繊細さんはステキな人 エンパスはステキな宇宙人 ①
こんにちは♡
地球遊園地物語のページを開いてくださりありがとうございます。
私は繊細さんと呼ばれる(HSS型)HSP・エンパスの一人ですが、ここでは 幼少期の両親(特に母)との関係で最もブロックになっていた部分についてのお話になります。
私の地球人生シナリオのスタートに選んだ(約束した)家族は、昭和の典型的な反面教師の両親と自分とは真逆タイプの妹でした。
おじさんやおばさんは私の良き理解者でしたが、一番近い人達は思い込みが強くて一方通行、自分とは感覚が違う異世界の人たちでした。
多くは、教育という看板の下に潜む心配や不安の不信感から否定言葉が始まり、思い込み決めつけなどのエゴでも正しいとされた時代でした。
そんな異世界の人たちには、繊細な自分の気持ちや考えを伝えることができないし、伝えても通じないから、
自分は人よりもダメな人間、良くない人間なんだと勘違いしていきました。
このままではいけない、親の過剰期待に答えて優等生やお利口さんでなければ愛されない…
そんなふうに繊細な自分を否定方向へと過小評価し、制限をかけて閉じ込めていくには時間はかからなかったと思います。
自己否定の要素は充分に揃っていました。
今でこそ、敏感で繊細なのは、感受性豊かで物事を認識する能力が高い長所と言われるようになりましたが、
昔は繊細なのは「神経質」で小さなことを気にする良くない性格だと認識されていました。
私は、母に時々言われました。
「そんな小さいこと、いちいち気にしてたらあかん。
さっと早く切り替えられないのか?」と、
大ざっぱな目線で繊細さを否定されていました。
両親は、私の良い部分をわからないわけではなかったけど(特に母は知っていたと思うけど)長所を認めるよりも悪いところをよくしようとするばかりの典型的な否定教育でしたから、長所を言われた記憶はあまりありません。
昔の言い方で、父からは几帳面だと褒められのは一番覚えていますが、
几帳面も神経質もマイナス的なイメージで私にはあまり心地いいものではなかったです。
それらは完璧主義の父親の性格の一部だったから、父にとってはそこだけをよく視えていたのだと思えるし、
私の明るい部分は、母の方が知っていたかもしれません・・・
それに、
「お前は人を嫌いと言い過ぎる」とも言われました。
古い時代は、無自覚エゴ人間がたくさんいたから、純粋な子供心にそのエゴが嫌だっただけで、その人の全てが嫌いではなかったわけですが、
理由も聞かずに否定されるだけだから、嫌な人を嫌ってはいけないと思うしかなかったです。
それは長い間の自己犠牲的な我慢グセ無理グセの種になっていたと思います。
それらの指摘は頭ごなしで、昔のきびしいしつけ感覚だったから、めちゃくちゃ悪い性格だという風に聞こえていました。
嫌なこと等を気にしないようにしようとしてもよけいに気になるのは、敏感にそう感じているからどうすることもできません。
細かく感じてしまって小さいことが気になる自分の性格は神経質で最悪なんだ、と思いこんでいました。
大ざっぱで適当に上手く対応する人の方が良い性格とされて、その方が生きやすい時代でした。
今でもまだそういう風潮は田舎に行くほど残っています…
ちょっと話はそれますが、
良い人でいなければいけない…という価値観が昔から日本人には強くあると思います。
自分の本音を隠して表面上で事なかれ的に良い顔をして関わることが当たり前でした。
自分の感じる本音に素直になって表現することはとても困難で、古い時代は自由意志を表現するのを許されないことがたくさんありました。
心を制限することが強い国民性の特徴は、今もホンネとタテマエ文化として多く残っていると思います。
また、良い人とは優しくて親切で努力し頑張ること…等など。
そうならない人はダメな良くない人として、上下感覚が強くて「赦しや受け入れる」ということが乏しい日本人の傾向は、最も本質からは遠かったです。
そういう日本の精神性レベルの象徴として、潜在意識の男尊女卑が今も根強い現実社会です。
縄文時代は、平等でしたから、女性性や母性が真に大切にされていたので安心して子供が育つ平和な社会でした。
日本人の本質が活きていました。
親切で良い人と言われる人よりも、本音で生きている人のほうが、私は個人的にスキです。
近年繊細な人についてはHSP、HSE、(HSS型)などに分類されていて、エンパスは、HSP繊細さんにスピリチュアルな宇宙感覚をプラスした性質で、スターシード、ライトワーカーに含まれます。
繊細さんの素晴らしい気質が知られるようになってきたので繊細さんも両手を広げてのびのびと深呼吸ができるようになりました。
敏感なことは、ハート感覚が深く開いている、非常に豊かな感受性、高い共感力、鋭い洞察力などのポジティブなイメージですが、
神経質とは、小さなことを気にしすぎる不安や心配というネガティブなイメージです。
繊細という認識は、時代が進化するとこんなにも大きく違ってくるのです。
繊細と神経質は全く異なる別々の気質です。
細かく気になるというのは感覚が開いて細部までよく感じるから、わかるべきことがよくわかる能力でもあるわけで、
的確な理解やきめ細やかな配慮ができるステキな才能や個性です。
感覚を閉ざしていてあまり感じなければ、わかるべきことがあまりわからない為に、雑で大ざっぱな関わり方になったり無神経な言葉を言ったり人を傷つける対応をしてしまったりすることがあります。
ですが、繊細さを神経質だという古い時代の認識では、傷ついた方が細かく気にしすぎる悪い性格ということになっていたわけです。
人との関わりの中でトラブルがおきたりすると、敏感な方が色々感じ過ぎて敏感さを問題視されてしまうことがよくあると思います。
高い視点から観れば、敏感に感じない方が問題なのは当然で、
進化した時代では、ありえないようなことですが、つい数十年前までは、こんな狭い認識の世界でしかなかったです。
様々に幅広く深く感じる敏感な人は、大多数の人よりもわかるべきことがわかり、物事や人をよく視えているわけです。
感覚を閉ざしてあまり感じないのは、
表面的や部分的な視え方になって 誤認や偏見などという偏った認識になりやすいですから、
身勝手な自分都合…という結果になってしまうこともしばしば・・・
感じることが実際にその必要なレベルに届いていないので、
物事の全体を正確にわからないということになります。
敏感視点の丁寧さやきめ細やかさが足りないくて、
基本的なところに総合的に届いていない状態、バランスが良くない状態です。
地球体験の為に閉じた感覚は、開いて開放していかなければ愛が愛として正常に流れません。
愛が強くあってもバランスが惡くなってしまいます。
本質をわからない人が大多数という社会全体の意識が低い基準であれば、よくわかる人は敏感と言われて特別視になりますが、
社会全体の基準が高くなれば、大多数が敏感にわかるようになるから、敏感は敏感ではなく普通という認識に変わり、安定して安心して暮らせます。
幼少期から神経質で良くない性格だとされてきたことは、
自分の感じることは全部ダメで、自分には何も取り柄がなく価値もないと思うくらいでした。
そんなハンパない超自己否定の自分が、疑問だらけの世界で探し求めた答えに届いたのは、
自分の感じていたことは間違いではなかった
と知った時でした。
間違ってるのは、周りの人や社会だったんだ…!! と実感でした。
敏感は物事をよくわかるけど、敏感でないのは物事をあまりわからない、ということで単純明快です。
この単純明快な事実だけでも、自信のなかった私は自己肯定感
が上がることになり、
そこからは、自分を信じる自信へのプロセスが本格的に始まりました。
自分の潜在意識を感知して、一つ一つの逆認識ブロックを外したらその一つ一つの自分を受け入れ、自分をありのままに肯定していく・・・ひたすらその繰り返しでした。
若い頃は、時々他者から相談されたりしました。
誰にも言えないことをあなたにだけは言えるから、と。
また、繋がった人からは、こんなに深く話せたのは始めてだ、と喜ばれたりしました。
それは、自分には特別ではなかったけど共感できることはいつも喜びでした。
後にそれらが、スターシード(エンパス)の性質なんだと実感してからは納得でした。
私は、こんなステキな宝ものをもってたんだー!!
HSP・エンパス 繊細さんは
人並みはずれた高い共感力
人の感情やエネルギーに敏感
環境や刺激に敏感
非常に強い感受性
鋭い洞察力
深い情報処理
細部に気づき深く全体がわかる
・・・
とにかく、本音を隠していたりする人のことを全部感じてしまうのですから、
深い意識開放を地球プログラムして土の時代を生きるのは、ほんとーにめちゃくちゃしんどかった。
あんなハードプロセスをよくまあ全力で走りぬけてきたんだな、と思えます。
そんな困難多難の時代を生き抜いたことだけでもすごいことだと言われるけど、
何よりも、自分の感じていた様々なことが
エンパスという素晴らしい才能
だったことを今あらためて実感できることが最も嬉しいです。
20数年前は、エンパスという言葉すらなかったし、同化してしまう(共感力)、人の感情を敏感に受けてすいこんでしまう(感受性)、まるで掃除機みたいに・・・
という風な何となく良いイメージ程度でしたから、高い才能だというはっきりした自覚の自己肯定には至っていなかたった気がします。
波動が下ると、まだまだ自分責めグセが出たり、時には過去の後悔に陥ったりすることはあったりしますが、
どんな状況にあっても、過去のようにもう二度と恐怖のジェットコースターに乗ることはないし・・・
ベクトルは、ステージが上がる方向でしかないから・・・
強烈自己否定だった過去から思えば、ずいぶん自信がてきて自分を緩めていけるようになってきて、自分軸を感じている自分がちゃんといるのだから・・・
エンパスで生れたことは、これからは誰よりも自分を自由にしていけるのです。
エンパスだったことは、今では誇らしくさえ思えてきます。
本当のことをわかっている繊細さんたちが、堂々と自信をもって生きていけるようになることで、ホンネとタテマエ文化の日本人集合意識がオープンになって、大きくレベルアップしていく可能性を秘めているのではないでしょうか。
ちょっと話はそれますが、母とのエピソードについて少し追記します。
この記事を書いていてエンパス気質を喜びに感じた時、
そういえば・・・
昔、母が私に言ったことを突然思い出したのです。
「しずかは一番先に幸せになるよ」
周りの誰よりもほんまもんの幸せになる、という意味です。
こんなステキな母の言葉を長い間すっかり忘れていました・・・
思い出せて、めちゃ嬉しい!!
3次元母とは幸せはわずかしかなかったけど,、母は一生分の愛を込めた言霊を残してくれていました。
また、
「自分を信じろ!
そしたら他の人も信じれる!」
と、
その頃の母が、ある日突然ハートど真ん中から言いました。
スピリチュアルな多くの人からよく耳にする慣れ親しんだ言葉ですが、この時の母の言葉「自己信頼メッセージ」は、人生最高でした。
母が突然口にする時は、想いをそのままストレート表現です。
普段とは別人みたいに、その瞬間だけはキラキラしていました。
母も自信がなくてひたすら家族の為に自己犠牲的な他人軸だらけでしたが、深いところでは本質をしっかりとわかっていたんだと思います。
先には、
私の人生最大の不幸につながった母の思い込み呪縛言葉(1回目結婚)と、
離婚の後には、
最高の幸せへの確信言葉を母は残していきました。
3次元では最悪と最善という結果に繋がるものでしたが
母にとっては、どちらも「娘が絶対に幸せになる」と確信した言葉で、母の人生究極の愛でした。
エンパス気質で地上に降り立つ私の母として選んだ(約束した)地球シナリオ完成は、あらためてこの母の言霊に繋がります。
時代的には反面教師の毒親パターンでしたが、ほんとーに魂は全部知っているベストプログラムの母と娘だったんだと思えます。
繊細さんは、ほんとーは幸せ
いっぱいのステキな存在なんです。
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つづく
こんにちは♡
地球遊園地物語のページを開いてくださりありがとうございます。
私は繊細さんと呼ばれる(HSS型)HSP・エンパスの一人ですが、ここでは 幼少期の両親(特に母)との関係で最もブロックになっていた部分についてのお話になります。
私の地球人生シナリオのスタートに選んだ(約束した)家族は、昭和の典型的な反面教師の両親と自分とは真逆タイプの妹でした。
おじさんやおばさんは私の良き理解者でしたが、一番近い人達は思い込みが強くて一方通行、自分とは感覚が違う異世界の人たちでした。
多くは、教育という看板の下に潜む心配や不安の不信感から否定言葉が始まり、思い込み決めつけなどのエゴでも正しいとされた時代でした。
そんな異世界の人たちには、繊細な自分の気持ちや考えを伝えることができないし、伝えても通じないから、
自分は人よりもダメな人間、良くない人間なんだと勘違いしていきました。
このままではいけない、親の過剰期待に答えて優等生やお利口さんでなければ愛されない…
そんなふうに繊細な自分を否定方向へと過小評価し、制限をかけて閉じ込めていくには時間はかからなかったと思います。
自己否定の要素は充分に揃っていました。
今でこそ、敏感で繊細なのは、感受性豊かで物事を認識する能力が高い長所と言われるようになりましたが、
昔は繊細なのは「神経質」で小さなことを気にする良くない性格だと認識されていました。
私は、母に時々言われました。
「そんな小さいこと、いちいち気にしてたらあかん。
さっと早く切り替えられないのか?」と、
大ざっぱな目線で繊細さを否定されていました。
両親は、私の良い部分をわからないわけではなかったけど(特に母は知っていたと思うけど)長所を認めるよりも悪いところをよくしようとするばかりの典型的な否定教育でしたから、長所を言われた記憶はあまりありません。
昔の言い方で、父からは几帳面だと褒められのは一番覚えていますが、
几帳面も神経質もマイナス的なイメージで私にはあまり心地いいものではなかったです。
それらは完璧主義の父親の性格の一部だったから、父にはそこだけをよく視えていたのだと思います。
私の明るい部分は、母の方が知っていたかもしれません・・・
それに、
「お前は人を嫌い嫌いと言い過ぎる」とも言われました。
理由も聞かずに否定されるだけだから、嫌な人を嫌ってはいけないと思うしかなかったです。
それは長い間の自己犠牲的な我慢グセ無理グセの種になっていたと思います。
古い時代は、無自覚エゴ人間がたくさんいたから、純粋な子供心に嫌だっただけでした。
それらの指摘は頭ごなしで、昔のきびしいしつけ感覚だったから、めちゃくちゃ悪い性格だという風に聞こえていました。
嫌なこと等を気にしないようにしようとしてもよけいに気になるのは、敏感にそう感じているからどうすることもできません。
細かく感じてしまって小さいことが気になる自分の性格は神経質で最悪なんだ、と思いこんでいました。
大ざっぱで適当に上手く対応する人の方が良い性格とされて、その方が生きやすい時代でした。
今でもまだそういう風潮は田舎に行くほど残っています…
ちょっと話はそれますが、
良い人でいなければいけない…という価値観が昔から日本人には強くあると思います。
自分の本音を隠して表面上で事なかれ的に良い顔をして関わることが当たり前でした。
自分の感じる本音に素直になって表現することはとても困難で、古い時代は自由意志を表現するのを許されないことがたくさんありました。
心を制限することが強い国民性の特徴は、今もホンネとタテマエ文化として多く残っていると思います。
また、良い人とは優しくて親切で努力し頑張ること…等など。
そうならない人はダメな良くない人として、上下感覚が強くて「赦しや受け入れる」ということが乏しい日本人の傾向は、最も本質からは遠かったです。
そういう日本の精神性レベルの象徴として、潜在意識の男尊女卑が今も根強い現実社会です。
縄文時代は、平等でしたから、女性性や母性が真に大切にされていたので安心して子供が育つ平和な社会でした。
日本人の本質が活きていました。
親切で良い人と言われる人よりも、本音で生きている人のほうが、私は個人的にスキです。
近年繊細な人についてはHSP、HSE、(HSS型)などに分類されていて、エンパスは、繊細さにスピリチュアルな宇宙感覚をプラスした性質で、スターシード、ライトワーカーに共通します。
繊細さんの素晴らしい気質が知られるようになってきたので繊細さんも両手を広げてのびのびと深呼吸ができるようになりました。
敏感なことは、ハート感覚が深く開いている、非常に豊かな感受性、高い共感力、鋭い洞察力などのポジティブなイメージですが、
神経質とは、小さなことを気にしすぎる不安や心配というネガティブなイメージです。
繊細という認識は、時代が進化するとこんなにも大きく違ってくるのです。
細かく気になるというのは感覚が開いて細部までよく感じるから、わかるべきことがよくわかる能力でもあるわけで、
的確な理解やきめ細やかな配慮ができるステキな才能や個性です。
感覚を閉ざしていてあまり感じなければ、わかるべきことがあまりわからない為に、雑で大ざっぱな関わり方になったり無神経な言葉を言ったり人を傷つける対応をしてしまったりすることがあります。
ですが、繊細さを神経質だという古い時代の認識では、傷ついた方が細かく気にしすぎる悪い性格ということになっていたわけです。
人との関わりの中でトラブルがおきたりすると、敏感な方が色々感じ過ぎて敏感さを問題視されてしまうことがよくあると思います。
高い視点から観れば、敏感に感じない方が問題なのは当然で、
進化した時代では、ありえないようなことですが、つい数十年前までは、こんな狭い認識の世界でしかなかったです。
様々に幅広く深く感じる敏感な人は、大多数の人よりもわかるべきことがわかり、物事や人をよく視えているわけです。
感覚を閉ざしてあまり感じないのは、
表面的や部分的な視え方になって 誤認や偏見などという偏った認識になりやすいですから、
身勝手な自分都合…という結果になってしまうこともしばしば・・・
感じることが実際にその必要なレベルに届いていないので、
物事の全体を正確にわからないということになります。
敏感視点の丁寧さやきめ細やかさが足りないくて、
基本的なところに総合的に届いていない状態、バランスが良くない状態です。
地球体験の為に閉じた感覚は、開いて開放していかなければ愛が愛として正常に流れません。
愛が強くあってもバランスが惡くなってしまいます。
本質をわからない人が大多数という社会全体の意識が低い基準であれば、よくわかる人は敏感と言われて特別視になりますが、
社会全体の基準が高くなれば、大多数が敏感にわかるようになるから、敏感は敏感ではなく普通という認識に変わり、安定して安心して暮らせます。
幼少期から神経質で良くない性格だとされてきたことは、
自分の感じることは全部ダメで、自分には何も取り柄がなく価値もないと思うくらいでした。
そんなハンパない超自己否定の自分が、疑問だらけの世界で探し求めた答えに届いたのは、
自分の感じていたことは間違いではなかった
と知った時でした。
間違ってるのは、周りの人や社会だったんだ…!! と実感でした。
敏感は物事をよくわかるけど、敏感でないのは物事をあまりわからない、ということで単純明快です。
この単純明快な事実だけでも、自信のなかった私は自己肯定感
が上がることになり、
そこからは、自分を信じる自信へのプロセスが本格的に始まりました。
自分の潜在意識を感知して、一つ一つの逆認識ブロックを外したらその一つ一つの自分を受け入れ、自分をありのままに肯定していく・・・ひたすらその繰り返しでした。
若い頃は、時々他者から相談されたりしました。
誰にも言えないことをあなたにだけは言えるから、と。
また、繋がった人からは、こんなに深く話せたのは始めてだ、と喜ばれたりしました。
それは、自分には特別ではなかったけど共感できることはいつも喜びでした。
後にそれらが、スターシード(エンパス)の性質なんだと実感してからは納得でした。
私は、こんなステキな宝ものをもってたんだー!!
HSP・エンパス 繊細さんは
人並みはずれた高い共感力
人の感情やエネルギーに敏感
環境や刺激に敏感
非常に強い感受性
鋭い洞察力
深い情報処理
細部に気づき深く全体がわかる ・・・
とにかく、本音を隠していたりする人のことを全部感じてしまうのですから、
本当のことをわかっている繊細さんたちが、堂々と自信をもって生きていけるようになることで、ホンネとタテマエ文化の日本人集合意識がオープンになって、大きくレベルアップしていく可能性を秘めているのではないでしょうか。
エンパスはステキな宇宙 人 ②へ
つづく