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書くということへの思い

今年の6月からnoteを書き始めました。

できる限り毎日書いてきましたが、毎日書くということは本当に大変だな、と思うばかりです。

いろんな方がいて毎日の更新が苦ではない人が確実にいるはずです。

そういう人がうらやましいけれど私自身のことで言うとなかなかに大変で毎日の生活とnoteを書いて確実に公開することの両立はなかなかできず苦しい思いもしてきました。

書くこと自体はとても好きです。

だからこそ書き続けています。

だけど私の場合は本当に心から何かを感じ取らないと書くことができないのです。

そして何かを感じ取ってしまうと書かずにはいられないような気持ちになってしまうということもあります。

そのことを自分で調節できなくて困っているような状態です。

また、どんな絵空事を書こうとしてもどこかに自分の実感できるような思いというものがないと書けません。

小説のように書いたものの中には実生活とは全然違うこともあります。

それでもどこか何かの形で自分の心が動いていないと書き進めることができなくなってしまうんです。

そういう理由で止まってしまったものが本当にたくさんあります。

だからものすごく時間がかかってしまうので毎日の更新は大変です。

それでも毎日書かないとなんだか安心できなくてやめられなくなってしまいました。

まるで物語の中の赤い靴を履いてしまった少女が踊るのをやめられなくなってしまったように書くことをやめられない、自分でもどうしてなのかわかりません。

でもやめたくないんです。

だからと言ってそのことで何か結果が出ているのかと言ったら何にもないんです。

だから人によっては一体何をしてるんだろう?と思って否定的な気持ちで見ている人もいると思います。

実際に家族にも何回かそのようなことを言われてしまいました。

それでもやめたくはなくて続けてしまっています。


小さな子どもの頃からずっと本を読むことが大好きでした。

図書館で何冊も借りてきて読んでいました。

家にも母が買っておいてくれた本がいつもあって、その本が私にとって一番の友達のような存在でした。

私が何気なく人に話したことを悪意を持って母に聞こえるように言う人がいたようで、母は時々目の色を変えるようにして私に怒鳴りつけてくる、そういうことがたくさんあって人と話すことに恐怖を覚えることの多い子ども時代を過ごしてしまってずっと苦しんできました。

母の存在は私にとっていつも重たいものでした。

だから母と距離が大きく取れた時本当に解放されたような気持になって嬉しかったのを覚えています。

母は私のことを好きではないとずっと言っていました。

それでも私は母が困っていた時に見捨てることができなくてものすごく苦しみました。

そんな時noteに出会って書き始めました。

本当に文字通り夢中になりました。

ビューもスキも大してつかなかったけどどっちでもよかったんです。

ただ素直な気持ちで思いついたことを書いて読んでもらえることが楽しく思えてそれ以上のことなんて何にも考えていませんでした。

でも書いているうちに段々もっと中身のある文章を書けるようになりたいと思うようになりました。

憧れるようなほんとに素敵な文章を書いている人たちが何人もいてその人たちの文章を読みながら自分も何かを書けるということが本当にしあわせで楽しいと思っていました。

続けているうちに書けることも増えていく、単純にそう考えて続けてきてしまいました。

自分の書いているものがどのくらいのものなのか知りたい気持ちも沢山あります。 そしてもっと素敵な中身の詰まった文章を書けるようになりたくて少しずつではありますが勉強もしています。

自分でもこういうふうになるなんて考えもしていませんでした。

いろんなことがつながってこういうふうになってきたということしか言えません。

これからどんな風になっていのかわからないのですが今できることをできる限り努力していくこと、今はそれしかありません。

これは私だけではなくて、何かを作り続けている人みんなにあることなのだと思います。

なにかを作っている人達みんなにその人の人生があって作られたものの後ろ側にはその人の人生のドラマがある。

だからこそ何もかもがかけがえのない大切なものとして存在していると言えるのかもしれません。

文章を書くことにも文章の数だけのドラマがちゃんと存在していて、だからこそ文章を書くということに意味がある。

そういうふうに思うようになりました。

その沢山のドラマを全部読むことはできません。

けれども書かれたものの後ろ側に必ず存在するドラマというものをいつも意識していることで、書くことの価値、読むことの価値というものを信じることができるような気がします。

読者の方が本当に読みたいものは文章そのものというよりも、その文章に込められたドラマなのだと思うのです。

そのドラマを読んでくださる方がよりリアルに深く受け取ることができるように大切に表現をする必要があるから勉強が必要なのだと思います。

表現は自分を飾るためのものではなくて読んでくださる方のためのもの、書かせていただいているうちにそういうふうに考えるようになってきました。

生きていることはいつもリアルなドラマの連続です。

そのことを何かの形の表現にすることが創作なのだと思います。

沢山の形を持ったドラマに囲まれて生きていること。

この文章を書くことでそれを振り返ってみることができました。

本当に感謝です。


#創作にドラマあり

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竹原なつ美
ありがとうございます。 嬉しいです。 みなさまにもいいことがたくさんたくさんありますように。