見出し画像

素直な気持ち

昨日、文章を書いている時に震災の後の自分の気持ちを思い出しました。
先行きが見えない、どうしたらいいのかわからない、という気持ちが一番強かったと思います。

今だっていろんな理由でそういう気持ちになってしまっている人は悲しいけどきっと沢山いるはずです。

そういう時、どうしようもない状況の中でもほんの少しの時間に本を開いてその中の世界に救われながら心を守って生活をつないでくることができました。だから私は文章にとても感謝をしています。子どもの頃も大人になってからも私を育て、心を守ってくれたのは小説や物語や考え方を書いた本、文章です。休みもなしに安いお金で働き続けなければならなくて子どもの傍にいられなかった両親の代わりに沢山の文章が寄り添ってくれていました。母は私の勉強机の上についていた本棚(?)に、いつも何冊もの本を買って置いておいてくれました。

『赤毛のアン』『アルプスの少女』『星の王子さま』等々。

覚えているだけでも沢山の人が知っているスタンダードな本の数々。今振り返って考えてみれば、母がそこに置いておいてくれたから読んだのかもしれません。

小学生になると一緒に暮らしていた祖母が図書館に行って本を借りることを教えてくれました。沢山の本の中から好きな本を自由に選んで借りたり読んだりできたことはものすごくしあわせなことでした。学校の教室にあった学級文庫は冊数が少なくてすぐに終わってしまうし、気に入った本をその中から探すのは結構難しくて。

本当に読むことが好きだったんだなと思う自分自身のエピソードは、国語の教科書の中に好きな文章を見つけると心がぱーーっと明るくなってその文章を覚えてしまうくらい読んでいた、ような気がするのです。
だから、宮沢賢治さんの『やまなし』というお話に心が引かれてしまうのかもしれないなと思います。
その頃母も父も仕事が忙しくて一週間に一度会うか会わないかというような状況でした。一緒の家に住んでいたのにです。朝も夜も顔を合わせることがない。そのくらい朝早くから夜遅くまで二人は働いていました。土日も仕事です。だから少ない時間をやりくりして本を選んで買って私の本棚に置いておいてくれたのだと今の自分ならわかるのですが子どもの頃の私はただ両親と一緒にいることができないさみしさだけしか意識することができなくて苦しんでいました。本当につらかったです。
そのさみしい気持ちをその頃の私は本を読んで物語の世界に潜り込むことでどうにかこうにかしていました。その頃は本当に沢山の本を読んでいたと思います。
けれども本当は本を読むだけではなくて実際に何か行動してみることも必要だったと思っています。自分が実際に体験したことしか身にならない、そういう事も確実にあると思い続けてきました。でも子ども一人の力ではどうすることもできませんでした。だから自分の子どもには同じようにはさせたくなくて私にできる範囲で工夫して外にでる、できる限りいろんな経験ができるように協力したり努力してきました。足りないところは本人が工夫して自分で何とかするのではないかと思っています。

文章を読むことも実際に何か体験できるように工夫して行動するということも両方大切なことだと私は思います。
例え失敗しても、うまく行かないことがあっても、そういう経験をいくつもしておくことは大人でも子どもでも生きる力になると思うからです。
本当に傷ついてどうにもならなくなってしまうようなことは経験しない方がいいと思いますが、いろんな経験が多ければ多いほど豊かになっていくものもできることの幅が広がっていくこともあると思っていて、本を沢山読んで知識や想いを深めていくこととともに実際に体を動かして心も動かして経験を増やしていくことも、その両方が大切で、両方あった方が生きることが豊かになっていきやすいのではないかと思うのです。

実際に何か行動してみると出会いもあるし、そのことで運ばれていくものやことがあると思うのです。その時に確実につらいこともあると思います。それを我慢し続けなければいけないなんて思いません。でも、それでも、本当に自分自身の人生を広げていきたいと思ったら行動は必要です。
なにもしないままでいて誰かに不満をぶつけているよりも自分の好きなことをして自分を満たすために努力してみたらきっと楽しくなると思うし、そのためにしたくない嫌なことも我慢できたり努力するのが嫌でなくなるのかもしれません。

私の場合はそれが読んだり書いたりすることだからこういうふうにしています。でも全部の人に同じになれとは思いません。そして好きなことや物がみんな違っているからこそ社会は豊かになっていくし、助け合うことができるし沢山の人たちが輝くことができるのではないのかな?というふうにも思います。

そうやっていろいろな人がキラキラしていたらそのことに引きつけられてくる人の数も増えていくのではないかと思ってしまうのは私が物を知らないからかもしれません。でも本当にそう思うからここに書いてしまいました。

本当に厳しい目で見てしまったら、その物差しに当てはまらない人も物も沢山あると思います。けれども人は物差しや型にはまってきちんと収まるようには決してできていません。生き物なんですから。
そして生きた文章が生き生きと存在できる場所があったら心を引かれてくる人が増えていくのではないかと思うのです。

読んでいて息がつまってしまうような文章を読みたい人はあまりいないと思います。私自身も息のできない文章は読むことができません。

いつも心地よい風がふーっと吹いている、だからnoteが大好きです。

文章も好きです。



読んで下さってありがとうございました。


画像はYukiko|Archive noteさんにお借りしました。ありがとうございます。



いいなと思ったら応援しよう!

竹原なつ美
ありがとうございます。 嬉しいです。 みなさまにもいいことがたくさんたくさんありますように。