見出し画像

【読書メモ】『「おふくろの味」幻想』 湯澤 規子

読んだ。
『「おふくろの味」幻想』誰が郷愁の味をつくったのか』



・「おふくろの味」というキーワードで思い起こされるイメージは多様性がある。たとえば、男にとってはノスタルジーであり、女にとっては恋や喧嘩の導火線になる。息子だけが母親を「おふくろ」と呼ぶのは、対人関係や社会関係に規定されて意識的に使っているからであろう。

・50年代、高度成長期における水光熱・家電製品の普及によって、都会だけでなく農村部でも生活に大きな変化が生じていた。生活改善運動を通して、地域の女性たちが中心となって積極的かつ組織的に暮らしの変化を促していた。そして農家の嫁に、家族の栄養や健康に配慮した献立で料理を作る「主婦」の役割が付加された。

・塩分の過剰摂取を抑えるなどの栄養指導や、竈を改良し流し台を設置するなどの台所改善運動が盛んに進められた。これによって地域ごとの特徴ある郷土食が廃れ、日常の生活世界が徐々に平準化されていった。料理に関するハード・ソフト両面の急激な変化により家庭での母から子への料理伝承は途絶え、また核家族化によって結婚後も姑から嫁へ料理が伝承されることは少なかった。

・60年代には集団就職で地方から都会へ多くの若者たちが移動しブルーカラー層となり、数年遅れで大学進学のために移動してきた多くの若者たちがホワイトカラー層となる。彼らのノスタルジーの受け皿となったのが、「地名食堂」に代表されるおふくろの味を謳い文句にした居酒屋や定食屋だった。

・場所に対する愛着を「トポフィリア(場所愛)」というが、これを形成する要素は個人の五感を通した様々な経験である。味覚によってトポフィリアが呼び起こされ、「おふくろの味」が精神的な根拠地・避難地として心理的な場所を獲得する。これが近代の「家庭」「良妻賢母」が重要視された歴史的背景と相まって、望郷や郷愁を呼び起こすようになった。

・この時期に辻勲と土井勝というふたりの料理研究家がそれぞれ「おふくろの味」という書籍を出版した。前者は「郷土」、後者は「家庭」を強調した内容になっている。核家族化が進み、料理は女中ではなく主婦、しかも「専業主婦」が作るようになった時期に、特に土井の「おふくろの味」とは先祖から受け継ぎつつ新たに創造していくものであるという主張からは、「目まぐるしく変わる社会や食において地域や家庭の『持ち味』を変化させつつも継承していく」という姿勢が読み取れる。

・70年代には「おふくろの味」を冠した書籍が急増した。この時代には減反政策や大阪万博で世界中の食の紹介などがあり、地域固有の食文化が次々と失われていた。書籍作りには料理研究家だけではなく、生活改善グループや婦人会・農林業振興会など地域に根差したプレイヤーが加わった。

・また、経済成長がひと段落した80年代にはあらためて「ふるさとの味」再発見され、次世代へ受け継ぐための料理リテラシーが「地域の知(ローカルナレッジ)」として発掘・再編・発信されるようになる。長野県では「食の文化財」を指定し、味の「没場所性」化への抵抗をはじめた。これは当時話題になり始めていたイタリアのスローフード運動の思想にも通底するものがある。

・80年代にはこれと並行して、ふるさとの味を妻が夫のために作るというメッセージを伝えたり、男が自分でおふくろの味を作るための本も出版された。戦後に開発された「肉じゃが」が、突然「おふくろの味」を象徴するものとして、この頃に突然取り上げらはじめた。これは近代特有の「家庭」「家族団らん」幻想から来るノスタルジーの発露であろう。同時期にファミリーレストランも隆盛を極めた。

・専業主婦ではいられなくなり仕事にも出るようになった当時の主婦たちのために、スーパーの惣菜などの「中食」が充実しだした。また、家族に食べさせるためではなくまず「自分が美味しいものを食べたい」という哲学に則った料理本を多数出版した小林カツ代が、当時の主婦たちから圧倒的な支持を受けた。

・90年代に入ると、「わたし」を主語にした語り口で家族以外の人も対象となるような料理本を多数出版して「カリスマ主婦」と呼ばれるようになる栗原はるみが登場し、人気となった。やがて彼女は、女だから主婦だからカリスマだから母だから妻だからという肩書すら脱ぎ捨てて「わたし」の料理も含めたライフスタイルを発信するようになった。

・2000年代になると「おふくろの味」という言葉は影をひそめた。時代の変化によって「ふるさと」や「家庭」の訴求力が弱まったことが一因であろう。また、ジェンダーの問題で受け入れられにくくなったこともあり、「おばあちゃんの味」に言い換えられたりしている。

・10年代には、土井勝の息子である土井善晴が「一汁一菜でよいという提案」を出版し、複雑になりすぎた食事や料理・味の棚卸をしてシンプルな発想に立ち戻ることを提案した。彼は「自然とつながる家庭料理は民藝だ」と理解し、「自然とつながる日本型の栄養学」を提唱した。また小林カツ代の息子であるケンタロウや栗原ひろみの息子である栗原心平も料理研究家となり、味は女性が引き継ぐものという観念を覆す「新おふくろの味」の担い手となっている。

・「おふくろの味」は一つの神話として、実体というよりは幻想に近い理想として大衆社会に浸透していくことになった。都市・農村・家族・男性・女性・メディアがそれぞれの意図をもって「おふくろの味」に対する独自の意味付けと味付けを行ってきたのだ。

いただいたサポートは旅先で散財する資金にします👟 私の血になり肉になり記事にも反映されることでしょう😃