#一元観エピソード この考え方って、駄目ですか?
こちらの企画に参加させていただきます。
ららみぃたんさん、よろしくお願いいたします。
一元観、という考え方に対する理解が自分の中にあるのかがまだ正直よくわからないけど、フラットにもの事を見る、という感じだと考えた時、『自由』という言葉が浮かんできました。
『自由』という言葉は『野放図』と混同されやすいけれど、全く別のものだと私は考えています。
『本当の自由』には重たい責任が確実にくっついているから、実はみんな『本当の自由』なんて欲しいとは考えていないような気がするのです。
なんとなく本題から逸れてます。
戻さなきゃ。
もの事をフラットに見たり受け止めたりする時に、自由な考え方が必要だと思うのは、自分やまわりの人の固定観念に囚われないようにしなくてはならないと思うからです。
柔らかな受け止め方と緩やかな考えをを持てないと、もの事を歪めて考えたりしまいやすくなって、いろんなことがごちゃごちゃになりやすいですものね。
つまり、何事も余裕がないとなかなかうまくはいきません。
追い詰められてしまったら、人は二元観を選ばざるを得なくなってしまうということです。
これは人間が社会的動物である限り仕方ないことです。
『自由』であるためには『余裕』が無くては無理、そうして『余裕』があって『自由』がないと、フラットな考え方はできにくいです。
からだは食べたものでできているから健康でいるためにバランスよくできるだけ安全なものを食べる。
靴も服もきちんとしたものを必要な分だけ揃えて、大切に長持ちさせて使う。
とか、母や祖母の考え方です。
そうして、もう、私を自由にしてくれたらいいのに、と思う人がいます。
そうしたら、その人も自由になれると思うから。
執着を手放す、ということです。
私はもう随分前に手放しました。