短編小説『ジョンとメアリー』後編
Short Short Story
【恋する20世紀~ジョンとメアリー・後編】
短編小説『ジョンとメアリー』後編
『テンイヤズアゴウ』は、ぼくとメアリーことユミが良く通っている喫茶店で、カウンターとボックスが二つだけの小さな店だった。名前のとおり、ひたすら古いポップスをかけてる店で、ぼくらはここに来るとなぜかしらご機嫌になってしまうのだった。
ぼくが店に入ったときは、ちょうどリッキーネルソンの『ハローメリールウ』がかかっていた。マスターが「いらっしゃ・・、なんだお前かい」と言った。ぼくはカウンターじゃなくて、奥の方のボックスに座った。
マスターがカウンターの中からおしぼりを投げてよこした。水の入ったコップも投げるような真似をしたので、ぼくはあわてて立ち上がり、そのコップを受け取りに行った。
ココアを頼んでみたが、やっぱりダメだった。ぼくはこの店で、アイスティーとかココアとか「めんどくさい!」ものは飲ませてもらったことがない。ぼくはあきらめてホットを頼んだ。曲はフォーシーズンズの『シェリー』に変わっていた。ぼくはマスターに呼ばれて、カウンターにコーヒーを受け取りに行った。別にこの店はセルフサービスじゃない・・はずなんだがなあ。
ユミは、ぼくが3本目のタバコに火をつけようとしたとき、やって来た。
「待った?」
「うん、少しね」
彼女のときは、ちゃんと水とおしぼりが、マスター自らの手で運ばれた。ユミもホットを頼んだ。彼女のコーヒーが運ばれ、彼女が一口飲んでカップを置くまで、ぼくらは何もしゃべらなかった。
・・・・
手に持っていたタバコに火をつけて、ふーっと煙を吐き出した。そのときを待っていたように「何か急用なの、ジョン」とユミが真面目な顔で言った。
「いいや、急用ってわけでもないんだ。ただね、ぼくたちパイロットは、陸に降りてくると、急に女のコの顔が見たくなるもんなんだな」
「そういえば久しぶりね。どこを飛んでたのよ」
ユミは真面目な顔をしたまま言った。なんだか冗談でやってるのか、本気なのか、ぼくまでわからなくなってくるような顔だった。
「どこって、例のコースさ。アンカレジを午前3時にたって、北極海を越えるとすぐにシベリア上空さ。暁の偵察飛行ってやつさ」
「そう、あいかわらず忙しいのね」
「まあね、けど以前よりはマシさ。フルシチョフが首相になって、ソ連も雪どけムードだからね」
「それはいい傾向ね。だからあなたもつい気がゆるんで、街の女のコにちょっかい出したりできるわけね」
コーヒーカップを見つめながら、ユミは冷ややかに言った。街の女のコにちょっかい出すってのはどういう意味だ。ぼくには思い当たるふしがなかった。
「君の言ってるのはロバートのことじゃないかい。ほら軍医のさ」
ぼくは出まかせに言った。
「あら、ロバートもいっしょだったの」
そうだ。思い出した。このあいだの学園祭のときのことを言ってるんだ。そりゃ、あのときは確かに君を誘わなかったよ。ぼく友達と、友達のガールフレンドたちを誘って行ったんだからね。けど、あの時は、君は女子大の仲間と旅行に行っちゃってたじゃないか。ぼくは、君が旅行に行くってわかってたから誘わなかったんだ。そりゃ、確かに他の女のコ誘ったのは事実だけど、そんな君に怒られるような真似したわけじゃないしさ。そんなこと君だってわかってるはずなんだけどな・・。
「ロバートもいっしょだったっていうか、ぼくはロバートに誘われたんだよ。遊びに行かないかってね。それでロバートの奴と会ったら、向こうは女のコ連れでさ」
ちょっとウソがまじった。
「へえ、ロバートってけっこうもてるのね」
「まあ、ね…」
「ほんとはオレの方がもてるって言いたそうね」
「そんなこと言ってないよ」
思わず語気が荒くなった。
「あら、ジョン、そんなムキにならなくってもいいのよ」
ユミは、下を向いたまますまし顔で言ったけれど、最後の方は半分笑い出していた。本気で怒ってるというよりは、ぼくを困らせて楽しんでいるというような感じもあった。
ぼくはムキになどなった覚えはないのだけど、そう言われると、なんだかほんとにムキになってるような気がしてきて、とっさに言うべき言葉が見つからず、ちょっと金魚みたいに口をパクパクさせた。ユミはどうしたのっていうふうに、ニコッと笑った。いや、ニコッとなんて感じじゃなかった。ニヤッと笑ったと言った方がいいくらいだった。
ぼくは、何だか一人でバカになってるみたいで、もう自分に愛想をつかして、このまま帰りたいくらいのものだった。でも実際のところ、ぼくはタバコの火を灰皿にほとんど叩きつけるように消しただけだった。ユミはまたニヤッと笑った。
ぼくが黙っていると「ねえ、ジョン。あなた、いつまでアンカレジにいるの。ワシントンからは何も言ってこないの」と、メアリーが話題を変えるようにさりげなく言った。
「いいや、別に」
「じゃ、まだ当分はあなたと会えるわけね」
「さあ、ね」
ぼくは一言そう言って、もう冷めてしまったコーヒーを一口飲んだ。自分で始めた田舎芝居だったけれど、何だかそれを続けていくのが億劫になっていた。ぼくはユミと目を合わすのを避けて、ぼんやりと壁にかかった時計を見つめた。ボビーヴィントンの『涙のくちづけ』がかかっていた。もう終わりになってもいいとさえ思い始めていた。ユミも何も言わずにうつむいていた。
・・・・
そう、別に君は学園祭のことで怒ってるわけでもないんだな。まあ直接の発端はそこにあったとしても。そんなことじゃなくて、今までつもりつもってきたほんの些細なことが、ある日急に飽和点に達したんだろう。だからケンカの原因なんて、いくら考えたってわかるもんじゃないんだな。
いつだったか君が、チョコレートパフェを注文したとき、ぼくが「子供っぽいね」なんて言ったことだってケンカの理由の一つになるんだろうし、ぼくがお気に入りの緑色のセーターを着てたら、君が「それバーゲンで2000円で買ったやつね」なんて言ったことだってそうかもしれない。そんなことでケンカして、それでおしまいになるんならそれでもいいと思った。
でも、ほんとにそう思ってるかというと、もちろんそうでもなかった。『小異を捨てて大同につく』じゃないけど、だからこそ、こんな田舎芝居を始めたんだし。だけど芝居は所詮芝居に過ぎないのかもしれない。ぼくは何だか訳がわからなくなってきた。
そのとき、ユミが「あなたのお友達の歌よ」と言うのが聞こえた。ビートルズの『ドクターロバート』だった。ぼくは曖昧に微笑んだ。ユミも、今度はニコッと笑った。けど、すぐに真面目な顔になった。そして小声で、でもハッキリと言った。
「あたし、今日、一日中家で電話番してたの…」
聞いた途端、大きなハンマーで頭をぶん殴られたような気がした。うつむいたユミが泣き出すのがわかった。ぼくは心の中で、ごめんねと言った。誰もいなければ、きっとユミを抱きしめてしまいそうだった。でも、今そんなことできるわけもなく、結局、ぼくは芝居を続ける以外なかった。まともにしゃべったら、ぼくも泣き出しそうだった。
「もうすぐワシントンから除隊命令が来るさ。そしたら、ね、メアリー、いっしょにフロリダに行こう。フロリダでいっしょに暮らそう」
そんな風にしか言えない自分がもどかしかった。
ユミが顔を上げて、大粒の涙を流しながら、「いっしょに?」とかすかにふるえながら言った。
「ああ、いっしょに。ちゃんと市役所に届けを出してさ」
「いつ?」
「すぐにでもさ。そんなに遠い日じゃないと思うんだ。フルシチョフが首相になったし、冷戦はもうすぐ終わるさ。雪どけは近いさ」
「うん」
ユミが大きくうなづいた。ユミは思い出したように、あわててハンカチを出して涙をぬぐった。そして、
「冷戦は終わるのね、雪どけなのよね、ジョン」と言った。
「ああ、メアリー。春はもうそこまで来てるんだ」
とぼくは言って、笑おうとしたけどうまくいかなかった。ユミも笑おうとしたけどうまくいかなかった。
そのままぼくらは、じっと見つめあっていた。ちょうど『ヘイポーラ』がかかっていたような気がする。
(了)
2話完結です。お付き合いいただきありがとうございました。