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青島で『洗濯板』を走る ” 旅先で『日常』を走る ~episode27~ 宮崎編 ”
前回のあらすじ
走ってみて気づいたのは、鹿児島が接している海についてのことだ。太平洋でも日本海でもなく、東シナ海に接している。海の先は奄美諸島。奄美も鹿児島の一部である。”
青島で『洗濯板 』を走る
前回の記事にある通り、鹿児島を走った私は、鹿児島中央から特急列車に乗り宮崎県に向かっていた。宮崎空港から出発する夕方の飛行機で、成田空港に戻るためである。直接空港に向かうとすると、チェックインの締め切りまで2~3時間の余裕がある。せっかくなので、途中下車して走ることにした。
目的地に向かう車中で、私がかつて宮崎に抱いていた印象や、宮崎に関する思い出などをぼんやりと思い起こしている。
私が子どもの頃、昭和後期の宮崎といえば「新婚旅行のメッカ」であった。日本人の海外旅行が自由化されたのが昭和39年、沖縄県が日本に復帰したのは昭和47年だ。それまでは、いわゆる南国リゾートの地位は宮崎にあり、新婚旅行という人生の一大イベントの地としての圧倒的な支持を受けていたのだ。
また、当時から今に至るまで、読売巨人軍が春季キャンプを張る場所としてもお馴染みだ。温暖な気候が宮崎の特色であり強みでもあるのだろう。
時は流れ時代が平成に移ると、バブル経済の負の遺産であるシーガイアの経営破綻など、地域経済の疲弊が顕著となった。その流れで「宮崎をどげんかせんといかん!」でおなじみの東国原英夫知事が登場した。
こういった経緯があり、私にとって宮崎には『困窮した南国』のイメージを持つようになっていた。
そんなある日、ネットでとある画像を見つけ、その美しさに魅入られてしまった。
高千穂峡。
高千穂峡は、その昔阿蘇火山活動の噴出した火砕流が、五ヶ瀬川に沿って帯状に流れ出し、 急激に冷却されたために柱状節理のすばらしい懸崖となった峡谷。この高千穂峡は、1934年(昭和9)11月10日、国の名勝・天然記念物に指定されています。
当時の私は仕事が多忙であり、まとまった休みを取ることなど夢のようであった。それでも、「いつか休暇が取れるようなことがあったら、絶対に高千穂に行こう。」と、心に誓っていた。
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それから数年後の2017年、有給休暇をまとめて消化する機会があり、ついに高千穂に足を踏み入れた。この時が宮崎県初上陸だった。
高千穂バスセンターに到着した私は、そのままタクシーを捕まえて、まずは天岩戸神社へと向かった。日本書紀に記されているイザナギとイザナミのあのくだりが繰り広げられた場所である。
ご神体である『天岩戸』は拝殿の奥に隠されており、希望者のみ神主さんらしき方に案内してもらえるシステムになっている。撮影不可であるためここではお見せできないのが残念だ。
続いて、岩戸川に沿って10分ほど坂を下って、天安河原にたどり着いた。天照大神が岩戸にお隠れになった時に、八百万の神がこの河原に集まり神議されたと伝えられる大洞窟だ。
第一印象は「デカっ!」のひとことに尽きる。その大きな漆黒の闇に、吸い込まれてしまいそうな錯覚に陥る。まるでブラックホールのようだ。呆然となり、しばし立ち尽くす。
同時に、川の水しぶきの仕業なのだろうか、ミクロなシャワーを浴びているような感覚が全身にまとわりつく。どれくらいの時間立ち尽くしていたのだろうか? 時間の感覚がすっかりマヒしてしまったようだ。
名残惜しいが、急がないと日が暮れてしまう。今回のメインイベントである高千穂峡に向かおう。
天岩戸神社の前まで戻り、バスに乗って高千穂峡に向かった。向かったはずだったが、なぜかバスは終点の『高千穂温泉』に到着した。天安河原の余韻でボーっとしていたようだ。気を取り直してタクシーで高千穂峡に向かった。
いよいよ今回の目的地、高千穂峡に到着した。震災の影響で遊歩道の大部分が閉鎖されていたのが残念だったが、遊歩道から見下ろした紺碧の川や、そこに惜しみなく注ぐ真名井の滝の流れはやはり素晴らしく、しばし見入ってしまった。
眺めを堪能したあとは川まで下り、ボートに乗ることにした。30分1セット。こう見えてもカヤック漕ぎを趣味としている私にとってうってつけのアトラクションではないか。平日の午後で観光客は少なく、すぐに順番が回ってきた。
無愛想なボート屋から雑にボートを指さされ、そのボートに私が座ると「早く行け」とばかりにボートを強めに押された。いきなりひどい仕打ちだ。
ひとまず滝壺に向かう。しかし、先ほどの仕打ちによる動揺のせいか、それともカヤックとは違ってボートのオールが2本あるからか、操作に手間取ってしまい、思ったところまでうまく進めない。
しかもボートというものは前後に長く、空いているとはいえ気を付けていないと他のボートと接触してしまう。アワアワしている間に30分はあっという間に過ぎてしまった。不完全燃焼。これもさっきのボート屋の仕打ちのせいだろうか? 私が一人旅のオッサンだからなめられたのか?? しかし腹を立てても得することはない。自分で自分を納得させる理論武装に励んだ。
その結果、きっと私が前世であのボート屋の村を燃やしてしまったがゆえの報いを受けたのだろうという結論に至った。そう考えると腹も立たなくなった。
元来た道を上り高千穂峡の入口にたどり着いた。ここからさらに交通量の多い道路を登っていく。歩道の幅は、私の体感では2mmほどしかない。しかも車道との間に、段差もガードレールもない。すぐ横を自動車がビュンビュンと飛ばしていく。
「客死」の二文字が脳裏をよぎったが、なんとか這う這うの体で道路を登りきり、高千穂神社に到着した。
一通り境内を見学したところで、本日の宿からお迎えが来た。送迎車のバンに乗って山道を登っていくと、中腹にそびえる民宿が本日の宿だ。ここに一旦チェックインして、晩飯を食べた後にまたお出かけするのだ。
晩飯はジビエを中心にしたメニューで、食べきれないほどの量のおもてなしを受けた。食後はふたたび送迎者のご厄介になり、高千穂神社へ。ここで『夜神楽』を鑑賞する。
一年365日、欠かすことなく20時から高千穂神社で夜神楽が舞われている。せっかく高千穂に宿泊するのなら、必見であろう。拝殿に隣接している神楽殿の入口で木戸銭を払い、靴を脱いで座敷に上がった。適当な場所に座り、開演を待つ。
扮装した二人の舞手が、壇上で高千穂に伝わる三十三番の神楽の中から代表的な4番「手力雄の舞」「鈿女の舞」「戸取の舞」「御神体の舞」を披露していく。厳かな雰囲気で始まったが、最後の方では痴話喧嘩が始まり、舞手が壇上から座敷に降りてパフォーマンスを始める始末だった。肩肘を張った感じがなく、楽しく鑑賞できた。
夜神楽のあとは、高千穂神社からふたたび宿の送迎車に乗って高千穂温泉に移動した。600円くらい払って神話の里に湧き出る湯に浸かり、堪能した。
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高千穂について2000字ほど懐古しているうちに、特急は乗り換えの駅に到着した。宮崎駅ではなく、手前の『南宮崎』駅だ。ここからバスに乗り換えて目的地に向かうのだ。
とはいえ、県庁所在地宮崎をスルーするのも気が引けるので、私が宮崎駅を訪れた時の話に、ここで軽く触れておこう。
前回の鹿児島編でも触れた、2017年4月の九州旅行で私は宮崎を訪れていた。大分から高速バスに乗って夕方5時前に到着した。宮崎駅から鹿児島中央駅に向かう特急に乗るまでの待ち時間は2時間くらい。この時間を利用して、宮崎の駅周りを散策した。
地場の大手百貨店『山形屋』を抜け、中心街に向かう。
お目当ては東急系のショッピングビル『ボンベルタ橘』だ。1997年に私が新卒で熊本の飲食店の店長として配属された時に、ここにも系列店があったのだ。一度視察に来たかったのだが、なにしろ同じ九州でも山脈をはさんでいるために移動が困難になっている。
当時訪れることができなかった後悔を、この機会に払拭しよう。そう思い立ったのだ。
実際に訪れてみると、特に栄えているわけではなく、また寂れきっているわけでもなく、絶妙に閑古鳥が泣いている空間だった。
市街地全体としてはそこまで寂れているわけではなく、東京で例えると阿佐ヶ谷くらいの規模感だった。
現地確認をしたことで、本日の重要任務は完了した。残り時間で豪華ディナーを摂ることにする。宮崎まで来たので、地鶏料理を食べたい。食べログに頼るのも野暮なので、通りすがりに「ここだ」と思った店に入ろう。見知らぬ土地での貴重な食事、ハズレを引くことだけは避けたい。私の脳内コンピュータが導き出した結論、それは『塚田農場』であった。我ながらハイコンテクストな判断である。
塚田農場でチキン南蛮を堪能し満腹かつご満悦となった私は、すっかりご機嫌で特急列車に乗り込み、一路鹿児島へと向かった(以下、鹿児島編に続く)。
などとまた懐古しているうちに南宮崎のバスセンターに、お目当てのバスが到着した。
30分ほど進んだだろうか? バスは青島に到着した。今日はここで走るのだ。繰り返すが、昭和の新婚旅行のメッカである。こんなところで走ろうと考える人はそうそういないだろうが、あえて自分にとってのアウェイで走ることにもなんらかの意味があると考えたのだ。雑な説明ではあるが 笑。
駅前(無人駅)のトイレで着替え、コインロッカーに荷物を突っ込んだ。ちなみに使用料は200円と、お得な価格だった。
駅前広場(無人)で準備体操を済ませ、いざ出発!
まずは駅前から目抜き通り(無人)を駆け抜けて、青島に抜ける道に入る。観光客向けの店が両脇に立ち並ぶ。日曜日ということもあってなかなかの賑わいだ。
通りを抜けると、目の前には青島神社へ向かう一本道が伸びている。走る速度を落としながら進む。
左右に『鬼の洗濯板』が並ぶ。ブラタモリで見たことはあるが、それ以上の迫力だ。せっかくリアルで訪れているので、実際に触れてみる。触感は想像通りゴツゴツだった。
なおも進み、青島神社に到着した。
軽く参拝を済ませた後、札に願い事を書き、奉納した。
青島神社をあとにして、来た道をまた走る。海岸に戻ったところで右折してビーチを進む。右手が海だ。青島の由来だかどうかは知らないが、真っ青な水面が続いている。
波は穏やかで、家族連れを中心に海水浴を楽しんでいる。一方で、いわゆるウェイ系の若い男女たちがはしゃいでいる。ここから半径50kmくらいの範囲に在住するウェイな方々はこぞってここに集結するのだろうな、と何の根拠もなく想像してしまうくらいに、南国リゾートまたは楽園ベイベー感が溢れている。
緩やかな浜風が私の右半身を撫でていく。上空には雲が広がり、それがフィルターの役割を果たして、柔らかい陽射しが降り注ぐ。絶好のランニング日和だ。この心地よさを楽園ベイベーたちだけに独占させるのはもったいない。2kmほど直進したところで折り返し、来た道を戻る。
リア充っぽい若いカップルとすれ違う。「もしや、新婚旅行では?」と考えたが、まさかこの時代に宮崎を新婚旅行の地に選ぶもの好きもいないだろうなと、すぐにその思いつきをかき消した。
さらに進むと、道の真ん中に猫が寝そべっている。のどかだ、のどかを絵に描いたような光景だ。南国というより、田舎道的な趣きが感じられる。
そのまま海岸の入り口まで戻り、今回のランのゴールにした。海の家的な売店で、とりあえずビールを購入し、ベンチに横になって一気に飲み干した。電車まであと一時間弱ある。しばらく横になろう。
青島駅から宮崎空港に向かう。本数が少ないので、一番初めに来た電車に乗り込んだ。偶然、その電車はイベント列車だった。独り旅のオッサン、おひとり様。微妙に居心地が悪い。
気を取り直して進む。田吉駅で乗り換え一駅進む。ここで宮崎空港に接続するのだ。この旅もこの地がゴールとなる。気をつけて帰ろう。
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宮崎という土地は観光資源に恵まれ、農産物や水産物も豊富にも関わらず、今ひとつ影が薄い。ひとえに交通アクセスが悪いからなのであろう。九州新幹線の新ルートは長崎に延伸するのではなく、こちら側に伸ばすべきではないか? と思った。
宮崎市だけではなく、延岡に行って魚食ってスキューバダイビングやりたいし、霧島で黒霧島を飲む聖地巡礼もしたい。そしてなにより、もう一度高千穂まで足を運んで、今度は走ってみたい。アップダウンしかない土地だが、廃線になった高千穂鉄道の『高千穂鉄橋』に遊歩道が整備される計画があるのだ。
この計画が実現した暁には、絶対にこの『東洋一の高さ』を誇る鉄道橋を走り抜けるのだ。それまでは生き延びねば!
次回予告
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