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努力してます
つらいことを何かを食べることでごまかしてたことが太ってしまった大きな理由みたいなんです。
嫌なことに向き合うことをごまかすために何かを食べるということは間違っていたと思います。
そういう癖を直すために今は工夫をしながら食べない努力をすることを一生懸命続けています。
食べ過ぎて太ってしまったのは自分自身の責任です。
仕方がないから痩せるための努力を続けていくしかないです。
・夕飯に淡水化物を食べるのを極力減らすこと。
・麺類もなるべく食べないようにすること。
・雑炊やあたたかい汁物をなるべく摂るようにすること。
・野菜をたくさん食べること
・甘いものを減らすこと など
食べないように努力しているものもたまには食べますが、少ない量で抑えるということと、カロリーの高いものを食べてしまった時は、その後の食事を意識的にちゃんと減らすことで調整するようにしています。
キャベツの千切りの上に納豆といりごまを乗せて食べるのをこのところ何回も繰り返してきました。
味も美味しいし、量を多めにしておくと他のものを食べたくなるということがなくなるしお腹も重たくならないしとてもいい方法のように思っています。
千切りのキャベツの上に薄切りの豚肉に塩コショウしたものを三枚くらい焼いて載せたものを夕食として食べたこともあります。
きゃべつがご飯の代わりというようなイメージです。
運動も併せてできればもっと効果が上がるはずです。
がんばります。
家の中も片づけてます。
少しずつ少しずつなんですが、それでも確実に変わっていっています。
心細い気持ちもたくさんありますが一つずつ一つずつやっていくしかありません。
noteを書くようになってからわたしは変わったようん気がします。
それがどう変わったのかということはうまく説明ができません。
SNSというものに触れるようになったのはnoteを書き始めてからです。
そうしてまだわからないことばかりです。
それでも続けているのは、どうしても文章を書いて公開したいからです。
そのことが何かにつながっていくような気がしているからです。
その何かが何なんなのかなんてわからないけれど、それでもわたしは文章を書きたい。下手でも何でもいいから。
本当は下手ではいけないと思います。
上手な方がいいに決まっています。
でも、それでも、やっぱりどんなふうでも書きたくて、書きたくて仕方がないです。
最初とは書きたいものも、書きたいことも、変わってきたと思います。
そうして、自分自身の考えることも変わってきたような気がします。
それは多分書くことで自分が変わってきたからのような気がします。
弱い自分にも、強い自分にも、情けないような自分にも、きれいな自分にも、そうじゃない自分にも向き合って考えることができるようになりつつあるような気がするからです。
自分という一人の人間の中にいくつもの自分がいて、その自分たちと向き合えるようになってきたような気がするからです。
それはきっと文章を書くことが自分と向き合うことに大きくつながっているからなのではないかと考えています。
それまでの自分は多分その時の状況をどうにか収めるためだけのことしか考えることができない状況で、自分自身と向き合っている余裕がなかったんだと思うのです。
だから周りに振り回されて混乱することがとても多かったのかもしれません。
でも毎日文章を書くようになって自分自身と深く向き合うようになってから自分の思いをそれまでよりも深く強く感じることができるようになったような気がするのです。
文章を書くことはわたしにとって自分自身の輪郭線を少しずつ重ねて書いていくようなそういう作業なのだと思います。
漠然としてぼんやりとしたままの自分というものをはっきりと周りとは別のものとして意識してその上でなにかを伝えるために書くということを続けているような感じがしています。
どんなこともあいまいなままにしていたら文章は書けないということを、書き続けているうちに考えるようになったような気がするし、書き続けているうちにそれまでははっきりと意識できていなかったことやものや自分の思いに気がついてしまうようになったような気がするのです。
そうして自分がこんなにも文章を書くことが好きだということにも気づいてしまって、それに夢中になっている自分に驚いてもいます。
わからないまま、知らないまま、それでも毎日書いたり話したりしてきてしまったことに一番驚いているのはわたし自身なのです。
人はいろんなことを言うけどそれはあくまでも推測なのであって、それとは別の所にわたしの本当があって、それはわたし自身にも書きだすまで、向き合うまでわからなかったりしていて、自分でも知らなかった自分自身に出会っていく、書くことはわたしにとってそういうもののような気がしています。
意識できていなかった自分自身というものに向き合える作業というような感じなのです。
そういうものに向き合えるようになったことで、ダイエットを続けることができているような気もするのです。
場当たり的に自分自身をごまかし続けていたことを止めることができるようになりつつあると思うのです。
もやもやとしたままのあいまいな自分ではこういうふうにはできなかったということを感じています。
そういうものに出会って向き合うことができていることがわたしにとってのしあわせで、それ以外ではありません。
だから感謝ができています。
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