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コーチ物語 クライアント26「閉ざされた道、開かれた道」その4
「かんちゃん、製造業には常に改善というものが必要なのは御存知ですか?」
「えぇ、確かトヨタなんかはこれを徹底してやっているとか。そういう話は聞いたことがあります」
「これはトヨタのような大きな会社だけの話じゃないんです。むしろ錦織さんの工場のような小さなところのほうが重要な事なんですよ。もっと効率よく、効果的に作業ができるようにすることで、時間短縮とコストダウンに繋がる。さらに品質も良くなっていく。そうなると、どんなことが起きると思いますか?」
「そりゃ、残業が減るだろうし、コストも安くなれば儲けもあがる。品質がよくなればお客様からの信頼も高くなる。いいことづくしじゃないですか」
「だったら、それに乗り出すチャンスだとボクは思うのですが」
羽賀さんの言うことももっともだ。しかしこれを私が言い出したところで誰が振り向いてくれるだろうか? 今、私は工場の誰からも信頼されてはいない。それどころか疎ましくさえ思われているだろう。そんな人間が「改善活動をやろう!」なんて言い出しても、誰も見てくれないんじゃないか。その不安だけが大きくなっていく。
このことを羽賀さんに伝えたら、少し考えてこんなことを言い出した。
「かんちゃん、このあと少し時間取れますか?」
「えぇ、いいですけど」
「だったらボクの事務所に行きませんか?」
「あ、はい」
そうして私は思いがけず羽賀さんの事務所へと足を運ぶことになった。私はタクシーに乗ってきたのだが、羽賀さんは自転車で来たとのこと。だいたいの位置を聞いてはいたが、羽賀さんはタクシーの運転手にこんな案内をした。
「じゃぁ、ボクの後ろについてきてください」
羽賀さんの後ろって、羽賀さんは自転車じゃないか。車のほうが断然早いはず。何を言っているんだろう、とそのときは思ったのだが。
走りだすとその言葉通りとなった。なんと羽賀さん、余裕で四十キロを超えるスピードで走り去っていく。それどころか私がちょっと信号でひっかかると、羽賀さんのほうが待っているといった状態。こちらは普通に運転をしているのに。あの人は何者なんだ?
結局羽賀さんの後ろをついていって事務所に到着。そこは一階が花屋さんになっている小さなビル。花屋さんはシャッターを閉める寸前のようだ。
「あ、羽賀さんおかえりなさい」
「舞衣さん、ただいま。お客様を連れてきたから、お茶をだしてもらってもいいかな?」
「うん、片付けがもうちょっとだからもう少し待っててね」
どうやら花屋の店員さんとは顔見知りで、お茶を入れてもらうことがあるようだな。傍から見るとお似合いのカップルのように思えるのだが。
「じゃぁ、二階へどうぞ」
そう言って促されるまま二階の事務所へと上がっていく。羽賀さんはここで何をしようとしているのだろうか?
とりあえずソファに腰を落とすと、羽賀さんはノートパソコンを持ちだして何やら操作を始めた。
「あったあった、この映像だ。かんちゃん、まずはこの映像を見てください」
そうして見せられたのは、海外の観光地かどこかの映像。草原に何人か人がいて、その真中で一人の男性が踊っている。この映像の何が面白いのだろうか?
しばらく眺めていると、その男性に一人のおじさんが踊りながら寄ってきた。今度は踊り手が二人になった。
するとそこからおどろくべきことが起き始めた。なんとそのおじさんに触発されたかのように踊る人が一人、また一人と徐々に増えていったのだ。そして最後にはそこにいる人全員が狂ったように踊り始めた。これ、どういうことだ?
食い入るように私が見ていると、羽賀さんが声をかけてくれた。
「驚いたでしょう。海外ではフラッシュモブといって、あらかじめインターネットなどで申し合わせた場所と時間で一斉に踊りだす、なんていうことを仕掛けている人もいるんですが」
「あ、それテレビで見たことがあります。なんだ、みんな打ち合わせた上で踊りだしたのか。それにしては踊りが上手じゃありませんね」
「いえ、実はこれはそれとは違うんです。最初に踊っていた男の人は、なんと十五分間くらい一人でひたすら踊っていたそうなんですよ」
「えっ、十五分もですか? 今の映像は五分くらいだったと思いますが」
「そうなんです。一人目のおじさんが寄ってきてからみんなが踊り始めるまでにかかった時間はどのくらいだと思いますか?」
「多分二、三分くらいだったかと」
「はい、そのとおりです。これを見て何か感じることはありませんか?」
感じること。一人でバカみたいに踊っていても、それをずっと続けていれば一人、また一人とその行動に人が寄ってくる。そして気づけばみんなを巻き込んだ行動にすることができる。
「そうか、そういうことか」
「なにか気づかれたようですね」
「はい」
私は今思ったことを羽賀さんに伝えてみた。伝えながら、工場の改善活動に話を移し、しまいにはこんなことを宣言してしまった。
「まずは私一人でいいから、コツコツと改善活動を地道に続けていくことなんですよね。周りからはどう思われようと。そのうち一人、また一人と協力してくれる人が現れるかもしれない。そうなってきたら一気に改善活動に火がつきそうです」
「いいですね、ぜひそれをやってみてください。実はそれが錦織さんの望みでもあるんです。だれかがそれを始めてくれるといいのに、そう思っていたんです」
「社長が?」
「はい。社長自らが始めても、上からの命令にとらえられてしまうかもしれない。一番いいのは社員が自らその活動を始めること。でもどうすればいいのか。そんなときにかんちゃんが入社してくれて。そこで錦織さんはかんちゃんに目をつけてくれていたんです。何かをやってくれるはずだ、という期待を込めて。だからこそ、ボクにコーチングを託したんです」
なるほど、社長は私に対してそこまで期待をかけてくれていたのか。その期待に応えることこそ、私が社長にできる恩返しなのだから。
「わかりました、早速明日から取り組んでみます!」
なんだか自分の中でやる気が湧いてきた。明日早速、重たい不良品箱を簡単に運ぶ工夫の改善に取り組んでみよう。多少のお金はかかるかもしれないけれど、最初は自腹を切ってみるしかないな。会社のお金はつかえないし。
だからこそ、どうやったらコストをなるべくかけずに取り組めるか、その知恵も出るというものだ。うん、これはちょっと楽しくなってきたぞ。
その後、ようやく先ほどの花屋の店員さんがやってきて、お茶を入れてくれた。そのお茶のまたおいしいこと。今までこんなお茶は飲んだことがないというほどの絶品だった。
その後、どんな改善をしたいのかを会話の中でいろいろと引き出してくれた羽賀さん。今思えば、あれがコーチングなんだな。おかげでアイデアのストックだけはたくさんできた。あとはそれを実行に移すだけ。周りがなんと言おうと、良い物はどんどん取り入れるべきだ。よし、やるぞ!