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「生きることは苦しいのが当たり前」と気づくと人生が楽になる

 思春期の頃の僕は、つらいことや悲しいことがあると、くよくよふさぎ込んでいました。

 周りを見ても、テレビを見ても、みんな楽しそう。

 勉強も運動も得意ではないので、何をやっても楽しくありませんでした。

 「生きていてこんなに苦しいのは僕だけだ」なんて思ったこともあります。

 そんな時、読書をしていて、ある言葉に出会いました。

「この世の一切は皆、苦である」という言葉です。

 その言葉を知り、すごく救われた気持ちになったのを覚えています。


この世のすべては苦である

 仏教の教えである一切皆苦

 この世のすべては苦である。思い通りにならないという意味です。

 お釈迦様が悟り、辿り着いた真理の一つと言われています。

 この言葉を知った時、納得し、救われた気持ちになりました。

 苦しい、つらい、と思うことが、思い通りにならないことが、人間にとって当たり前なのだと。

 それと同時に、自分が恥ずかしくなりました。

 誰にだって、つらいことや悲しいことがあるのだという当たり前のことにようやく気づいたのです。

 それなのに、自分だけが悲劇の主人公であるかのように振舞い、周りはまるで一切苦しんでないかのように決めつけていたのですから。

 その日から、僕は生きるのが少し楽になりました。

何をやっても苦はあるのだから、余計な苦を背負う必要はない

 それと同時に、人生は苦だというのなら、余計な苦まで背負うの必要はないのではないか。

 僕はそう思いました。

 どうせ、何をやっても辛いことはあるのです。なら、わざわざ辛いことや苦しいことをする必要はない。

 他人のため、周りのため、社会のため。それらより自分や大切な人を優先することにしたのです。

 それに、どうせなら余計な苦労を背負うのであれば、大切な人の苦労の方がやりがいがありますよね。

 なので、辛いことからできるだけ距離を取ることにしました。

 最初は難しかったです。小心者だったので、周りに合わせて生きてきましたから。思えば、周りにとって都合の良い人間でした。

 けれど、少しづつ、やりたくないことは断れるようになり、一人ぼっちになるのが怖くてなんとなく付き合っていた悪友とも疎遠になって、どんどん苦しい、つらいと思うことが少なくなっていきました。

 その結果。

 誰かに頼み事をされても、自分が苦だと思うのなら断ります。相手は困るかもしれませんが、それは相手の都合です。

 人付き合いは最小限にしています。あんまり人と会うの好きじゃないです。仲良くするのは、好きな人だけでいい。

 ごみ拾いのボランティアは、楽しいからしているので苦ではありません。おじいさんやおばあさんと一緒にしているのですが、気が合うんですよね。

 僕はそういう大人になりました。

 余計な辛いことから距離を取ると生きていて楽です。

 もちろん、こんな僕にも辛いことはあります。しかし、ほとんどやりたくてやったことの結果です。ほかの人よりもストレスは格段に少ないという自信があります。

 人生の起伏は少ないですが、人生の起伏は苦によってもたらされるのであれば、それが無い方が僕にとっては理想の人生なのです。

まとめ

 この世のすべては苦です。辛いことが当たり前なのです。

 あなたがもし死にたいくらいつらいのであれば、余計な苦を負っているにほかなりません。

 楽になれる方法を探しましょう。赤の他人の都合よりも、まず自分と大切な人の都合を優先しましょう。

 楽な人生は起伏が少ないですが、ストレスが少なくて良いものですよ。

 最後まで読んでくださり、ありがとうございました。


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