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「じゃない」方の子の声を聴く

子どもの権利の日フォーラム中野2022「子どもの権利って何?」というイベントにオンラインで参加しました。

東京経済大学の野村先生の基調講演(音声がよくなくて前半あまり聞こえず残念)で印象的だったのは、子どもは「未完成な人」ではなく、初めから人として存在している。
というお話。当たり前のことなのだけど、忘れがちな視点です。
自分自身も振り返ってみれば子育ての中で、
子どもはまだわからないだろうから(子どもに関することを)こちらが決めるのが当たり前だろう、という場面は多々あったと思います。
でも、権利条約には
「(未完成だからと大人が決めつけて)与える・押し付ける」から「意見を聞く」「反映させる」「フィードバックする」へ転換しようと書かれているのだと思いました。
(子どもに意見を聞くけれど聞きっぱなしというのもあるあるですものね。)
そして、前半で面白かったのは区長のエピソードで、
「子供の声を聞こうとして小学校や中学校に行くことがあるのだけど、学校側が用意をしすぎることがある。たいてい生徒会の子が出てきて意見を発表してくれるけど、突っ込んだ質問をすると、『これは自分の意見ではないので、、、』と尻すぼみになってしまうことがある。」という話。
学校あるあるすぎて聴きながら膝をガシガシ打ちました。偉い人に聞いてもらうために、ちゃんとした意見をちゃんとした子に、みたいな流れに学校はなりがちなのです。そして当たり障りのない、きれいな意見にまとめて終了。物足りないなあといつも思います。
「権利とはとりあえずわがままを言ってみることなんです」と野村先生はおっしゃっていたし、大人がきちんと聞き入れることも書かれているわけなので、トンでもない意見やかわいらしい意見も言わせてみてもいいのにね、と思います。

後半は、中野のハイティーン会議のメンバーがそれぞれ今取り組んでいるテーマについて話してくれました。

この中で、不登校の子の学び舎を作りたい!と言っている子たちがテンプレの発表の仕方をするのではなく、大人にガシガシ質問したりして、私の方がムネアツに。「私に協力させて!私もそれをやりたいの!」と画面の向こうに話しかけたくなりました。12月にハイティーン会議の発表会があるらしいので、できれば聴きに行こうと思います。思いは一緒だし、できることがあるなら当事者の子たちと一緒にやってみたいです。

でも、ちょっと気になったのはハイティーン会議の子たち「生徒会」だったり「先生からの声掛け」があったりする「意識の高い層」であることです。もちろん学校的にはよくあることで、声を掛けたらやってくれそうな子たちと言えば、ある程度優秀な子たちになるのは仕方ないのでしょう。(ひょっとしたら一校何人みたいなノルマがあったのかもしれないし)とはいえ、前半の区長の話ともなんとなく重なるのだけど、子どもの声ってそれだけなのだろうか?「生徒会」「優秀」「意識高い」じゃない方の子の声だって、大人たちは聞かなくちゃいけないのではないだろうか?会議のメンバーが参加するきっかけが「学校の先生からの声掛け」や「学校でもらったチラシ」だったことで、「学校の存在は大切ですね」という話になっていたけど、(もちろんそういっていただけるのは有難いのかもしれないけど)先生から声をかけてもらえない、なんなら学校に行けていない子たちの声を聴くことは「子供の意見を聞く」ということの中にちゃんと含まれているのだろうか。むしろその子たちの人権ってきちんと扱われているのだろうか?あー、日本語が十分じゃない外国ルーツの子とこも、入れてもらってるんだろうか?意識の高い子たちの話を聴きながら、少しだけ胸が苦しくなりました。

学校以外の様々な場所で、子どもの声が聴けるようになったらいい。今は学校が子どもを独占してしまっているから「そんなのムリ」「学校でやるのが一番いい」となりがちですが、本当は地域の中に子どもの居場所がたくさんあるといい。「じゃない」子たちのわがままをたくさん聴いて、聴きっぱなしにしない大人がたくさんいるといい。そんな大人の一人に私もなろうと思います。

【そしてこちもよろしくお願いします。】
第3回子どもの権利ハンドブックゆるゆる読書会

◇日時   12月11日(日)10:30〜
◇場所   ぼっとう&よはく  
 コワーキングスペース ぼっとう&よはく
◇参加費 800円
(お菓子とワンドリンク付き、高校生以下無料)
◇テーマ
「愛してくれる人と暮らす権利」(全文、8〜11条、18条、20条、21条)

本は読んでいても読んでいなくても。お子さん連れ大歓迎です。

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