見出し画像

回避性の私が診療を受けるようになるまで③

続きです。

こんな私でも、まだ若かったこともあり、周りはいじめたり、圧力をかけてきたり、退職を迫るようなことはありませんでした。

それでも先に私の方が耐えられなくなって3年で退職します。


その頃、うつ病が社会的に大きく取り上げられるようになり、本を読んだ私は、「私はうつ病だったんだ」と大発見をしたつもりになります。

継続的な気分の落ち込み、興味や喜びの喪失、疲労感、自己評価の低下など、当てはまることが多かったからです。

しかし本を何冊か読んでいくうちに、これは元々元気な人が元気じゃなくなってしまう病気のことだ、 子供の頃からずっと元気がないのは、この病気には該当しないということに気づき、希望を失います。

また自分のことがわからなくなりました。

その後は、続けたかった英語を勉強するために専門学校に通ったり、語学留学をしたりするのですが、当然結果は出ず、日本に戻ってきてからも何の関係もない事務職に着きます。

そこでもやはりなじめず3年で退職、それからは責任の軽い非正規雇用を点々としてきました。



心の中では「これは私の仮の姿。 私は本当は英語を使った仕事につくんだ」そう信じることで現実から目をそらし、自分を保ってきました。

うつ病が注目されるようになってから、次々に新たな精神疾患を紹介する本が出版されました。アダルトチルドレンの概念が広まったのもこの頃だと記憶しています。

私はそんな本を読み漁りました。 私がおかしな人間なのは、何らかの精神疾患があるに違いない、精神疾患だと診断されれば、今まで人にかけてきた迷惑がチャラになる、いろんな誤解も解ける、もっと人を好きになれる、そんな気持ちだったと思います。 

いろんな本を読むうちに、 私は自分は社交不安障害なのではないかと思うようになりました。精神科を受診してみたい、と強く感じました。

にも関わらず、実際に精神科を受診するのまでに何年もかかりました。

もし受診して、「あなたの場合は精神疾患ではないよ。ただの甘えだよ」と言われたら…

そう想像すると、精神科クリニックに足を踏み入れる勇気が出ないのでした。


今日はここまでにします。多分もう一回で終わります。
読んでくださった方、ありがとうございます。




いいなと思ったら応援しよう!