なぜ,不登校に”ならない”のか?
不登校の原因を探したり,不登校の受け皿をどうするかを考えていていいのですか?
ある日子どもが,「もう学校にはいきたくない」と言い出したら,親も教師も,「なんで?」「どうしたの?」「学校で嫌なことでもあったの?」と,”行きたくない理由”を見つけようとするでしょう。
ちなみに,文部科学省の令和4年度児童生徒の問題行動・不登校等生徒指導上の諸課題に関する調査(https://www.mext.go.jp/content/20231004-mxt_jidou01-100002753_2.pdf)によると,不登校の要因は以下のようになっています。
小学校でも中学校でも,不登校の要因として最も多いのは,「無気力,不安」だそうです。なんだかよくわかりませんよね。
なんだかよくわからないことを必死になって考えても答えが出るわけもありませんから,親も教師も”子どもの学校に行きたくない気持ち”を受け入れざるを得なくなります。
そして次に考えることは,子どもの学びをいかに補償するかという”受け皿問題”になります。
もちろん,学校にいかないという選択をした子どもも,いずれは社会に出て自立していく必要がありますし,その成長を支える場が学校以外にも求められることは間違いありません。
しかし,とかく不登校問題について語られるときに,不登校児童生徒の受け皿の充実に躍起になっている今の流れに,私は大変危惧しています。
なぜなら,本当に求められていることは,不登校児童の受け皿ではなく,不登校の子どもを出さない学校づくりであると考えているからです。
そこで今回みなさんに問いたいことは,「子どもはなぜ,不登校に”ならない”のか?」ということなんです。
社会的絆(ソーシャルボンド)理論
アメリカの社会学者T.ハーシ(1969)は,社会的絆(ソーシャルボンド)理論を提唱しています。
ハーシは,人はなぜ犯罪などの非社会的な逸脱行動をしてしまうのか?ではなく,発想を転換して「人が犯罪などの非社会的な逸脱行動をしないのはなぜか?」という視点で考えました。
ハーシによると,人が逸脱した行動をしないのは,社会的な絆(ソーシャルボンド)があるからだと言います。
みなさんは,図にある4つの空欄に入るものはなんだと思いますか?
① 愛着(attachment)
友人や先生との情緒的なつながりを感じられている子どもは,それが学校に行く理由になるということです。
コロナ禍の休校中には,いつもは「学校に行きたくない」との相談が多いという『子どもの電話相談』に,「早く学校に行きたい」との相談が数多く寄せられたそうです。
それは,早く学校に行って友達や先生と学校生活をしたいとの気持ちからであったのだと思います。
② 投資(commitment)
学校で,教科の学習をしたり様々なことを体験したりすることは,将来の自分のためになるから学校に行く!ということです。
私は中学校で教員をしていたので,いろいろな問題行動や登校の難しさを抱えていた生徒が,中学3年生になり進路のことを意識し始めることで,学校生活が安定していく様子をたくさん目の当たりにしてきました。
子ども達はみんな良くなりたいし,そのために学校は最大の手がかりなのです。
③ 巻き込み(involvement)
学校に行けば係や委員会,授業での発表や体育大会のリレー選手まで,何かしらの役割がそこにあるから学校に行くということです。
いつもは登校を渋って朝ぐずぐずしてしまう子どもが,「今日は日直だから!」とちょっと張り切って準備をし遅れず登校するなんてことはよくあることです。
自分には役割があって信じて期待されていると思えることが踏み外すことを防ぐのです。
④ 信念(belief)
学校は行くのが当たり前,行かなければならないものという思いが,しんどくても頑張っていくしかないと学校に足を向かわせるのです。
私が小学生だった40年ほど前は,それはもう学校に行くのは当然,休むなんて選択肢はありませんでした。それが今はどうでしょうか??
子ども達が不登校にならない理由として,”信念”は一番弱くなってしまっているのかもしれません…。
そろそろ不登校の受け皿よりも,不登校にならない学校を作りませんか?
今回は,社会的絆(ソーシャルボンド)理論という切り口で不登校問題を考えてみました。
先生や友達といたら楽しいと思えて,学びは自分の未来のためと感じられて,仲間のために果たすべき役割があって,それらのために学校に行くのだ!と思える学校をつくれば,誰も不登校にならない,みんなが楽しいと思える学校になるんです!!
そんなのは理想論だ!と思いますか?
いったいどうすればそんなことができるの?って感じでしょうか??
その答えをみんなで考えていきましょう!
子どもも先生も楽しい学校づくりを実現しましょう☆彡