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コーチ物語 クライアント26「閉ざされた道、開かれた道」その8

 現場改善推進係の係長として任命されてから、私は積極的に社員と言葉をかわすように心がけた。あいさつはもちろんのこと、今困っていることやなんとかしたいと思っていることはないかをヒアリングしてまわるようにした。といっても、それは休憩時間などのちょっとした合間の雑談の中で行うようにしている。そして気づいた点をメモし、どうやったらそれを改善できるのかを考えるようにしている。
 しかし一人の頭では限界がある。できればみんなで話しあう場を設けたいと思うのだが。そのことを社長に相談してみた。
「うぅん、確かにそういう場があるといいんだけどなぁ。けれど、就業後はさすがにみんな家庭のこととか自分のことがあるから早く帰っちゃうし。かといって仕事時間にそれを使うほど余裕もないし……」
 たしかにそうなのだ。
「とりあえずは私と新名さん、二人で朝一時間早く出てきて座談会みたいな感じで話し合いは続けています。ここに少しずつでいいから人が集まってくれるといいんですけど」
「そうか。まぁそこはかんちゃんにまかせるよ。ところでその朝の話し合いって私も参加していいのかな?」
「もちろんです。喜んで」
 このことを早速新名さんに報告。するとまたまた意外な反応が。
「えぇっ、社長が参加するんですか……うん、わかった。仕方ないよなぁ」
 あれだけ改善活動に積極的なのに、なぜか意外な反応を示す新名さん。思えば羽賀さんのところに行ってから、毎晩新名さんの家で晩御飯をごちそうになっている。このときも現場改善の話で盛り上がっているのに。
 この日は私は少し残業をするので、新名さんの家での食事はなしになった。デスクで今までのメモを打ち込んで整理をしていると、総務の橋田さんがやってきた。橋田さんは長年この工場に務めている、事務のエキスパートの女性。
「あら、塩浜さん今日は残業?」
「えぇ、といっても自主的な残業ですから。ご迷惑はおかけしませんよ」
「何言ってんのよ。あなたが残業すると私たちに迷惑かけてんのよ」
「えっ、ど、どうしてですか?」
「だって、また新名さんの愚痴を聞かなきゃいけなくなるじゃない」
「新名さんの愚痴?」
 話が見えない。どうして私が残業をすると新名さんが愚痴をこぼすんだ?
「あらやだ、あなたまだ気づいていないの?」
「な、何の話ですか?」
「だって、新名さんってあなたのことが好きだから、ああやって毎朝早く工場にきて一緒に話し合っているんでしょ。夜だって最近は晩御飯を一緒に食べて。もうどこからみても恋人じゃない。でも新名さん、塩浜さんはまだ自分のことに気づいてくれていないって愚痴をこぼしてたわよ」
「え、えぇっ! そ、そうなんですか……」
 まさか、そんなふうに思われていただなんて。私はバツイチだし、いい加減中年の域に達している人間だし。
「もう、塩浜さんって鈍感なんだから。新名さんね、今はあなたの役に立ちたいって一生懸命なんだから。そのことはわかってあげてね」
「は、はぁ……」
 まいったな、そういうことだったとは。あ、だから社長と一緒に朝の時間を過ごすことには乗り気じゃなかったのか。ひょっとして新名さんの中では、朝のあの時間はデートをしているような感覚だったのかもしれない。
 とはいっても、いい加減な話し合いはしていない。むしろ建設的で前向きな意見がどんどん飛び出す。とはいっても新名さんの気持ちは無視できないし。
 この日は結局作業が手につかず、食事もろくに喉を通らなくなってしまった。まさか、いやそれは考えられる。というか、やはりそうだったのか。でも、新名さんの好意は嬉しいけれど、私はそんなことできる身分じゃない。事故とはいえ、人を一人殺している。そんな人間が人に好かれていいものだろうか。
 このことで悩んだ挙句、私がとった行動とは……
「あ、羽賀さんですか。朝からすいません」
「いえ、かんちゃん、一体どうしたのですか?」
「はい、実はご相談がありまして……」
 私がとった行動。それは羽賀さんに相談するというものだった。事の次第をひと通り電話で話す。すると羽賀さんはこんなことを言い出した。
「かんちゃん、オズボーンのチェックリストを覚えていますか?」
「あ、はい。確か『他に使い道がないか? 他に似たものをさがしてみたら? 変えてみたら? 拡大したら? 縮小したら? 置き換えたら? 配置や並びを換えてみたら? 逆にしたら? 組み合わせてみたら?』でしたよね」
「ではそれら全てを新名さんに当てはめてみるとどうなりますか?」
「新名さんに、ですか?」
 ここで一つ一つ考えてみた。新名さん、他に使い道は? 使い道なんて言うと失礼かもしれないが、今は改善のパートナーであり晩御飯をつくってくれる人。でも、もっと話し相手になってくれるといいかもしれない。新名さんの他に似たものは……思いつかない。というか、新名さん以外にこんな役割を負ってくれる人はいない。新名さんの存在を拡大したら……私の中では大切な人になるだろう。
 では縮小したら……なんだか寂しいな。並び替えたら、誰と? 妻と並び替えても、もう私の中で元妻の存在は小さい。逆にしたら、新名さんと私の立場を逆にしても意味ないし。妻と存在を逆にしたら……新名さんが奥さんだったら。ちょっとニヤける自分がいる。組み合わせてみたら、何と?
 その答えはただ一つ。
「羽賀さん、わかりました。私、自分の心に正直になってみます」
「うん、かんちゃん、それでいいんだよ。そうすることで自分の道は開かれるからね」
 そっか、こういうことに対して閉ざしていたのは自分の心だったのか。もう迷わない。迷っても仕方ないし、自分の心を開いてみよう。
 翌朝、いつものように新名さんと早朝ミーティング。そして今日から社長も一緒に参加。今朝のテーマはどうやったらもっと多くの人にこの会に参加してもらえるか。
「塩浜さん、またオズボーンのチェックリスト使って考えてみる?」
「うん、でもその前に……」
 私はあらたまって、社長がいる前にもかかわらずこのことを伝えようと決心をした。
「新名さん、毎朝こうやって改善活動に参加してくれてありがとう。そして晩御飯もつくってくれて、とてもうれしいです」
「な、なに、改まって」
「もしよければ、これからもずっとこうやって一緒にいてくれませんか?」
「も、もちろん、仕事に役に立てると思っているから……」
「いえ、そういう意味ではなく、毎日、毎朝、毎晩、ずっと一緒にいてくれないかと、そう思って」
「かんちゃん、それってプロポーズか? ほら、新名さん、あんたの気持ちは?」
 社長がニヤニヤしながらそう言う。新名さん、顔を赤らめて下を向いてした。そして返事は……
「はい、喜んで」
「かんちゃん、やったね! よぉし、これでこの工場の未来も明るいぞ。わぁっはっは!」
 社長の豪快な笑い。はにかむ新名さん。私も心から嬉しい。よし、この先開かれた未来に向けて必至になってみせるぞ。新しい家族のために、そしてここに勤めるみんなのために。
 私の閉ざされていたと思っていた道は、今新たな扉を開くことができた。

<クライアント26 完>

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