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大好きな人やもの

 時々思い出したように開く本があります。

 それは私にとって特別な時間。

 そしてちょっと緊張する時間です。

 それと同時に毎日YouTubeで飽きもせず同じ曲の動画を何回も何回も繰り返し見て、どうにもならなくなってしまいそうな今の自分を支える力にしています。

 どちらも私にとってはとても大切なもので、かけがえのないものです。

 もっともっと、素敵な表現をすることができるようになりたい。

 そして、素敵な文章を書いて公開したい。認められたい。結果を出したい。そういう気持ちがどんどん高まってきています。

 私が大切に読んでいる本も、大切に聴いている音楽も、私を成長させてくれる大切なものです。向上心がむくむくと湧いてくるような素晴らしい表現がそこにあるからです。

 でも私、男性に対抗しようとか、ライバルと戦ってとか、そんなふうに考えた事はありません。

 あくまでも私が憧れて、こんな風になりたいなぁ、こんな素敵になりたいなぁ、こんな魅力的な人間になりたいなぁ、そういうことの連続です。

 ずっと前、何種類かのファッション雑誌に夢中になって見ていた頃も、その誌面に対する憧れの気持ちはありましたが、ねたんだりそねんたりした事はありませんでした。

 楽観的でのんき者だった私は、憧れ続けていれば、いつか自分もそうなれるという根拠のない思いを持って、その美しいページを見ていたからです。

 どんな状況の時もそう思っていました。

 でも、それと同時に地道なことを考えて、お金をコツコツ貯めたり、子供にきちんと栄養のバランスのとれた食事を作ってあげたくて、材料を集めて時間をかけてお料理したり、先につながることをその時なりに頑張ってきたような気がしています。

 そんなふうに考えて努力ができたことが私にとっての幸せだと思ってきました。

 時と場合によっては、いくら自分が望んでもそうできないこともあるということもわかっていたからです。

 だからそうできることに対して、周りの人や状況やいろんなものに感謝をしていました。

 そうしたら、周りの人から見たらどうしてそんなに大変な状況でそう思えるんだろう?そう思われてしまっても、仕方のないような状況しかなかったのに、私はどこかでいつも自分のことを幸せな人間だ、雲の良い人間だと思い込んでいました。

 傍で見ていて、それを笑っていた人もいたのかもしれません。

 それでも私は悪い方ばかり考えてぐずぐずと文句を言うなんて絶対にしたくなかったんです。

 それは、その時に、一生懸命働いて生活を守ってくれていた人や、苦しい状況の中で、それに負けないで、一生懸命に自分の日々を真面目に頑張ってくれていた人に対する私なりの礼儀の気持ちだと思っていました。

 生活は自分だけでしているわけではなく、どんな状況においても、誰かが必ずどこかで協力してくれているから成り立っていると分かったからです。

 そのことへの敬意を忘れてしまうと、何もかも壊れていってしまうような、そんな気がするからです。

 他の人をひがんだり、ねたんだりするよりも、私にとって大切なのは大切な人たちに対する敬意を忘れないことと、いろんな人との関係性の中で、自分を大切にしていくことだったからです。

 そしてこれから今までとは違うような生活をするようになったとしても、そのことを忘れたくないと思うのです。

 私は大切にしている本の著者の方々を尊敬しています。
 その気持ちが私を文章を真面目に書いて表現する人になりたいという気持ちを強くさせてくれています。

 それと、同時に、毎日聴いている大好きな曲を作って演奏してくれている人たちを尊敬しています。

 何かを表現して、それを人に認めてもらうためには、大きな勇気と絶え間ない努力が必要で、それを自分を向上させながら続ける事は、そんなに簡単なことではないと思うからです。

 私は、やっぱり、どうしても、素敵な文章を書いてたくさんの人に読んでもらえるようになりたい。そういう気持ちをあきらめることができません。でもやっぱり現実的なことを考えて、仕事のことを考えていかなくてはいけないような気持ちにもなってしまっています。

 他の人と争ったり、ライバル関係になって、どうこうしようと考えた事は無いけれど、そう思えているのも、たくさんの人たちの協力のおかげで、今の私の考え方をずっと続けていけるのかどうかと思った時新たに考えたのは、今の自分の状況に感謝をしなくてはいけないということでした。

 私を励ましてくれる文章、私を励ましてくれる音楽、そしてそれだけではなくて、私を見守って励ましてくれている人たち。

 そういう人の存在が私を守ってくれて、私の考えや立ち振る舞いを正しく美しいものにしてくださっている。そのことを忘れてはいけないと思うのです。

 ひがんだりそねんなり、しないで済んでいるのは、自分の努力だけではなく、そうやって私を守ってくださっている人たちのおかげなのだと思うばかりの毎日です。

 その中で、自分がどんな風にすることが本当に正しいことなのか、それを考えるとわからなくなってしまって呆然とすることもたくさんあり、どんな状況になっても生きていくのは大変だなぁと感じることがほとんどです。

 それはずっと言語化してはいなくても感じ続けていたことで、それを感じて受け止めながら、周りの状況に合わせることも考えて、今までいろんなことをしてきました。

 話すことも書くことも、それに伴って変わってきたような気もしています。

 だから、他の人から見たときに、私がどんな人間なのか分かりにくいような時もあるかとは思いますが、自分自身で考えた時、不器用で要領の悪いなんだかあんまり寝られないような人のような気がして、だから余計に自分のことを大切にしてくださる方々に対して感謝が必要なのだと感じてしまうのかもしれません。

 本当はもっとちゃんとした生活がしたいし、充実した生活がしたいです。

 そのために、きちんとした場所に住んで、きちんとしたものを揃えて、本当に大切だと思える人達と一緒に穏やかな生活が送れるようになりたい。そう思います。

 私を応援してくれている、私を応援してくれていた、人たちはきっと私が幸せになったら喜んでくれると思うのです。

 だからそうなりたいと心から思っています。

 そして、もしそういう人がいなかったとしても、私はしあわせになりたいです。

 私を産んで、育ててくれた人たちに喜んでもらいたいから。

 それは、私が子供を大切に思っていて、その子供が幸せになってくれたら本当に嬉しいからです。

 みんな幸せになるために生まれてきました。それは私も他の人もみんな同じです。だからひがんだりそれなりねたんだりしないで、みんなで協力しあって、みんなでしあわせになってしまえばいいような気がするのです。

 そして、私にはよくわからないけれど、傷つけあったり、いがみあったりしている人達とはあんまり触れ合わないように、付き合わなくても済むように気をつけたいと思っています。

 私は平和な気持ちでいたいし、自分の理想を追いかけたいから、傷つけ合っている余裕は無いのです。

 しあわせになる努力は惜しみなくしたいです。

 くだらないことでいがみあうのはやめましょう。

 そして前向きなことをしていける人とつながりたいです。

 

 

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竹原なつ美
ありがとうございます。 嬉しいです。 みなさまにもいいことがたくさんたくさんありますように。