こんな気持ちもあったりします

なにか創作をしている人はどこかで心を外側にさらしているようなところがあるのだと思います。 そういうふうに心を外側に出していくときみんな繊細な気持ちをどんなふうに守っているのかな?って考えることが増えました。 悩んだり、迷ったり、ということがなんだかとても増えてしまって。


大晦日からずっと、繰り返し繰り返しおんなじ配信ライブを見て聴いています。 今日の夜まで見ることができるので。(昨日、書きました)

つらかった時ずっと心の支えにして聴いてきた曲ばかりなので、とても嬉しく聴かせていただいているのですが、これからも聴いて行ってもいいのか、ちょっと悩み始めています。

……でもまた聴いてしまうのかな?

わからないんですが。


そのライブの途中で、ライブで演奏して欲しい曲をファンの方たちが投票した結果の発表があったんですが、ワースト10も発表されていました。 大切な演出の一つとして公開されたのだと思うのですが、その様子を見るのはちょっと悲しかったです。

その曲を聴きたいと思って投票した人もいたのでしょうし、大切に演奏してきた人達にそれを見せなくてもいいのにな、という気持ちにもなってしまって。 でもこれは私個人の感想で批判ではありません。

作詞作曲をする人は、「憂い」を拾っていく仕事をしている、という言葉をどこかで読みました。 そういうふうに人や自分の心の「憂い」を拾って大切に作り上げたものをみんなの前でそういう形で発表しなくてもいいのではないのかな、っていうのも感想です。 

そしてもっと別の視点でそのことを受け止めてなにかを感じ取った人がいたら、できたらその人の意見をうかがって視野を広げられたら嬉しいと思います。 


自分がnoteを書いて公開するようになってから、自分の意見や思っていることをどれくらい入れ込んでもいいのかということを考えて迷い続けてきました。 自分だけではなくて他の人にも迷惑をかけてしまう可能性もあることなので。 
実際、思いもしないような意見をいただいて戸惑ったこともあります。

ですから大切に思う事であればあるほど慎重になってしまいます。 
それがいい方向にいけばいいけれど、なかなかそうもいきません。

迷ったり悩んだりすることが多いまま書き続けているという面もあります。

でも、どうしてもやめることはできません。

って、何書いてるのかな?


表現するということはその形だけではなくて自分の周りに与える影響も考えた上でしていかなくてはいけません。 
そうしないとみんなのことを困らせてしまうかもしれないから。
そのためにどうしていくのが一番いいのか全然わからないので、不安になります。

こういうことを書いてしまうのはよくないのかもしれませんが、私にとっては大切なことです。

沢山の時間を割いて書き続けてきました。

だからみんなと同じように自分なりのちゃんとした結果を出したいと思っています。

その時にできる限り自信を持っていたいからできる努力はしたいですし、本当に書いた物自体に価値があるようにできたらいいと思っています。

そのために何をするのがいいのかずっと考えています。

それだけではダメなんですけどね。


ライブの演奏はとても素晴らしくて、悩みに落ちこんでいた心を元気にしてくれました。 ありがとうございます。

これからも聴き続けてしまうと思うけど、ごめんなさい。


去年書いたnote、後半の小説はほとんどこの人たちの曲を聴きながら書いたものなのです。 ただ、もっと表現の幅を広げていくために幅広く他の人の作った音楽も聴いてしまうと思います。 別のジャンルの曲とかも。

どんなものを書くことができるのか、不安と期待でいっぱいです。

投票で一位になった曲、私も一番好きなのですごく嬉しかったです。

いつまでもずっと素敵でいてください。


読んだ時すごく励まされたnote、貼らせていただきます。


ここまで読んでくださって本当にありがとうございました。

今日もきっといい日になります。
たぶん、きっと。















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竹原なつ美
ありがとうございます。 嬉しいです。 みなさまにもいいことがたくさんたくさんありますように。