖を見せつけてやる。
革命の墓堀人・スターリンの手先となって多くの革命家を処刑し革命的民主主義と世界革命を絞め殺した秘密警察GPU。アメリカ帝国主義の尖兵として全世界の民族解放運動・革命運動を圧殺してきたCIA。独占資本と国家官僚の権益を守るためブルジョワ法すら踏みにじり社会運動の弾圧に狂奔している警視庁公安部。この三者から最も激しい弾圧を受けてきたトロツキスト・革命的共産主義者である新東嶺風=レオン・マルクスは、やつらの弾圧の手口を熟知していた。そいつを使うのだ。
裕福なポーランド貴族でありながらロシア革命に加わったジェルジンスキーは、逮捕と拷問で生涯残る傷を負わされた。シベリア流刑地では、汚物の始末など皆が嫌がる作業を進んでしたという。「革命の最も汚い仕事をするのだ」。その言葉通り、秘密警察を創設したジェルジンスキーは、両手を数十万人の血に染めた。
革命や戦争はきれいごとではない。どんな仕事であっても、敵に対しては冷酷で残忍に容赦なくやり遂げなければならない。
監禁されていた王族の間から、百人を超える政府高官は一歩も出ることが許されない。劇場におあつらえむきじゃないか。
「やつを連れてこい」
すぐに血のにじんだ包帯でグルグル巻きの男が引きずってこられた。後ろ手に縛られ、新国王の前に転がされる。
「謀反の首魁の一人です。レイーブ・ド・ノエル子爵。王宮総務部運輸課勤務。四十歳」
初めてクーデター指導者を見たシャルル一世とジュスティーヌ王女の目が、憎しみに満ちる。父と兄たちを殺し、王家をメチャクチャにしたやつだ。高官どもも、わざわざ立ち上がって見たり、ざわついている。
「国王陛下の御前で尋問を行う。まずは尋問に応じる気があるか答えろ」
先王が殺されたのを知った突入部隊が激高して殺しまくったせいで、王宮を占拠したクーデター指導部の生き残りは、こいつぐらいだ。本当は、なんとしてでもクーデター支持者の名を吐かさなければならない。
「答えん。殺せ」
まあ、そうくるだろう。ここからが『警視庁公安部』の腕の見せどころだ。
「楽な死に方は、できないぞ?」
「勝手にしろ」
こいつは、もう死ぬ気だ。こうなると生半可な脅しは効かない。拷問は、訊かれたことに答えるだけで、全てを吐くわけではない。最も知りたいのは、まだ把握できていない王宮内のクーデター派メンバーの名だ。
「おまえの罪状は、大逆罪、内乱罪、反逆罪だ。国王弑逆は、『七族斬胴の刑』が適用される。良いのか? オレは、子供を胴斬りにするのは気が進まないが」
「『七族斬胴』? な、なんだ?」
ノエル子爵が、動揺しはじめた。
「ちゃんと調べておけよ。本当に知らないのか?」
フランセワ王国では、二百年以上も国王殺しの反乱なんてなかった。
「『七族』ってのは、父母、妻、子、孫、兄弟姉妹、祖父母、伯父伯母、従兄弟、それらの配偶者と子、妻の兄弟姉妹とその配偶者、妻の両親。おまえの屋敷に住む者全て。妾。使用人。一人残らず死刑だ。おまえの罪に連座して死ぬのは、今のところ五百二十七人。系図をたどって、まだ増えるかもしれんよ。族殺刑だからな」
ノエル子爵は蒼白になった。大逆罪は、一族郎党皆殺しの刑になるとは、知らなかったらしい。それともクーデターが成功すると信じて、考えなかったのか?
「斬胴刑というのは、すぐ死なないように横腹を三十センチばかり斬る。おまえの目の前で一人ずつな。斬ったら後ろ手に縛って大通りに放り出し、苦しみ悶えて死ぬところを民衆に見物させる。トドメは刺さないので、死ぬまで十時間くらいかかるそうだ。おまえは、それを特等席で観ることになる。全員死んだら、最後におまえの番だ」
こんなことが二百年以上も改定されていないフランセワ王国法典に書いてある。もちろんレオンは、そんな馬鹿げたことをする気はない。だが、脅しには使える。
「おまえの息子のキルド・ノエルとアデン・ノエルは、貴族学校で逮捕された。斬胴刑の時に十秒ぐらいは会えるだろうよ」
「き、教室で逮捕したのか?」
「昼の食堂だな。数百人の生徒が、総立ちだったそうだ。部隊が抜刀して食堂に突入し逮捕した。大逆犯に逃げられたら、大失態だからな」
ノエル子爵は、下を向いてなにかブツブツ言っている。顔面蒼白を通り越して、もう灰色だ。
「イリシア夫人は、美しい方だが病弱だそうだな。逮捕時も寝室でお休みだった。今は寝間着のままで連行中だ。あぁ! すまんな。馬車が足りなくて家畜用馬車に詰め込んだそうだ」
「貴族になんてことを⋯⋯。か、家族は関係ない。妻は、身体が弱いんだ。今も病気で⋯⋯」
ふぅぅ⋯⋯。あと一押しか⋯⋯。
「そんなことは知っとるよ。おまえの屋敷にいた全員を逮捕した。可哀想に、たまたま御用聞きに来ていた八百屋まで逮捕された」
「つ、妻はどうなる?」
「言っただろ。全員斬胴だよ。この寒い中で寝間着一枚で縛られたまま地下牢行きだから、執行までに死ぬかもな。まあ、そのほうが幸せだろう」
「や、止めてくれ。お願いだ」
周囲の高位貴族たちが、恐怖で固まっている。このレオン・マルクスという男は、鬼なのか?
「娘さんのリディア嬢は、心配ではないのか? 六歳だったな。年食ってからできた子は、かわいいというがなあ」
「娘になにをした! やっ、止めろっ!」
「まだ、なにもしとらんよ。今は両手両足縛られて、馬糞まみれで運ばれているところだ」
伝令がレオンになにか耳打ちし、紙切れを渡した。興味深そうに読んでいる。
「困ったな⋯⋯。前庭の噴水池に放り込んで、モップで洗ってから取り調べろ」
「ま、まさか。イリシアとリディアを、どうするつもりだ?」
「どうするもこうするも⋯⋯。馬糞臭くて地下牢に入れられないから、噴水池で洗うんだよ」
「十二月だぞ! 死んでしまう。止めろ!」
レオンが、せせら笑った。
「ハッ! おまえらが攻めてきたせいで、オレは夜中にドジョウが住んでる堀を泳ぐ羽目になったぞ? ジュスティーヌ王女殿下もだ。自分が他人したことを、女房と子供にされるのは嫌か?」
貴族連中が一斉にジュスティーヌを見た。いつもと変わらず優美そのものの王女が、ほんの半日前の夜中に堀を泳いで渡ったなど信じ難い。
弟王が王座から立ち上がった。なかなかのシスコンなので、姉王女が害されたとなると激高する。
「それは本当かっ。レオンっ!」
「はい。ほかに王女殿下をお助けする手段は、ありませんでした」
自分の女房なのに公的な場では、「王女殿下」とか呼んで馬鹿みたいな敬語を使わないとならない。面倒くさい。
「おのれぇ⋯よくも王族を愚弄しおってえ⋯⋯。逆徒に容赦するなっ!」
「⋯全滅させます」
「ハハハハ! よく言った! レオン。頼んだぞ!」
ご機嫌が直った若い王様の信任を得たので、尋問を再開する。
「リディア嬢は、ずいぶん利発だな。親切な騎士が、リディアちゃんに忠告したそうだ。『全部白状して王様にあやまるようにお父様にお願いなさい。そうすればひょっとしたら⋯』ってな。リディアちゃんの返事ときたら⋯。こりゃ傑作だ!」
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯⋯」
「手紙を読んでやろう。『⋯お父さまへ。こわい人たちがきて、侍女たちや侍従も、つかまってしまいました。いまは、お馬をはこぶ馬車にいます。お母さまは、しばられて床にねています。すこしせきをしています。でも、私が体をつけてあたためているので、だいじょうぶです。お父さまが、わるいことしたなんて、しんじません。はやくお父さまにあいたいです』」
ノエル子爵は下を向いてふるえている。あとひと押しだ。だが、なんだかムカムカと腹が立ってきた。手紙を丸めて顔に投げつけた。
「嫌な仕事をさせやがって! 内臓を引きずり出されたガキが、十時間も悶え苦しむさまを見たいのか!」
ノエル子爵は、痙攣したようになった。ジタバタしながら叫びはじめる。
「うわーっ! やっ、やめてくれっ。もう沢山だっ! はなすっ! なんでも話すから、妻と子供はゆるしてくれ。なんでもする。お願いだあっ!」
「よぉ───し! おまえの女房子供一族郎党、全て助けてやろう。そのかわり、一味の名前を洗いざらい吐くんだ。いいな?」
周囲の者たちが、
「?」
「!」
「!」
「! レオ⋯」
再び新国王が王座から立ち上がり⋯⋯そうになった。
ジュスティーヌが隣りの王妃座から手を伸ばし、弟王を制止している。
レオンは、新王の声に全く頓着しない。耳元になにかささやき始めた。ノエル子爵は、ガタガタとふるえている。
『家族』でしばるのが、公安の常套手段だった。身元が割れると、聞き込みと称して二人組みで実家に現れる。困惑する親からネタを聞き出し、「息子さんが警察官にガソリンをかけて焼き殺すような恐ろしい団体に加わっている」と吹き込む。⋯まあ、それは事実だが⋯⋯。大学当局や就職先にも現れる。これで会社をクビになった同志は多かった。高校時代の担任のところにまで現れたのにはあきれた。ヘビのように執念深く、ダニのようにいやらしく、あとをつけ回して社会的に孤立させる。日本の情勢ではまだ肉体的に殺すのは困難だから、社会的に殺そうとする。
ステ貼りなどの微罪で逮捕して、また親のところに現れ「次は取り返しのつかないことになる。連合赤軍のように人を殺したら終わりだ」とかなんとか吹き込む。親切ごかして四国だか九州だかから親たちを連れてきて、団結小屋の前までご案内して座り込みをさせたのにはたまげた。警察のやることか?
殴られたり逮捕されたり仕事をクビにされたりの本人に対する弾圧より、親を使われるのが一番くたびれた。団結小屋を出入りする時、誰かの親が思い詰めた顔で座り込んでる。「お疲れさまです」と言うのも皮肉みたいだし⋯⋯。子供、といっても成人なのだが、が出てくるまで、テコでも動かない。話し合おうにも「言いくるめられたら駄目だ」とか吹き込まれているので、口も利いてくれない。これにはまいった。
GPUやCIAは、本人ではなく肉親を目の前で拷問にかける手をよく使った。レオンは、この肉親を利用する非道なやり方の真似をした。とはいえ、まだこの時期のレオンには、リディアちゃんのような子供を拷問したり殺すつもりなど、最初からなかったのだが。
「ほ、本当に家族を助けてくれるのか? どうやってだ?」
おいおい。家族以外の親族や使用人はどうなってもいいのかよ、と言ってやりたい気分になる。さすがあの前国王を裏切って殺すだけあって、なかなかロクでもない野郎だ。
「⋯大逆犯には、主犯と従犯がある。わけの分からないまま謀反に参加させられた兵士などが従犯だ。従犯は本人は罪に問われるが、連座刑はない。オレは、『王宮最高指揮官』に勅任されている。司法権を行使して、おまえを従犯にしてやる」
ノエル子爵の顔色が、みるみる良くなっていく。レオンは猫なで声だ。
「奥さんとリディアちゃんは、すぐ温かい風呂に入れてさっぱりさせてやる。でもなぁ、おまえの財産は、全て没収されるぞ。反逆者の家族が無一文で放り出されたら、餓死するしかないだろうな」
ノエル子爵が再び青くなった。
「夫人は、ボラン王国国境の小領主貴族の娘だったな」
「⋯⋯なぜそれを?」
「ノエル家門に関しては、全て調べ済みだ。全員斬胴刑に処するんだからな」
「待て! 待ってくれ!」
「オレが奥さんと子供たちを、奥さんの実家まで連れて行ってやる。そこで暮らすなりボラン王国の本家に行くなり、自由だ。ああ、それと従犯には、斬胴刑はないぞ」
「マルクス伯爵! いや、公爵。あ、ありがたい。ありがとう。話すっ。なんでも話すっ!」
「オレは約束は、必ず守る。おまえも隠さずに全部吐け。いいな。名誉をかけた約束だ。⋯数日前に一味の集会があったな?」
「な、なぜ知ってる?」
「調べ済みだと言っただろ。ウソや隠しごとは、すぐにバレるぞ。そうなったら約束もご破算だ」
『名誉』など、レオンには一文の価値もない。クーデター決行直前に、主要メンバーが集まり最後の調整をするのは当然だ。カマをかけた。
「ナッサウ公爵、ノアイユ公爵、ブランジ伯爵、パストール伯爵、ユリーナ子爵⋯⋯。他にだれがいた?」
「どうして知ってるんだ?」
「調べはついてるって言っただろ。さあ」
本当は、この連中の死体が転がっていたからなのだが。「指揮者と貴族は殺さず捕らえろ」とジルベールに言い忘れたレオンのミスだ。
「マクシム王子殿下、ウェート伯爵、グレイグ子爵、アスカルト男爵⋯。これだけだ」
オォ──────────ッ!
王族の間の貴族たちが声を上げて総立ちになる。
レオンも立ち上がった。わざとらしくヤレヤレといった調子で肩をすくめ、背を向けた。
「約束も、これまでだ。おまえは嘘をついた。嘘は、嫌いだな」
「ち、ちがっ! うっうっ嘘は⋯⋯」
「領主貴族ばかり挙げやがって。王宮勤めの貴族どもは、どこに行った? ん?」
「待ってくれ! ゆるしてくれ! 全部言う! ゲイソン伯爵、オクトー伯爵、フォッシュ子爵、プロヴォ男爵、カツォーニ男爵⋯⋯」
レオンが叫んだ。
「オクトーがいるぞ! 捕らえろっ! 殺すな!」
親衛隊騎士が一斉に抜刀し、上位貴族の群れの中に突っ込んで行く。数分でオクトー伯爵が捕らえられ、後ろ手に縛られ連れられてきた。
「こんな物を持ってました」
親衛隊騎士が、三十センチほどの短刀を差し出した。「ふん」と鼻を鳴らしたレオンは、鞘から抜いた短刀をわざわざ新国王に献上する。国王の危機感が強くなればなるほど、レオンの権力は強化され、民衆派に有利に働く。
「刺客が、陛下を害するために所持していた凶器です。ご確認ください」
意外に重くてギラギラした抜き身の短刀を渡された国王は、青ざめていた顔色をさらに青くした。遠くでもみ合っているのを見るだけなのと、自分が刺されていたかもしれない刃物を見せられ渡されるのとでは、恐怖の重みが違う。フランセワ王国で最も安全なはずのパシテ王宮王族の間に、短刀を持った刺客が入り込むとは⋯⋯。
「くっ、その者を殺せっ!」
レオンは動かない。
「なりません。陛下。まだ一味が潜んでいます。逆徒の名を白状させるのです」
ジュスティーヌが、弟王の手を握った。小声で言う。
「シャルル、あなたは王なのです。うろたえてはなりません。王らしく振る舞わなければ」
ジュスティーヌは、ルーマ旅行で野盗に襲われ、クラーニオの丘で暗殺団に命を狙われ、半日前にクーデター部隊に襲撃された。三度も修羅場をくぐったからだろう、弟王よりよほど肝がすわっている。
ジュスティーヌ王女の後ろにひかえていたマルクス家の三人侍女が、前にでてきた。マリアンヌとキャトウは、もともと一級保安員で王族警護が最優先任務だ。侍女服のスカートのひだに開けた隙間から手を入れ、太ももに取り付けた短刀を鞘から抜いている。普段は優しげな目のマリアンヌ。いつもクリクリと面白げに目を動かしているキャトウ。普段とまるで違う鋭い視線で、周辺を警戒している。
アリーヌ侍女は、ジュスティーヌの前に立った。賊が短剣で襲ってきたら、自分の体を盾にして姫様を守るつもりだ。訓練を受けた保安員ではなく普通の伯爵令嬢なので、恐くて足がガクガクしている。
「ひっ、姫様。大丈夫です。アリーヌがお護りします。お護りしますから大丈夫なんです。お護りします。姫様。姫様。大切な姫様。ご安心下さい。アリーヌがお護りします。あんな男のモノになっても愛してます。ハアハアハアハアハアハア⋯⋯」
恐怖と緊張のあまり、少し錯乱して過呼吸になってきた。
ジュスティーヌの方が、よほど落ち着いている。健気なアリーヌが、賊の攻撃を防ぐのにはなんの役にも立たないことも分かっている。
「アリーヌ。落ちついて。下がってください。前が見えません」
軍総司令部に派遣したジルベールとローゼットが、親衛隊騎士たちを率いてドヤドヤと戻ってきた。戦闘にならなかったらしく、ジルベールは欲求不満気味だ。
「総司令部のやつらを二十名連行⋯じゃなくてお連れしましたっ! 甲羅に頭を引っ込めた亀みたいな連中ですよ。ハハハ!」
戦闘が無かったことにレオンは、内心安堵のため息をついた。念願の軍総司令官になったのに、その軍との戦争が最初の仕事では、たまらない。ジルベールは、血の気が多すぎるのが困る。
「次の任務だ。凶器を所持した刺客が王族の間に潜伏していた。王宮内に潜んでいる敵性分子を摘発しろ。これがリストだ」
ノエル子爵が吐いた人名リストを渡す。カムロのコンニャク印刷で、三十枚ばかり印刷済みだ。
「王族の間に潜り込んでたんですか? そりゃあすげえな⋯⋯。ほう、こいつらが主謀者か。意外に多いですね」
「まず、王族の間から掃除しろ。徹底的にやれ」
命令を受けたジルベールは、張り切った。今度は敵を殺せるかもしれない。
「聞けっ! 王宮親衛隊及び王都警備隊が、王族の間にいる者の人相改めと身体検査を行う。抵抗する者は、斬る! かかれっ!」
一斉に剣を抜いた親衛隊騎士が高位高官貴族らを部屋の隅に追い立てダンゴにする。ダンゴから一人ずつ引き抜いては服をはぎ取り始めた。まるで狼が羊の毛刈りをしているようだ。ジルベールは、喋り方がなんだかレオンに似てきた。
「パンツも脱がせろ! ケツの穴からキンタマの裏まで確認するんだ! 少しでも逆らうやつは刺客だっ! 殺せっ!」
レオンの方にも、次から次へと仕事がくる。
目を血走らせた親衛隊騎士に剣を抜いて取り囲まれている軍総司令部の幕僚たちは、王族の間の有り様に驚愕して目を白黒させている。急ぎ足でレオンがやってきた。
「オレが、軍総司令官に勅任されたレオン・マルクス小将⋯⋯じゃなくて大将だ。軍総司令部の指揮権を引き継ぐ」
若い新国王は、軍総司令部が親衛隊の支援要請を無視したことに激怒している。幕僚たちは、生きてここを出られるだろうか?
「ヒョリーミス元大将。勅命によりあんたは、軍総司令官を解任され、階級を剥奪された。逮捕命令が出ている。容疑は、大逆罪、反逆罪、戦場における抗命、反逆的な怠慢、伝令兵の監禁⋯⋯などだ」
どれか一つでも死刑になって不思議ではない罪状だ。どちらが勝つか日和見していただけなのに、大変なことになってしまった。レオンが、元大将から指揮官章と階級章をむしりとった。
「副司令官。あんたも軍法会議行きだ⋯⋯」
こんな調子でレオンは、幕僚八人の階級章をむしって逮捕・連行させた。この場で殺しちまって軍部に敵をつくるのは得策ではないので、あとは軍法会議に投げて任せる。
残った十二人の幕僚たちには、うって変わって猫なで声になった。
「あー、おまえらが王宮救援を主張したことは分かっている」
調べもしていないのに、分かるはずがない。レオンの口からのでまかせだ。
「不幸な行き違いがあったようだが、現在は正す時間がない。このありさまだ」
王族の間では、高位高官貴族、大臣までもが服をはぎ取られ、四つん這いにされて尻の穴の検査までされている。
「おまえらの制服を見て勘違いし、攻撃する部隊がないとも限らない。指揮命令系統が、まだ立ち直ってないもんでな」
死刑は免れたとしても、王宮で親衛隊に斬り殺されたら同じことだ。
「用意した部屋で、しばらく待機してもらいたい。鍵は閉めないが、王宮内を出歩いたら生命の保証はできない。止めておけ。従者をつけ、不自由はさせない。フフフ⋯王室蔵のいい酒を飲めるぞ」
テイのいい監視役のカムロに、「こいつらを居心地の良い部屋に連れて行き酒をあてがっとけ」と命じ、引率させる。生き残った十二人の幕僚たちは、胸をドンする敬礼をして後ろを振り返りながら退室していった。
百年以上も大きな戦争がなかったフランセワ王国では、軍司令官や幕僚は貴族の名誉職化していた。もちろん、そいつらは無能だ。国軍の総司令部に警備兵を入れても百人もおらず、クーデターが発生しても動かないなど異常だろう。
軍が単なる貴族の天下り先になってしまってはさすがにまずいので、十年ほど前に軍士官学校がつくられた。成績次第では平民も入学できる数少ない教育機関で、一年前にレオンが校長になった。十四から十八歳まで五年間も寄宿舎で同じ釜の飯を食って訓練に励めば、貴族も平民もなくなる。卒業後に指揮する部隊の兵も平民だ。士官学校出の軍人は、ほぼ全員が民衆派だった。
さっきのレオンの言動は、軍の中枢である司令部に巣くっていた天下り貴族から指揮権と階級を剥奪して投獄し、士官学校出の民衆派軍人を保護したということだ。天下り貴族をその場で殺さなかったのは、軍が組織として自律的に無能を排除することを期待したからだ。本格戦争はなかったとはいえ、周辺国との小競り合いはあるので、軍はフランセワ王国では数少ない実力重視の組織だ。
最初からレオンは、国家権力の最大最強の暴力装置である軍を足場にするつもりだった。妻の王女と王宮権力だけが頼りの準王族でいるつもりなど、さらさらない。
騒ぎが起きた。親衛隊騎士に誰かが取り押さえられている。
「こんな物を持ってました!」
息を切らした親衛隊騎士が、レオンに短刀を差し出す。王族の間に無許可で刃物を持ち込んだら、それだけで死刑もある重罪だ。
「さっきの短刀と造りが同じじゃねえか。マヌケだなぁ。一味だと白状してるようなもんだ」
再び国王のもとに短刀を持って行く。
「フォッシュ子爵の従僕が紛れ込み、持っていました。この様子では、まだまだ王宮に刺客が潜んでいそうですな」
刃物を見てシャルルは、心の底から嫌気がさした。いつまでこんな物で命を狙われればよいのか? 国王などになっても、良いことはひとつもない。しかし、成人もしていない弟に王座を押しつけるわけにはいかない。「姉上が女王になって下されば良かったのに」と恨めしげにジュスティーヌを見る。
「従僕では、なにも知らないでしょう。少し派手に殺して良いですか?」
姉上の夫は、頼りになるが殺伐としたことを平然と言う。⋯⋯どうでもいい。
「好きにせよ」
短刀の従僕は、親衛隊騎士に取り囲まれ床に押さえつけられている。レオンがモノを見るような目でそいつを見下ろした。あの世で弥勒に付けられた冷酷モードが発動している。
「放してやれ。チョムチョムをやるぞ」
「えっ! チョムチョムですか?」
「ここでチョムチョムを! いいんですか?」
「本気ですか? チョムチョムなんて!」
「ハハハ! 驚いた! チョムチョムだ!」
「チョムチョムかぁ! ヘヘヘ⋯」
「久しぶりだな。すげえ!」
襟首を掴まれて、従僕が立ち上がらされる。親衛隊騎士が一斉に剣を抜いた。
「一番槍はもらうぜ。オラァ!」
ザッ!
背中を斜めに斬り下ろした。浅手だが、盛大に血が噴き出る。
「うわっ。うわああああ」
「次はオレだぁ。おりゃあ!」
脇腹を横一文字に斬った。血が飛び散るが、内臓に届かず致命傷にならない。
「ヘヘヘヘヘ⋯⋯。籠手いくぞ。おらーっ、セイッ!」
指が飛び、バラバラと床に転がった。
「ギャハア!」
「まだまだー! 正面いくぞぉ!」
ドシュ!
左目から顎まで一直線に斬り下ろされた。目玉が飛び出した。
「ハハハハハハハハ!」
取り囲んで、死なないようにわざと浅手に斬っているのだ。外から眺めると、親衛隊のカゴの中で人が血を噴きながら踊っているように見える。『チョムチョム』の名は、団結小屋に置いてあったボクシング漫画からとった。
ビュッ!
ザクッ!
ビシャッ!
ザッ!
とうとう短刀の従僕は、クタクタと膝を折って自分の血の海の中に倒れ込んでしまった。
襟首を掴んで持ち上げた親衛隊騎士が、残念そうに言う。
「あー。チョムチョムは、ここまでですねぇ。もうすぐ死にますよ」
「くたばる前に、こっちに投げろ。アレをやるぜぇ」
身体検査の監督をしていたジルベールだ。いつの間にかこっちにきて、楽しそうに見ていた。とうとう我慢できなくなったらしい。
「レオン隊長に習ったアレですか?」
「そりゃあいいや」
「行きますよ。そりゃあ!」
ヨタヨタヨタ⋯⋯
血だらけで死にかかった従僕が持ち上げられ、ジルベールに向けて押し出された。ジルベールは、レオンに教わった居合いで、下から上へ逆袈裟に斬り上げる。
「おりゃあ!」
シュバッ!
大量の血が噴きでて、天井にまで届いた。
「ひょう!」
「おぉ!」
「やりましたねー」
「ハハハハハハハハ! 見たかぁーっ!」
死体は、そのまま倒れず「トットットッ」と後ろ歩きする。その先にレオンがいた。
「フン⋯⋯」
何十人も斬っているうちに、レオンも人殺しがうまくなった。レオンの剣が閃くと、胴から離れた頭が四メートルも飛翔して、身体検査されている貴族の群の中に飛び込んだ。どこかの大臣の胸に生首がぶつかり、大臣は腰を抜かしてしまった。
「うわっ! まだまだ勝てねぇなぁ」
「やったあ! すげえっ!」
「うおーっ! はははははは!」
貴族子弟からなるエリート部隊だった王宮親衛隊第四中隊は、愚連隊狩りで人を殺し回っているうちに、どんどんガラが悪くなっていった。平気で部下に殺人を命じるくせに、自分では手を汚さないぼっちゃん育ちの高官貴族から見ると、まるで殺人鬼の集団だ。「これでは、クーデター部隊の方がマシだったのではないか?」。
「くまなく探して摘発しろ! 敵は巧妙にまぎれ込んでいる。誰だろうと容赦するなっ!」
「おう!」
「分かりましたっ!」
チョムチョムで空気の入った親衛隊騎士たちは、血刀を下げ、団子になった高位高官貴族の群れに躍りかかっていった。
床が血だらけだ。掃除しなければ血の臭いに慣れたレオンですら気分が悪い。
「マリアンヌ、キャトウ。屋内を清掃しろ!」
死んだ目でチョムチョムを眺めていた二人が血の海になった床を手拭きし、落ちている指やら肉やらを拾って集める。王族の間に棒の類は、モップすら持ち込むことができない。
侍女の皮をかぶった王族警護の保安員であるマリアンヌとキャトウは、特殊訓練を受けてきた。まだ少女の時期から処刑場に連れていかれ、人が殺されるところを特等席で何度も見させられた。その結果、人が残虐に殺される場面に遭遇すると、精神が壊れないように心の一部をシャットアウトするようになった。その状態になるとロボット化して創造性や自発性は失われるが、与えられた仕事はキチンとこなす。
同僚のアリーヌは、普段は仲良しの二人の目がドロンと濁り、表情を失って黙々と死体の始末を始めた様子に、チョムチョム以上の衝撃を受けた。手伝わなければと思うのだが、怖ろしくてウロウロオロオロするばかりだ。本物の伯爵令嬢であるアリーヌには、こんな作業はとてもできない。真面目だが修羅場では、腰を抜かしたり過呼吸でダウンしてしまう。とうとうレオンが笑いながら「アリーヌは、王族がたのお世話をしろ」と命じた。
レオンが、残虐で非道なことをしているように見えるだろうが、実はそうでもない。凶器を持って王族の間に侵入した者は、大逆罪の主犯となる。国王の目の前での現行犯では、レオンでもかばいきれない。七族斬胴の刑が適用され、使用人や存在すら知らなかった遠い親戚まで皆殺しだ。
何百人も巻き添えに胴斬りされて十時間も苦しみ悶えて死ぬくらいなら、数分で終わるチョムチョムの方が、はるかにマシだろう。精神の七割を現代日本人の新東嶺風が占めているレオン・マルクスには、連座の族殺刑が不合理で残虐で愚かしいものとしか思えなかった。うまくすれば新国王がチョムチョムに圧倒されて、七族斬胴刑を中止するかもしれない。⋯⋯この考えが甘かったことを、すぐにレオンは知ることになるが。
ジルベールと違ってレオンは、人殺しが楽しいわけではない。むしろ不快だ。前世では、三度もひどい殺され方をしている。死ぬときには、気が狂いそうな激痛に襲われた。それは他人も嫌だろうから、なるべく殺人は避けようと考えていた。
王宮は、保守派貴族の牙城であり、民衆派と王家忠誠派を加えても五分の一程度だ。この機会に保守派貴族を皆殺しにしようかとも考えたが、やはり難しい。ならば五分の四の保守派を無理矢理にでも従わせるしかない。従わせる方法は、暴力と恐怖に裏づけられた権力だ。
若手が主力でレオンを首領とする民衆派は、王宮親衛隊、軍組織、王都警備隊、そして民衆暴力を押さえた。高位貴族は馬鹿なので、具体的に力を示し目に焼きつけてやらないとわからない。わかるように血刃で脅しつけ、貴族服を剥いで四つん這いの屈辱的な格好をさせてやった。チョムチョムで、レオン率いる親衛隊に逆らったらどうなるか見せつけて威嚇した。
レオンは、貴族制になんの感傷も抱いていない。貴族とは民衆を搾取する社会の寄生虫であり、いずれ滅んで歴史のくずかごに消え失せる階級だ。保守派貴族などといっても、大半は単なる日和見主義者で、搾取に励み贅沢な暮らしを維持したいだけの連中だろう。骨のある者は、ほとんどいない。
若い新国王は、父を殺した領主貴族を決して許さないはずだ。レオンは新国王に、ある個人が前王を殺したのではなく、国家の統一と相容れない領主貴族という階級が殺したのだと気づかせた。
国王と王家と王国が生き残りたければ、領主貴族との内戦は不可避だ。危機を先送りし民衆の犠牲を増やすだけの交渉や妥協を許さないために、できるだけ早く戦争を開始したい。戦端が開かれれば日和見主義者たちは、主戦派に従うだろう。
それまでレオンは、力を蓄え時期を待つしかなかった。だが、クーデター事件で一気に天秤が傾いた。カウンタークーデターでレオンは、一時的とはいえ王国の独裁権を手にした。そして反乱軍鎮圧を口実に、国軍の指揮権と民衆の武装権をもぎ取った。さらに間髪入れず王宮内で親衛隊を使った恐怖政治を開始し、保守穏健派を威嚇している。
レオンを止められるのは国王だけだ。しかし、事態の推移の速さに圧倒されるばかりで、国王にそんな意志や能力はない。
レオンの意図に気づいていたのは、妻のジュスティーヌだけだ。レオンと一緒に何度か殺されかかり、愚連隊狩りの返り血を浴びて帰宅したレオンの血を自らの手で洗い流した。ジュスティーヌには、美しい手を血で汚す覚悟ができていた。弟王が顔を背けている横でジュスティーヌは、冷然とチョムチョムを眺めていた。「これは不快であっても、必要なことなのだわ⋯⋯」。
ノエル子爵が吐いたせいで捕縛されたオクトー伯爵が、王座の前に引き出された。屈強とは程遠い、タコのような顔をした初老の小柄な男だ。短刀まで所持していたのだから、言い逃れのしようはない。シャルル国王とジュスティーヌ王女の前で、レオンが尋問を始めた。
「ノエルの話しは、聴いていたな? 素直に答えれば、罪はおまえ一人にとどめる」
オクトー伯爵は、なかなか食えない男だった。この期に及んでも、まだ皮肉を飛ばす。
「レオンさん。あなたが新しい国王陛下ですかな? なんともありがたいお言葉ですなあ」
「エラくなりやがって。おまえの言うことを信じるわけないだろ」と皮肉っている。
「オレは、約束は必ず守るよ。クーデターは失敗した。なにか隠しだてする意味は、もうないだろう。⋯⋯おまえの任務はなんだ?」
「王族の間に監禁された高位貴族の中にまぎれ込んで情報収集し、我々が擁立した国王になびくよう誘導すること、ですな」
「なぜ短刀を持っていた?」
「マクシム第三王子殿下から渡されたんですよ。正体がバレたら自殺しろということでしょう」
「陛下を狙ったんじゃないのか?」
「ははは⋯。できるとお考えですか?」
こんな貧相な男が、刃物を使ったテロなど無理にきまっている。
「クーデターの目的を述べろ」
オクトー伯爵の目つきが変わった。
「王家よりも歴史の古い領主貴族の土地と財産を奪い王国に亀裂をもたらさんとする暴君を廃し、君側の奸を払い、英明な新王の元にフランセワ王国の再建を⋯⋯」
「おのれっ! 父を愚弄するかっ!」
新国王シャルル一世が、いきり立った。
「ははは! このような若い方が王座につくとは⋯。いやはや、この国も先が見えましたなあ⋯」
オクトー伯爵は、もう完全に死ぬ気だ。レオンは急に砕けた口調になる。
「で、オレは『君側の奸リスト』の何番目にいる?」
オクトー伯爵は、大仰に目を丸くしてみせた。
「知らなかったんですか? 一番ですよ。一番!『発見し次第、殺せ』です。いや、しかし、お美しい王女殿下をお連れして堀に飛び込むとは、やられましたなぁ」
レオンは、面白がり嬉しがってさえいるように見える。
「敵に憎まれることは、良いことだ。⋯⋯毛沢東だったかな。『土地』はともかく『財産』っておまえ、奴隷のことだろ? 国民を奴隷にして財産扱いしたら、駄目だろうが」
痛いところを突かれると、人間は攻撃的になる。オクトーもそうだった。
「奴隷ごときを国民などとは片腹痛い。下賤な平民風情と親しく交わり、王家の尊厳と血統を穢し、貴族界の秩序を乱す無法無頼の輩、レオン・マルクス。女のおかげで成り上がった田舎者めが。あなどって先に始末しなかったことが、悔やまれるわ。こんな若造を国王に仕立て上げて、何をするつもりだ? 姉と弟を乳繰り合わせるのか? ははははははは!」
自分らで前国王を殺し、レオンの命を狙っておいて、ひどい言いがかりをつけてくる。だが、レオンがいなければ、クーデターは一旦は成功していた可能性が高い。真っ先に排除しておかなかったのが失敗だったというのは、あながち間違いでもなかろう。
レオンは、大判の紙をオクトー伯爵の前につきだした。クーデター派のリストだ。
「はっ、笑わせるなよ。奴隷使いが⋯⋯。おぅ、胴斬りが嫌なら、このリストになにか加えろ」
オクトー伯爵は、興味深そうにリストを眺めている。
「ほう、これは立派なものですなあ。こんなに早く組織の全貌をつかみましたか? おや、ワシの知らない名まである」
オクトー伯爵が口を滑らせた「組織」という言葉に、レオンは反応した。「やはり領主貴族の思いつきではなく、計画的で組織的なクーデターか⋯⋯」。シャルル新国王に耳打ちする。
「これから王宮情報部長と副部長を拘束します」
「なぜだ? 後々困るのではないか?」
「これだけ大きな陰謀団体が、情報機関の網にかからないはずがありません。どこかで情報が止められていたのです。情報部を厳重に組織点検する必要があります」
「⋯うぅむ。そのようにせよ」
レオンとシャルル新国王がヒソヒソと話をしていると、唐突にオクトー伯爵が笑い始めた。
「どうした? なにがおかしい?」
「肝心な方が抜けているではありませんか。意図して抜いたんですか? ははははは!」
珍しくレオンが渋い顔をした。その通り。レオンが意図的にリストから外したのだ。
「ここに引っ張ってくるわけにもいかないだろうが」
シャルル新国王が、口を挟んだ。
「誰のことだ。申せ」
レオンは黙っているが、オクトー伯爵は嬉しそうに笑って口を開いた。
「ははは⋯。赤い⋯ドレス⋯女⋯⋯」
「ジュリエットのことか?」
もうなにも怖くないオクトー伯爵が、せせら笑った。
「我らの会合には、いつもいらっしゃいましたなあ。暴君が王宮貴族と領主貴族の交流を禁じていましたから、我らを結びつけることができるのは、監視のない王族のみでした。はははははは!」
実際には、これは正しくない。王族は王宮保安部の厳重な保護監視下にある。レオンが、近くで待機している部下に耳打ちした。
「保安部長を拘束しろ。保安部と情報部の関係部署は閉鎖だ。誰も入れるな。クーデター前後に入室した者をチェック。名をひかえておけ」
オクトー伯爵は、笑いながら引き立てられて行った。
ジュリエット第四王女は、シャルル新国王のすぐ下の腹違いの妹だ。十八歳。フランセワ王国では成人だ。
「おのれぇ⋯父殺しがっ⋯。レオンっ! ジュリエットはどこにいるっ?」
「第四王女殿下には、護衛をつけ安全な部屋で休息していただいております」(*訳 逃げないように見張りをつけて閉じこめているよ)
「連れてこい! この場で死刑を言い渡してくれるっ!」
「はぁ、分かりました」という調子のレオンだったが、ジュスティーヌ王女が介入してきた。
「陛下。ジュリエットは王族です。王族の⋯犯罪⋯は、王族会議で裁かれる掟です。この場での御裁断は、どうか⋯⋯」
ジュリエット第四王女は、自殺した第三王子と違って首謀者とは思えない。シャルル新国王は、姉の諫言に素直に引いた。
「わかった。ジュリエットは、王族会議で裁く」
強制身体検査が終わり王座の周りに集まっていた貴族たちは、改めて優しく気高いジュスティーヌを見直した。レオンが付いていたとはいえ、王族でただ一人戦闘中の王宮から脱出し、部隊を率いて反撃し反乱軍を撃退した。優しいだけでなく、芯が強いから新国王にも諫言できる。きっと王族会議でジュリエット殿下の命乞いをされるのだろう⋯⋯。なんというお優しい方だ。
実のところジュスティーヌは、腹違いの妹のジュリエットのことを毛虫や蛇よりも深く激しく嫌悪していた。
腹違いの妹なのだから、自分によく似ている。でも、どことなく下品に感じる顔立ちが、嫌いだった。声まで似ているのが、不快だった。わざとイライラさせるような喋り方も、いやだった。姉王女が持っている物は何でも欲しがる子供の頃からの卑しさを、軽蔑した。ジュスティーヌが白ならばと、シルエットがそっくりの赤いドレスを着て張り合おうとする妹が、気持ち悪かった。自分と似た顔で男に媚びた下品な表情をつくるのには、もう目を背けたかった。高位貴族出身の侍女を十人も引き連れることで権力を誇示しているつもりの浅はかさは、鼻持ちならなかった。母親が娼婦だったことを吹聴し哀れな身の上を売り物にする自己憐憫は、もうたまらなかった。体つきまで似ているジュリエットが複数の男と汚らしい浮き名を流すのには、吐き気がした。ジュリエットを思わせるあらゆる物が、忌まわしかった。ジュリエットの好む赤い色が嫌いになったほどだ。
ジュスティーヌは、この世界では奇跡的なほど開明的で平等主義的な考えの持ち主だった。現代日本風に言えば、リベラルだった。それなのに、自分の妹がこれほどまでに下劣なのは、売春という醜業についていた母の血のせいなのかと考えてしまうほどだ。
とりわけジュリエットがレオンに色目を使うことに、ジュスティーヌは激しく苛立った。義妹というポジションを利用して、大勢の貴族が見ている前でレオンの腕に触れ、下品に潤んだ目で見上げ、媚びて笑いながら顔を近づけ、耳元でなにかささやいたりする!
ジュスティーヌが動揺していることを悟れば、しめたとばかりに調子に乗って挑発してくるのは目に見えていた。絞め殺してやりたいほどの憎悪を感じながら、「ジュリエットをお願いしますわ」などとレオンに言ってその場を離れた。この不潔な女が、自分の夫の腕にベタベタと触れているのを見たくなかったのだ。それを考えただけでおぞけ立ち、全身の血が逆流する思いがする。
レオンにその気が全くないのが救いだったのだが⋯⋯。ジュスティーヌは、レオンがジュリエットに誘い出されて密室で二人が会う場面を、どうしても想像してしまう。
「ねぇん。お姉さまって、ターイクツな女ですわよねぇ」
「んー? そうだなぁ」
「かわいそうなレオン。アタシだったら、つまらない思いなんかさせないわぁ。⋯⋯ねぇ。くらべてもいいのよ? ウフフフ~♡⋯⋯」
「へーっ。そりゃいいや。姉妹で味が違うか、実験だーっ! ワハハハ!」
王女殿下とは思えない、なかなか下品な想像だ。だが、ジュリエットの行状を鑑みると、いかにもありそうな気がする。
ジュスティーヌは、レオンを深く愛していた。尊敬すらしている。しかし、依存気味ではあるが、完全に洗脳されているわけではない。妻でありながらレオンの貞操観念に関しては、全く、一ミリも信用していなかった。一時期は諦めの境地にまで達したくらいだ。
ところが結婚したとたん、レオンの凄まじい女遊びはピタリと止まった。それは嬉しかったが、いずれ再発するかもしれないとも恐れている。でも、でも、でも、でも、たとえ千人の女と浮気されたとしても、ジュリエットとだけは我慢できない! あの女は、レオンに色目を使い、さかんに集会とやらに誘っていた。クーデターの勧誘だったのかしら? 別のお誘いだったのかしら? とにかく、あの女には消えてもらいたい。 死んでほしい!
しかし、大勢の貴族が見ているこの場で新国王がジュリエット第四王女に死刑を宣告することは、クーデターで弱体化したフランセワ王家の権威を失墜させ、王権をさらに弱めると考えた。なので王族としての義務を果たした。王族会議でジュリエットを弁護する気など、ジュスティーヌには毛頭ない。
王族会議は、成人した直系王族と正妃によって行われる。クーデターで成人王族が四人も死に、正妃は寝込んでしまった。議決権を持つ王族は、シャルル、ジュスティーヌ、ジュリエットの三人だけになった。被告人のジュリエットは会議から外される。残ったシャルルとジュスティーヌは、妹を死刑にする気満々だ。
シャルル新国王が、顔色を青白くして静かに口を開いた。あまりに怒りすぎると、怒鳴ったりしなくなるらしい。
「レオン。リストに載っている者を全て七族斬胴刑にせよ」
「姉と弟を乳繰り合わせるのか? はははははは!」というオクトー伯爵の嘲笑が決め手になったようだ。
国王直々の勅命なので、臣下のレオンが「嫌です」と返すことはできない。
「ざっと数えましたが、二万人以上を斬胴することになりますが?」
「かまわん。反逆者の一族を根絶やしにしろ」
王族の間が静まりかえってしまった。どこで反逆者と縁戚として繋がっているかわからない。自分も斬胴刑に引っかかるかもしれないのだ。
「陛下を怒らせるのが、オクトーの策略なのです。即位と同時に怒りにまかせて二万人も殺すなど、民衆から暴君とされてしまいます」
「かまわぬ! 処刑しろっ!」
シャルル新国王は、二十歳と若かった。若いから頭に血が上りやすく、向こう見ずで残酷だった。
処刑される二万人は、犯人の顔を知っているかどうかもあやしい遠い親戚や使用人が中心で、多くは平民だ。貴族同士を争わせ力を殺ぐことには熱心だったレオンだが、平民殺しには全く気が乗らない。貴族相手でも斬胴刑などという馬鹿げたことをさせられるのは、まっぴらだった。特に子供を殺させられるのは、御免だ。
古代ローマでは、奴隷が主人を殺すと罰としてその家の奴隷が全員処刑されたという。実際に奴隷による主人殺人が起きて、罪のない奴隷が数十人も処刑されたことが何度かあった。そのたびに処刑に反対するローマの民衆が暴動を起こして、軍が出動する騒ぎになった。そんな世界史のエピソードを思い出した。
民衆は連座刑を嫌う。つぎは自分が罪をかぶせられ、連座し殺されるかもしれない。
叛徒の一族を根絶やしなど、無理な話だ。殺される二万人には、親族、友人や恋人が数十万人単位でいる。彼らは処刑を命令した新国王と、残虐な見世物処刑を指揮した者を深く恨むだろう。王都民のレオン人気は大暴落してしまう。二万人もの斬胴刑など、民衆派の領袖であるレオンが到底受けられる命令ではない。
どうすればよいのか? 方法はひとつしかない。レオンは小さくため息をついて切り出した。
「私の力不足のため、陛下のご期待に添える働きはできません。どうか王宮最高指揮官の職を解き、改めてその任に適した者をご指名下さい」
レオンの本音は、「胴切りなんかやってらんない。罪もない平民を二万人も殺せなんて腹立ちまぎれに命令するやつなんぞ、もう知らん」だ。
シャルルと貴族たちは、驚愕した。まさか謀反人との約束を守れないからと、事実上の独裁官の職を放り出すとは!
もちろんレオンは、そんなにチョロい人間ではない。しっかり魂胆がある。まず、辞任は拒否されるとみていた。新国王が胴切りを引っ込めレオンを引き留めることで、自分の発言力が増す。仮に王宮最高指揮官をクビになったとしても、痛くもない。本当に欲しかった軍の指揮権と民衆の武装権は、すでに手に入れた。早く軍の改革と、民衆の武装と組織化に手をつけたい。戦争準備に集中できるから、罷免はむしろ好都合と言えるくらいだ。
謀反だ、クーデターだ、などといっても、しょせんは貴族の権力争いにすぎない。コップの中の嵐の結果、貴族の権力者が交代したところで、社会は何も変わらない。こんなものは、欺瞞的なブルジョワ選挙を殺し合いにしたシロモノにすぎない。
下部構造を根底からくつがえし、それによって政治・文化・宗教・言語という上部構造も一変させ、搾取階級を粉微塵に消し去るという革命。この革命に比べて貴族どもの利権争いの殺し合いは、なんと矮小なものだろうか。
こんなクーデターは、これから爆発する革命の下準備の道具に使わせてもらう。レオンは、早く軍の武器庫を開いて民衆に武器を手渡したいのだ。
「ローザ秘書官。筆記しろ」
「⋯⋯はい」
「命令 ジージョ・ド・ラヴィラント伯爵を釈放せよ。
王宮最高指揮官 レオン・アルフォンス・ランソワ・ド・マルクス大将(印)」
指輪がハンコになっており、それで書類に押印すると公文書としての効力を持つ。自らの手で無実の罪を着せて投獄したラヴィラント伯爵の釈放を最後の仕事にするつもりらしい。レオンが、本気で辞めるつもりなのが伝わってきた。
「もうひとつ頼む。『レオン・アルフォンス・ランソワ・ド・マルクスを王宮最高指揮官より解任する』」
レオンは、ローザ秘書官から自分をクビにする書類を受け取ると、うやうやしく新国王に差し出した。
「御署名と王章を押印されましたら、勅状が有効になります」
シャルル新国王は、頭から冷水をかけられたような気持ちになった。冷や水をぶっかけられたので、上っていた血が下がった。
クーデターは小康状態にあるが、まだまだ状況は流動的だ。先王を弑するような連中だ。何をするか分からない。いま頼れるのは武力だけだ。レオンが王都警備隊兵を集めたり、民衆に武器を配っているのも、つまりは兵を集めるためだ。その中核となるのは、やはり王宮親衛隊だろう。王宮親衛隊の指揮をとれるのは、レオン、ジルベール、ラヴィラントの三人しかいない。
ジルベールは身分は申し分ないが若すぎる。それにレオンの弟分だ。王都警備隊部隊の編成やチョムチョムやらで駆け回っている。戦闘指揮官としては優れていても最高司令官には不適だろう。
レオンを解任したら、後を任せられるのはラヴィラント伯爵しかいない。王家に絶対の忠誠を誓う忠臣ラヴィラントは、高潔でレオンよりはるかに穏健な良識人だ。だから、だからこそ二万人の公開斬胴刑には、全力で反対するだろう。王家忠誠派であっても、シャルル一世絶対忠誠派というわけではない。シャルル王の治世がフランセワ王家を危うくすると判断したら、どう出るか分かったものではない。
最も信頼している姉のジュスティーヌも、離れていくだろう。夫と弟のどちらが大切か、シャルルにだって分かる。鶴と熊のような組み合わせなのに、この二人はとても夫婦仲が良い⋯⋯。
残るは保守派貴族だけだ。しかし、反逆者は全てこいつらの中から出ている。まだまだ潜んで機会を伺っていそうだ。それに、たしかに二万人も殺したら、王都民の憎しみを一身に受けることになる。これでは裸の王様ではないか? そんな裸の王様が殺されるのは時間の問題だ。
しかし、いまさら七族斬胴刑命令を引っ込めるわけにもいかない。レオンの辞職の圧力で斬胴を取り止めたら、シャルル新国王はレオンの傀儡だと広言するようなものだ。そのくらい分からないレオンではないのに、辞表を出すという形で正面から反対してきた。まだ未熟な国王を身を挺して諫めるポーズを取って、どちらに転んでも損がないように民衆派の政治的影響力の拡大を図っている。
いつもレオンがやり過ぎると止める役のジュスティーヌ王女が、ここでも介入してきた。夫婦であってもレオンとジュスティーヌの利害は、必ずしも百パーセント一致しているわけではない。ジュスティーヌにとってシャルルはかわいい弟だ。フランセワ王家の王女であると同時に、誕生したばかりのフランセワ=マルクス公爵家の女主人でもある。生まれながらの王女であるジュスティーヌは、レオンと同じような完全な民衆派というわけにはいかない。フランセワ王家が滅んでしまっては父祖に顔向けできないという意識も強い。
「あなたがそんなに我を張っては、シャルル陛下の政務が滞ってしまいますわ。陛下。まず反乱軍を討ち払うことが先決ではないでしょうか。この件は、事態が落ち着いてから再検討することになさっては?」
ダウンしてしまった母正妃に代わって女性王族の序列一位として王妃座に座っているのに、夫であるが身分が下のレオンを「あなた」と呼んで夫婦だとアピール。「シャルル陛下」と名前で呼んで、新国王が弟であることもアピール。レオンとシャルルは、自分をはさんで親戚であることを思い起こさせる。斬胴問題での罷免願を、「我を張って」とレオンのワガママが原因の身内のいさかいのように矮小化してみせる。今さら七族斬胴刑命令は取り下げられないので、「事態が落ち着いてから再検討する」として棚上げする。もちろん永遠に「検討」なんかしない。
姉の助け船に、新国王は飛びついた。
「姉うえ⋯ジュスティーヌ王女の助言を採用する。レオンは罷免しない。その職に留まり、予定通り反乱軍を鎮圧せよ」
ジュスティーヌのおかげで、レオンは辞める口実がなくなってしまった。無理に辞めれば辞められないことはないが、そのせいで政治力が落ちることは避けたい。ならば現職に留まり、クーデターの後始末で仕事ができることをアピールしたほうが得策だろう。どうせ、「鎮圧せよ」と命じられなくても既にクーデターは失敗し、クーデター派は自壊している。
「はっ。承知しました」
国王は、安堵のため息をついてレオンの罷免願いを破り捨てた。
顛末の一部始終を見ていた貴族の一部には、レオンは虐殺を身を賭して諌めた剛直な人物にみえた。別の一部には、位人臣を極めようとしていたレオンが下民のために地位を投げ出すなど、愚の骨頂にしか見えなかった。また別の一部は、国王の勅命に公然と逆らってみせたレオンを、叛心ありとみた。
胴斬り騒ぎが落ち着いたところで、王都警備隊長官に出世したジルベールがやってきた。クーデター派リストをヒラヒラさせている。
「センパイ⋯じゃなくてマルクス最高指揮官。警備隊の部隊に余裕ができました。今からこいつらの屋敷に突入させ、全員検挙します。ざっと二百人は網にかかりそうです。ぶち込む場所がもう無いですよ。どうせ死刑ですから、全員殺しちまいますか?」
おそろしく物騒なことを言う。
「あわてるな。いいか。敵拠点を厳重な監視下に置き、今は手を出すな。領主貴族の騎馬部隊が来るとしたら~、来ないだろうが⋯、五日後だ。三日後に全敵拠点に突入し一斉検挙する」
「はあ。⋯⋯どうして三日も待つんですか?」
セレンティアには政治警察は無い。だから、反体制秘密組織の潰し方なんてだれも知らない。過激派の活動家として公安警察と追いかけっこをしてきたレオン=新東嶺風は、政治警察のやり口を知悉していた。自分の反体制活動の経験から弾圧の手口を学んだところは、五回も逮捕されシベリアに流され、六回脱走したスターリンにちょっと似ている。
「敵の立場になって考えろ。王宮に突入した部隊とは、連絡が取れない。反乱の首魁どもも音信不通だ。外に残った連中は、どうすると思う?」
「そりゃ、状況を把握するために偵察を出し、横の連絡を取り。ああ、⋯⋯なるほど。ハハハ⋯」
ジルベールは、内心レオンの仮借なさに驚き、それを隠すために笑ってみせた。
「アジトを監視下に置き、敵を泳がせて組織をあぶり出す。一斉に摘発して王都から反逆者を根絶やしにする。取りこぼしは許さん。一人残らずだ」
シャルル新国王が、大きく頷いた。やはりこの男を辞めさせるわけにはいかない。
このやり方は、政治警察が反体制組織を弾圧する際の常套手段だ。レオン=新東嶺風が高校生だった時に起きた連続企業爆破事件が典型だろう。
爆弾グループの掲げた『反日革命』だのといった理論は、およそマトモな左翼ならば相手にしないものだ。とはいえ嶺風は、持ち前の極左軍事主義の気分を発揮して、興味深く事件の推移を観察していた。
昼休みの丸の内に爆弾を仕掛け八人もの通行人を爆殺した『東アジア反日武装戦線』に対しては、「人民大衆の革命性を信じることができず、大衆的実力闘争の代用に時限爆弾なんかを持ち出し、肝心の人民を殺しやがった」と、全く共感はできなかった。こんな爆弾闘争は、いずれ破綻する。
わずか八カ月後に東アジア反日武装戦線が一斉検挙され、壊滅したことには驚かなかった。
隠れて爆弾を仕掛けるような連中を逮捕するなど困難を極めると考えそうだが、実はそうでもない。東アジア反日武装戦線は、反日革命なる理論を信奉し、地下出版した爆弾教本『腹腹時計』にも理論編としてそれを載せていた。こんな極論を真に受ける者は、ごく少数だ。爆弾闘争を決行するほどのグループならば、非合法活動に入る前に必ずメンバーの誰かが同様の思想傾向の集会に顔を出し、合法活動にも参加しているはずだ。この時点で容疑者は、数千人に絞られる。
当局は、危険性が高いとみなした集会には公安刑事を潜入させ、集会解散後には新顔を尾行する。反体制的な集会の参加者の身元は、ほぼ全てが公安に割れているという。あとはしらみつぶしに思想傾向が近い者を洗い、絞り込むだけだ。
東アジア反日武装戦線の場合は、数カ月で組織の一端が掴まれ、徹底した監視の元に泳がされ、本格的な爆弾闘争を始めてたった八カ月ほどで一斉検挙され壊滅してしまった。
自らを大衆から切断した東アジア反日武装戦線。大衆に依拠できないたたかいは、脆い。高校三年にして『三里塚を闘う高校生共闘』に加わっていた新東嶺風は、東アジア反日武装戦線の敗北をそのように総括した。
しかし、嶺風がテロを全否定していたのかといえば、まるで違う。むしろ革命にテロルは不可欠であり、絶対に必要だと考えていた。この考えは嶺風だけでなく、周りの仲間たちも同様だった。
嶺風の考えていたテロルとは、単発的な爆弾テロではない。敵対党派のアジトに夜討ちをかけ、頭にバールを撃ち下ろして殺す陰惨な内ゲバの個人テロでもなかった。嶺風=レオンの考えている革命に必要不可欠なテロとは、大衆テロだ。多数を占める被抑圧階級がかつての支配階級を摘発し包囲し、次々と公然と処刑する。階級敵を、大衆テロによって、絶滅させる。
現状のフランセワ王国を例にするなら、領主領に民衆軍を突入させ領主制の経済的基盤をなす奴隷を解放する。解放奴隷に領主貴族に対する大衆テロを発動させる。これが、セレンティアでの世界革命の第一段階となる。
階級敵に対するテロルや処刑などというと、非人道的に感じられるだろう。しかし、一万人足らずの領主貴族とその追随者を除かなければ、さらに恐ろしい地獄が待っている。
少し知恵の有る官僚貴族ならば、「このままでは大変なことになる」といった程度の認識は共通していた。レオンは、戦争で封建領主制を解決するしかないと主張したため、穏健な前国王によって生首事件を口実に政府中枢から遠ざけられてしまった。
今回のクーデター未遂事件のせいで、前国王アンリ二世とそれを取り巻いていた保守派貴族から、新国王シャルル一世と民衆派のレオンらに権力が移動した。
しかし、新国王と同様に民衆派は、あまりにも若く未熟だった。どうしても保守穏健派の協力が必要だ。どうやってか? 簡単だ。「領主貴族を倒さねば、おまえの命が危ない」。この現実を納得させればよい。
貴族の中の貴族である王族が、何人も血を流した。なによりシャルル新国王がクーデター部隊によって軟禁され、ひとつ間違えばどうなっていたか分からない。高位高官貴族たちも、内戦やむなしに傾きつつあった。
実務能力の高いレオンがテキパキと指示を出し、フランセワ王国は国家機能を回復しつつあった。主要官庁に伝令の馬を走らせ、目の前にいる大臣の頭越しに命令を下す。荒事しかできないと見ていたレオンの行政官としての有能な姿に、同室の高位高官貴族たちは驚愕した。
ふと気づくと、王族の間にいる者は、朝からなにも食べていない。殺し合いでそれどころではなかったからだ。さすがに腹が減った。レオンは、食事の用意をさせるために王族の間を出た。親衛隊関係者以外は、大臣であろうとここから出ることはできない。
転がっていた死体はあらかた片づけられていた。各所を点検しながら地階のメイド部屋に行くと、女の子たちがグッタリしていた。メイドといっても初期ブルジョワジーの娘たちだ。いいところのお嬢さんが、再び戦場になるかもしれない王宮に出仕してきたことにレオンは舌を巻いた。
「よう。無事だったかい?」
レオンの顔を見ると、メイドちゃんたちは一斉に駆け寄ってきた。泣いちゃってる娘もいる。
「おう。もう大丈夫だぞ。悪いやつらは、やっつけたからな」
民衆派の指導者だけあって、レオンは平民に優しいし慕われている。
「レオンさまーっ! うわあぁあん! 頭が、頭が落ちていて⋯」
死体片付けの手伝いまでやらされたらしい。
「国王陛下がぁ! ええええーん!」
顔にアザをつくってのびているメイドがいた。どうしたのか訊いたら、宿直している時に「悪い人たち」が攻めてきたので、皿や瓶を投げつけて抵抗。捕まってぶん殴られたそうだ。⋯⋯よく殺されなかったものだ。西方領主領の騎馬兵には、騎士道のようなものが残っていた。
レオンが王族の間に戻ると同時に、サンドイッチのたぐいの簡易食が運ばれてきた。若いシャルル新国王は嬉しそうだったが、これを国王に食べさせるわけにはいかない。
「お待ちを。陛下はこちらをお召し上がり下さい」
レオンは、麻袋からふかした女神イモ=ジャガイモを取り出した。まだ少し温かい。
「これは⋯なんであるか?」
サンドイッチに比べて、女神イモに塩をかけてかぶりつくというのは、あまりにも貧弱だ。でも、レオンは頓着しない。
「私が監視して作らせた安全な食糧です。持ち込まれた料理は、今は毒物対策ができていません。ここが戦場であることをお忘れなきよう」
本当は、メイドちゃんたちが夕食にしようとふかしていた女神イモを拝借してきたものだ。たしかに間違いなく毒は入ってないだろう。メイド部屋の炊事場から瓶に入れて水も運んできた。
「水も、こちらからお飲み下さい。何者からであろうと渡されたものを飲んではなりません。敵は、前国王陛下を弑したような者どもです。なにをするか分かりません」
せっかく命拾いしたのに毒殺されたらたまらない。新国王は、ゲンナリしながらレオンに従った。ナイフやフォークは、持ち込み禁止だ。新国王は、生まれて初めて女神イモを手づかみで食べた。「国王などに、なるものではない⋯」。
夕方になり、王都警備隊本部を監視していた偵察隊から、息を切らせて伝令兵が飛んできた。占拠していた反乱軍が動いた。
「私が出た時には、警備隊本部から百名ほどが出てきていました。騎乗の準備をしています」
王族の間は騒然となった。
「敵が攻めてくるのか?」
「迎え討つ準備は?」
「早くっ! 早くしないと!」
「警備隊兵で勝てるのか?」
落ち着いているのは、戦闘経験のある親衛隊騎士や軍務についたことのある貴族くらいだ。一番落ち着いているレオンがローザ秘書官に命令を口述させる。
「十七時十五分、王宮指揮監督権者より通達。敵騎兵隊が行動を開始した。王宮親衛隊及び王都警備隊は、厳重な警戒態勢をとれ。王宮内の非戦闘員は、二階以上に退避せよ」
カムロたちがコンニャク印刷機でアッという間に六十枚印刷した。いつの間にやら王宮内を自在に駆け巡っていたカムロたちが、王宮内外の要所を固める隊長に配布して回る。
百人やそこらで王宮に攻め込んでくるほど、敵も馬鹿ではあるまい。しばらくして伝令兵が再び飛び込んできた。
「敵数は百二十騎。全員騎兵です。西門方面に向かっています。武装した王都民の散発的な攻撃により、若干の被害が出ている模様」
「逃げたか⋯。賢明な判断だな。ジルベール。退却する敵を騎兵で追尾しろ」
「あー、払暁から騎兵を酷使してきましたからねえ。五騎くらいしか出せませんよ」
「それでいい。目的は偵察だ。戦闘は避けること」
新国王が、口を入れた。
「追撃しないのか?」
「我が方には騎兵がありません。追撃は不可能です」
半日前に父と兄二人が殺されたのだ。新国王にとって、下手人の一味を逃がすことは我慢ならない。
「おのれえぇぇ⋯⋯。レオンっ! 国王殺しどもを根絶やしにせよっ!」
「はっ。やつらは領主領に逃げ帰るのでしょう。いずれ主人の領主貴族もろとも全滅させます」
シャルル新国王は、若かった。大勢の貴族の前で言ってよいことではないのだが、言った。
「いつだ? いつ誅滅するっ!」
レオンは、内心舌なめずりをしている。フランセワ王国は専制君主国家なのだから、国王の言質を取った者の勝ちだ。
「開戦しましたら、二カ月で領主貴族どもを根絶やしにしてご覧に入れます」
王族の間は静まりかえった。
「うむ。いつ開戦できる?」
「一カ月後です。取りこぼしの無いように西方領主領地域を軍団で包囲し、一斉に突入して蹂躙します」
民衆派の中でも穏健と見られていたジュスティーヌ王女でさえ、当然事のように頷き、止めだてしない。シャルル新国王が王座から立ち上がった。
「ハハハハハ! よく言ったぞ、レオン。秘書官。筆記せよ。「国王勅令。フランセワ王国は、戦争状態にあるっ。敵は西方領を占拠している反逆者である。あらゆる物的・人的資源を戦争に動員せよ。一カ月後に攻勢を開始する」」
戦争の歯車が回り始めた。だれにも、いずれ国王やレオンにさえ止めることはできなくなる。
戦争宣言をしたシャルル新国王は、緊張の糸が切れてばったりと王座に座り込んでしまった。真っ青になり肩で息をしている。これ以上は無理だろう。御退場いただこう。
「ジュスティーヌ。陛下を寝所にお連れしろ」
「大丈夫だ。私はまだ⋯⋯」
ジュスティーヌと三人侍女がシャルルを支えて立たせる。
「なりません。あなたまで倒れたら、フランセワ王国はどうなるのですか? 少しでも休まなければ」
寝所に連れて行かれるシャルル新国王に、レオンが十数枚の書類を手渡した。
「⋯なんだ? ⋯これは?」
「王宮総務部から取り上げてきました。写しはありません。だれにもお見せにならないように」
寝所の巨大ベッドに、シャルルは倒れ込んだ。賊兵どもに抜き身の剣を突きつけられ連行されたのは、たった十八時間前だ。精神的にも体力的にも、もう限界だった。
クーデター前となにもかもが変わってしまった。
間近で父王の激務を見ていたシャルルは、国王どころか政治に関わりたいと思ったことさえなかった。政務は兄王太子に任せ、自分はどこかの貴族家に婿入りして好きな魚類の研究⋯⋯食用魚の養殖の研究をしてフランセワ王国に貢献したいなどと考えていた。
それが今や『シャルル一世』だ! 反逆者どもに虎視眈々と命を狙われている。王族の間にまで入り込んだ刺客が所持していた短刀を思い出し、巨大ベッドの上でシャルルは頭を抱えてしまった。隣に姉王女のジュスティーヌが座り、優しく背中をさすってくれている。
「姉上、姉上が⋯⋯」
女王になってくれれば良かったのに、と再び言いたくなった。だが、もう手遅れだ。今さら姉に「死ぬのが怖いから王座を引き受けてくれ」と哀願するわけにはいかない。
ようやくシャルルは、レオンに渡された書類に気がついた。人名が書かれている。
「姉上、なんですか。これは?」
ジュスティーヌが答える。
「今日、登城した者の名簿だそうです」
「なぜそんなものを?」
珍しくジュスティーヌが苦々しい顔をした。
「登城する者は、いつもは八百人ほどと聞きました。今日、登城したのは六百人です⋯⋯」
「!⋯⋯賊軍におびえて、二百人も逃げた⋯のか⋯?」
たしかに王宮は戦場で血の海となった。再び敵が攻めてくるかもしれない。命惜しさに出仕しない者もいるだろう。
実際に職場放棄したのは、百五十人ほどだ。王宮総務部から登城者名簿を接収したレオンは、強硬な反民衆派や戦争反対派のリーダー格の名を五十人ほど削除して新国王に渡した。⋯⋯これで仕事がやりやすくなる。渡したのは原本で写しはないので、改ざんがバレる可能性はない。
「くっ! 臆病風に吹かれたのかっ。この者どもは敵前逃亡で厳重に処罰する!」
自分が死ぬような目に遭っている時に逃亡した臣下に、シャルルは激怒した。ジュスティーヌ姉王女の方が冷徹だ。弟王を誘導する。
「これほど多くの臣下が逃亡したと知れたら、敵に侮られましょう。表沙汰にせず、少しずつ政治の中枢から外すのです」
たしかに王宮の官僚貴族を四分の一も処罰したら、行政の機能が停止してしまう。しかも、これから戦争を始めようという時だ。
「ふうぅ⋯⋯。国王といっても不自由なものだ」
シャルル新国王は、逃亡者を閑職に追いやり政府から追放することを固く決意した。誰かを要職につける際には、必ずこの名簿を確認するだろう。
シャルルは再び名簿を眺め、高位高官の逃亡が多く、メイドや下働きの者が忠実に登城していることに感銘を受けた。「いざという時に、貴族は頼りにならない⋯⋯」。
名簿にかじりつき、いつまでも寝そうにない弟に、ジュスティーヌが呼びかけた。
「⋯⋯陛下の安全は、私たちがお守りします。さあ、休みましょう。休息するのも国王の仕事です。フフ⋯⋯同じ部屋で寝るのは、十年ぶりですわね」
シャルル新国王とジュスティーヌ王女が王族の間から退室した今、もうレオンを止めることができる者はいない。
もともとレオンは、例の名簿の五十人をクーデターのどさくさで消してしまおうと考えていた。クーデター派の犯行にみせかければいい。すぐに戦争が始まるのだから、調べる者も無くうやむやになるだろう。やつらを消せば、これから仕事がやりやすくなる。
数日中にクーデターの失敗が明瞭になる。そうなったらもう民衆派は用無しだ。保守派が巻き返してくる。独裁権を握った今のうちに、これまでさんざん邪魔立てしてきやがった保守派貴族どもを血の海に沈めてやる。そうしなければやつらの妨害で戦争は中途半端に終わり、民衆が流す血が無駄になる。汚れ仕事だが必要なことだ。⋯⋯やるか?
ジュスティーヌ王女は、レオンの魂胆を見抜いた。ジュスティーヌにとっては、五十人の保守派貴族は子供の頃からの顔見知りであり、民衆派と政治路線が異なるだけで殺さねばならないほどの悪事を働いたわけではない。
王女座から立ったジュスティーヌは、レオンを引っ張って隅に連れて行くと、小声で話し始めた。
「彼らとて、フランセワ王家の臣下です」
「毒蛇の頭を斬り落とす千載一遇のチャンスだ」
「いけません。血は血を呼ぶものです」
「何のための権力だと思う。うまくやってやるさ」
「力に驕ってはなりません。彼らを政治的に無害にすればそれで良いではありませんか」
「⋯⋯⋯⋯⋯⋯甘い。後ろから刺される」
「わたくしが、させません」
わずか数分の立ち話と耳打ちで、ジュスティーヌは五十人の命を救った。対案としてジュスティーヌがレオンに手を貸し、改竄名簿を新国王に提出した。そのことで五十人の敵対派閥の貴族の命を救い、しかし政治的には抹殺したのだ。
スパイの冤罪をかけられ拘束されていたラヴィラント伯爵が、王族の間に戻ってきた。さっきレオンが釈放命令を出した。
気骨のある中位貴族が集まった王家忠誠派の筆頭で次期宰相が、国王の面前でスパイの汚名を着せられ連行されたのだ。これほどの恥辱はない。この場でレオンに斬りつけても不思議ではない。幸いラヴィラント伯爵は、丸腰だが。
レオンは、ラヴィラント伯爵を見つけるやスタスタと近づいて行った。今度はレオンがラヴィラント伯爵を斬ってしまうのではないかと、王族の間は静まりかえった。ラヴィラント伯爵も、死ぬことを怖れるような人間ではない。顔色も変えずレオンと対面する。
「⋯⋯なんの⋯御用ですかな?」
「王都は、十九日深夜十二時まで戒厳状態におかれます。ラヴィラント伯爵には、それまで行政機能の回復と各省庁の監督をお願いしたい。私は、敵部隊の掃討と治安維持を行います」
次期宰相候補だったラヴィラント伯爵に、戒厳令下の行政を担当させようというのだ。これではスパイ容疑をかけたのは冤罪だったと自白したのも同然だ。
「⋯⋯私は、スパイなのでは?」
レオンは、顔色も変えない。鉄面皮とは、このことだろう。
「過去に不幸な行き違いがありましたが、王家のためです。お願いします」
ラヴィラント伯爵家には家訓があった。
「フランセワ王家に忠誠を尽くせ。国王に諫言することにひるむな。たとえそのために流刑されても、王家危急の際には、どこからであっても家宝の剣を携えて王宮に参ぜよ。路銀がなければ、乞食をし道端の雑草を食って王都にたどり着け。王宮に入れられなければ、剣を抱き王宮の壁に寄りかかり、餓死するまで王家を守護せよ」
穏健な常識人に見えるラヴィラント伯爵だが、こんな凄まじい家訓を幼児期から叩き込まれてきた。王宮に詰めていたためにクーデターで武装解除され国王弑逆を阻止できなかったことは、ラヴィラント伯爵だけではなく王家忠誠派にとって血を吐くほどの痛恨の極みだ。
もともとフランセワ王家からの独立志向の領主貴族と王家忠誠派貴族は、宿敵同士だった。レオンは、民衆派と王家忠誠派が共闘して王宮内の保守派貴族を抑えなければ、領主貴族を絶滅させる戦争を貫徹することは難しいと考えた。そのためには、人望があり王家忠誠派の筆頭であるラヴィラント伯爵を政権に加えたい。
王家に忠誠であり、有能であり、高潔な精神を持ったラヴィラント伯爵は、自らが受けた恥辱よりもフランセワ王家に害をなす領主貴族を倒すことが比較にならないほど重要だと考えた。そのためには、レオンと手を握るしかない。
「⋯⋯やりましょう」
レオンにとって絶対王政は、封建制からブルジョワ体制に移行する過渡期の体制であり、必然的に滅びるとみている。革命に利用できるから利用しているだけで、恩義はあるにしても王家に対する尊崇の念などクスリにしたくてもない。
もともと水と油だった民衆派と王家忠誠派は、同床異夢の手を握った。改竄名簿で保守派の多くは失脚する。王宮貴族の四分の一を握れば、領主貴族を滅ぼすという共通の目的のために保守派を押さえ込むことができる。
「軍士官学校に伝達。士官候補生部隊は、完全武装で王宮前広場に進出。王都警備隊と交代し王宮を死守せよ」
士官候補生は、十四歳から十八歳だ。子供好きのジュスティーヌ王女や体面を重んじるシャルル新国王がいなくなった途端に、レオンは士官学校生徒を戦争に動員した。だが、ラヴィラント伯爵がいる。
「子供を戦闘に動員するのか?」
フランセワ王国では十五歳で成人なので、必ずしも子供を動員したとは言えないのだが⋯⋯。
「警察⋯⋯警備隊は、これから反乱分子の摘発で忙しくなります。実戦は生徒の良い経験になるでしょう」
もともとレオンは、軍士官学校の校長だ。このくらいの年齢の青少年の向こう見ずな勇気や忠誠心は、よーく知っている。それに指揮を執るのは、優秀な士官から選抜した教官だ。街のお巡りさんを集めた警備隊部隊よりも、よほど強いだろう。
王都には戒厳令が布告された。王都への出入は、厳禁された。夜の闇にまぎれて王都を脱出しようとした貴族の馬車は、カムロ組織やレオンが張り巡らせた自治組織からの通報で、全て問答無用で逮捕され投獄された。
戒厳令が長期間続くと民衆が貧窮してしまう。そこでレオンは、期限を三日間とした。民衆に武器を配り、接近してくる軍団と連絡を取り、さらに反乱分子一斉摘発の準備に大忙しだ。
予定通り戒厳令三日目の早朝から、親衛隊騎士が指揮し警備隊と士官学校部隊から編成した部隊が五十を超える貴族家に突入し、ほとんど抵抗されることなく三千人もの貴族とその使用人を捕縛した。大逆罪および反逆罪容疑である。クーデター騒ぎのせいでなにか被害を受けたわけでもない王都の民衆だが、連行される貴族や使用人に罵声を浴びせ石を投げつけた。
敵の反撃に備えて武具を身に付け、早朝から王族の間に詰めていたシャルル新国王は、夕方になってほとんど抵抗せず反逆者どもが捕縛されたと聞かされ、胸をなで下ろした。追いつめられた反乱軍が王宮に攻め込んでくる可能性すら考えていたのだ。だが深夜になっても敵の反撃はなかった。
「レオン。逆賊は全て捕縛したのか?」
「はい。王都に潜んでいた敵は、一掃しました。残るは本体である領主貴族どもだけです」
「⋯⋯よくやってくれた。領主貴族対策を迅速に進めよ」
実際にクーデターに加担していた者は、捕縛された二千人の中で百人いるかどうかだろうとレオンは予想していた。大半は、反乱貴族の縁戚や反乱軍の名簿に勝手に載せられていたなにも知らない者たちだ。
今回の逮捕者は、全てが保守派貴族とその関係者だ。「無実のやつでも貴族身分を剥奪して、王都から追放してやれ」くらいにレオンは考えていた。⋯⋯しかし、後にそんなことを言っていられなくなる。
二千人も収監できる刑務所は無い。仕方なく王都の隅の空き地に即製の収容所を建設し、逮捕者をぶち込んだ。このせいで大変なことになった。
十一時になった。セレンティアでは深夜だ。あと一時間で戒厳令は解除される。
もともと手持ちの兵力が少ないのに、一斉摘発に部隊を出したため、王宮の防備が手薄になった。早朝から極度の緊張を強いられたシャルル国王と政府高官連は、もう疲労困憊だ。
クーデター鎮圧の責任者であるレオンと行政を担当するラヴィラントが国王の前に立った。戦時なので跪礼はしない。戒厳令下の最高指揮権者であるレオンが奏上する。
「あと一時間で戒厳令は解除されます。しかし、我が国が戦時下にあることに変わりはありません。戦時内閣の素案をお持ちしました」
本来なら国王が宰相を指名し、宰相が大臣候補の名簿を作成して国王に提出。名簿を国王が承認して内閣ができる。前宰相はクーデターで殺されてしまったので、全権を委任されたレオンと行政を担当したラヴィラントが組閣を代行した。
組閣名簿を読んだシャルル国王は、顔を上げてレオンを見た。再び組閣名簿をながめる。国王の困惑した様子に、居並ぶ高位高官貴族は、嫌な予感しかしない。「戦時内閣⋯⋯戒厳令の延長か?」「あのレオン・マルクスが宰相か⋯⋯?」「軍務大臣を兼務するかもしれん⋯⋯」。
まだシャルル国王は困惑している。
「本当に、これで良いのか?」
「はい。速やかに領主軍を粉砕し内戦に勝利しないと、外敵の介入を招くおそれがあります。王国の全力を引き出すには、これが最適かと思料します」
「閣内で対立が生じるのではないか?」
「その時は、陛下がいずれかを罷免なさればよいのです」
シャルル国王は、レオンの戦争に対する執着に驚かされた。なりたければ宰相にもなれるのに⋯⋯。
「⋯⋯分かった。閣僚人事を承認する。ラヴィラント、閣僚名簿を発表せよ」
宰相ジージョ・ド・ラヴィラント伯爵(王家忠誠派)
国王補佐ジュスティーヌ・ド・フランセワ(民衆派)
内務大臣ベルナール・ド・グラフォン侯爵(保守穏健派)
外務大臣ジャン・ラ・フォンテーヌ公爵(保守穏健派)
軍務大臣モーリス・ド・ノーム伯爵(王家忠誠派)
大蔵大臣ブルム・ド・ブルボン伯爵(保守穏健派)
農務大臣レザード・ド・デュポン伯爵(保守穏健派)
法務大臣ルクセン・ド・デュルセ伯爵(保守穏健派)
領主領及び奴隷問題担当大臣、軍総司令官兼務レオン・ド・マルクス公爵(民衆派)
シャルル国王と貴族たちは、民衆派のレオンと王家忠誠派のラヴィラントの二頭立てで保守派を押さえ込む戦時内閣を予想していた。なのに主要大臣の数は、民衆派一、王家忠誠派二、保守穏健派五だ。また、国王補佐というよくわからない新役職に女性王族のジュスティーヌが就任したことにも驚かされた。
貴族の多数派に忌み嫌われているレオンでは、宰相は務まらない。そんなことは、本人にも分かっている。戦争中に後ろから刺されたらたまらない。人望の厚いラヴィラントに宰相就任を依頼した。冤罪で逮捕された事件以来レオンに思うところが多いラヴィラントだが、「王家のためだ」とグッと押さえて宰相就任を受諾した。
民衆派と王家忠誠派だけで組閣しても、国力の全てを挙げて戦争に取り組むことは出来ない。どうしても保守派の協力が必要だ。そこで実務に強い中堅貴族を引き抜いて取り込もうとした。通常なら大臣の大半が高位の公侯爵から出るのだが、中位の伯爵が多い内閣になった。
レオンが内戦の口実である奴隷解放と領主領併合を担当する特命大臣となり、同時に軍総司令官として西方領主領地域での戦争を指揮する。それを実務内閣が国を挙げて支える。レオンが持ち込んだ『国民国家による総力戦』という思想が反映された戦時内閣だ。
十二時になり、戒厳令は解除された。クーデターから四日間も王族の間に缶詰めにされていた高位貴族たちは、ようやく解放された。邸宅に帰る全ての貴族は、一カ月後には戦争が始まることを確信していた。
その日の内にシャルル国王は、奴隷解放宣言を発した。奴隷を所有したり売買する者は、この日以降、監禁罪と人身売買罪に問われ罰せられる。殺したら殺人罪だ。意外にも王宮貴族の反対は、全くなかった。
05に続く