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ドラマはなかった

今年も誕生日を迎えた。
何も積み重ねてきていないわたしは歳を取っただけだ。何もめでたくない。自業自得だ。終わりに近づいたという点ではめでたいのかもしれない。


淡い期待を抱いた創作大賞2024は、かすりもせずに落選した。
人生は中々上手くいかないし、そう簡単にドラマは起きないと改めて感じる。


九月二十二日(土)

先週の三連休は無為な時間が経過した。
これでは先週と全く同じ休日で流石にまずいと感じ、せめて外に出ようと無職の時に貯金を切り詰めて通った中華居酒屋へ出向く。

友人を誘おうかと思ったが、毎回行動に移せないでいる。
断られる可能性や私の知らないところで催しが開催されているとなると、酷く滑稽に感じるだろうから誘わないという選択肢の方が心が楽だ。

中華で酒を飲む行為は尊い。真っ赤に染まる店内は活力が湧いていくる。
しかしながら、約一ヶ月の禁酒を経てからてんで酒が飲めなくなってしまった。
御多分に漏れず先人達が辿った道を辿っている。

歳を取り、これから酒も飲めなくなり、好きな映画も小説もエンタメも何もかも楽しくなくなるのかと考えながら、秋めいてきた夜風にあたりながら帰路につく。
酒に酔っても不安に支配されている。

九月二十三日(日)

酒を飲んでしまった翌日は何もできない。

最近は筋トレを再開したり、フィルムカメラを始めたり、やりたいことは溜まっているものの、何時間かおきに虚無感に襲われている。フラットな時間が少ない。

この起伏のせいで、活字が長時間読めない日々が続いている。
横になってラジオを聴いて、眠くなったら眠るを繰り返す。また、先週と同じ休日の過ごし方をしてしまった。

これを書いているのが、朝六時。今日はもう終わったな。

九月二十三日(月)

珍しく誘いの連絡があるも、それに気づかずに数時間何もせずに過ごしてしまった。気づいた頃には遅かった。今週の三連休、誰とも会うこともなく終わる。

せめて、筋トレをしようと市のトレーニングルームへ出向く。
筋肉を追い込んで、充実したと錯覚させる手法を取りがちだ。

外に出ると、蝉が鳴いていた。
九月の終わりでも蝉が鳴いているのか。と思うも、よく聞いたら鼠の鳴き声だった。普段外に出ないため、いつ蝉たちが鳴くことをやめたのかもわからない。

帰宅し、胸肉のチキンカツとカツオのたたきを刺身に酒を飲んでいる。思考を鈍くして、不安を和らげる。

たまには明るい日記でも書きたかったが、そう簡単ではないらしい。

このままの無為な日々が続くのか。

わたしは変わりたい。

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