回避性の私が診療を受けるようになるまで①
回避性パーソナリティ障害で、精神科を受診し、さらに通院を5~6年続けている。けっこう珍しいタイプだと思う。
通院に至るまでのことを振り返ってみようと思う。
私は子どもの頃から「おとなしい子」だった。家でも学校でも近所でも親戚の集まりでも、必ずそう言われた。
父の兄弟、と言っても姉が二人に妹が一人なのだが、それぞれが所帯を持ち、半径500メートルくらいのところに住んでいた。
とても仲の良い兄弟というか姉妹で、かつ、とてもにぎやかな人たちだった。
しょっちゅうそれぞれの配偶者と子どもたちを連れてどこかの家に集まっては宴会をしていた。酒が入るとにぎやかを通り越して大騒ぎだった。
私はそれが大嫌いだった。
なんでだろう。酔っ払った大人たちはみんな私のことを知っていて、「何年生になった」とか、聞いてくる。
私は会うたびにリセットされる感覚で、知らない大人の人たちがなれなれしく話しかけて私をしゃべらせようとしてくる、としか思えなかった。
たまに話すと「おっ、今日は機嫌がいいな〜」とからかわれるのもほんとにいやだった。
中学生頃からだったと思う。
どうも私の「おとなしさ」は「おとなしい」の範疇を超えているように思い始めたのは。
同級生たちは、はじめてあった子ともすぐになかよくなるし、知らない大人でも(知ってる大人でも)物怖じせず話をした。
一方の私は、教科書を忘れたときに、隣の席の女の子に「見せて」すら言えなかった。彼女が意地悪をするような子ではないことは知っていた。休み時間に話したことも少なくなかった。
なのに「教科書見せて」が言えなかった。彼女の方が気づいて、笑いながら「えー?忘れたのー?言ってよー」と、教科書を見せてくれた。
どうもおかしい。
なんでこんなことが言えないの。
なんでみんなできるの。
私はみんなとちがう。
長くなりそうなので今日はここまでにしておきます。