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2-13 ボクの大学受験

クラスの子たちと面接練習や雑談をしている中で,ボクの進路選択はどんなものだったか…。そんなことを思い出したくなって書いてみました。

●なりたいものがなかった高校時代

高校の頃,ボクは「将来これがやりたい!」と明確な夢はありませんでした。ボクが通っていた高校は「98%ぐらいの子は大学受験する」ような高校だったので,周りに流されるまま大学受験を決めました。

けれど,大学を選択する際に「学部・学科」を決めなくてはなりません。高校では「理数科」に入学したので,「なんとなく理系かな」と思いながら高校3年生まで過ごしていました。そして,高校3年生の夏に「天空の城ラピュタ」(スタジオジブリ)を金曜ロードショーを見て,「主人公がかっこいい!オレもあんな機械いじれるようになりたい!そういえば父親も機械詳しいなぁ・・・(父は趣味で飛行機(ラジコン)を飛ばしていた)」というきっかけから,「工学部・機械工学科」を受験することにしました。

(ボクは「特別勉強ができた!」というわけでもありません。学校の試験1~2週間前はかなり勉強するようにしていたけれど,「クラスでは40人中,毎回5~10番ぐらい」「業者のテストでは学年100番ぐらい」だった記憶です(範囲が決まっている試験は点数が取れたが,勉強の習慣がないとしんどい業者テストは中々点数がとれない))。


バドミントン部を6月ぐらいに引退してから,学校の近くにある喫茶店で本格的に受験勉強しはじめました。最初の頃は「国立大学(千葉大学)を一般受験しよう」と思っていました。7月ぐらいから予備校にも通うようにしたけれど,夏休みには「5教科・7科目の一般受験はシンドイわ!」と思い,すぐに大学を変更しました(汗)。受験科目が3教科で済む私立大学「芝浦工業大学・工学部・機械工学科」を選択。

「学校の成績はなるべく良くしておきたい」というエリート根性もあり,評定平均は「4.4~4.5」ぐらいあった気がするけれど,「指定校推薦なんて邪道だ!自分は一般受験で行くんだ」という謎のプライドもあったのと,「そんな早く(8月~9月)に大学なんて選べない!最後まで悩むかもしれない!」と思い,一般受験を選択しました(今思えば変な性格…)。

きっと「早くに進路選択をする抵抗」があったのでしょう。今でもそうです。「将来や先のことを見据えて行動…」というのはすごくニガテ。でも,オトナになれば「これも個性か…」なんて割り切れるけれど。

1校だけの受験は不安だったので,他に「明治大学」も願書を提出しました。確か「法政大学」も受験しようと考えたけれど,いつの間にか「願書提出締切日」が終わっていました(汗)。

 

●いざ!受験勉強

 受験科目は「数学・物理・英語」です。面接も小論文もありません。ボクはそれがよかったです。正直,いまの高校生(特に翔陽生)はエラいと思う。面接も小論文も体験しているし,大学の受験科目に入っている人もいます。ボクは最近,エラそうに「志望理由書の指導」や「面接の指導」をしているけれど,当時,高校生だったボクは「そんなもんできるかいっ!」と思っていました。執筆経験や企業に勤めた経験を生かして,今2組の子たちと練習を手探りでしているけれど,当時は全然自信はありませんでした(今もか?)。

 なので,とにかく「受験勉強」の毎日です。面接もない。小論文もない。代わりに勉強。16時に学校が終わり,そのまま予備校へ…。授業を受けたり,自習をしながら21時まで予備校に滞在。自習室の最後の数人になった後,電車で隣駅のミスドに移動。24時まで勉強。そして終電で帰る。そんな生活を半年続けました(あれっ?21時すぎたら高校生は外出禁止では…汗)。でも,ひたすら勉強はキツい。同じ予備校に通っている他クラスの軽音楽部のヤツと友達になって悩みを話し合ったり,別の高校に通っている女の子とメールしながら励ましあっていました。メールの分を印刷して家の学習机に貼る…。今思い出すと「受験勉強は孤独なようで孤独じゃない」なと…。クラスで面接練習をしている様子を見ていてもそうだよね…。お互い励ましあったり,意見を言い合ったりする,そんな時間や雰囲気が大事な気がします。

そんな勉強の甲斐もあってか,業者テストでは「判定B」の前後を行ったりきたり。過去問を解いても「合格ギリギリ」のところまでは到達できました。でも,過去の倍率をみると「3~4倍」ぐらいの倍率です。「このミスドのうち,ドーナツを食っている両隣のヤツらは落ちて,高野は受かる…。そんなことができるのか…!?」など,心配になってきました。

 

●なりふりかまわず…

 そんな心配も重なってか,勉強量を心配したボクは,「学校の受験科目以外の授業」を捨てる行為に走りました。ようは「社会や国語の時間はすべて授業を聞かず,受験勉強をする」というわけです。ボク以外にも数人そういう人はいました。それに対して怒らずに見逃してくれた先生に感謝もしているけれど,一言,「君たちはそれでいいのか」と直接つぶやかれたことがあります。当時は「オマエは安泰に公務員やっているだろうけれど,コッチは不安定な受験生なんだよ!」と思っていました(でも言わない)。でも,十年以上経ってもその台詞・場面を覚えている…,ということは,まだ罪悪感があるのかもしれません。

 また,高校3年生の12月まで皆勤だったのに,受験勉強のために学校を休んだこともありました。隣町の図書館で勉強するためです。3日間,「風邪です」とウソをついて…。これも「仕方なかった」とも思えるけれど,今でも「何の授業を休んだか」まで覚えている…ということは,自分の中に「何か」として残っている気がします。(なんだろう?やっぱり罪悪感…?なのかなぁ?)。(きっと,今のボクならやらない気がするなぁ…。でも,それを気づかせてくれたということは,大切な経験だったのかな)

 

●いざ!結果発表!

 そうして2月の試験日になりました。オープンキャンパスも大学見学も行っていなかったボク(当時はあまりやっていなかった)。緊張をほぐすためにも…と「電気工学科(2月1日)」と「機械工学科(2月3日)」の2日程を受験しました。合間の昼休みは耳栓をしながら他の受験生の会話は聞かないようにしていたので,相当繊細になっていた時期だったのかも…。

 結果は「電話(機械応答)」で確認しました(当時はインターネットで合否発表などしていない)。

「ピピー,ゴウカクデス,オメデトウゴザイマス」

図書館の公衆電話から聞こえる無機質な合格発表を聞いて,ボクは飛び出し,家に帰りました。参考書,教科書を段ボールに全部つめて,「ワーッ!」と叫びました(相当イライラしていたのでしょう)。

不思議なことに偏差値がやや低い「電気工学科」は不合格になり,本命かつ,偏差値もすこし高い「機械工学科」は合格しました。でも,「当日の運(得意分野が出題されるかどうか,etc…)」もやっぱりあるのがこの世の中です。

 合格が決まった頃,周りの友達は一般受験が終わっていなかったので,友達にメールもせず,「ひたすらゲームをする生活」&「就職や専門学校に行く地元の友人とサッカー」をして過ごしました。寝るのも惜しんで遊びました(そのせいで,入学金の振り込みを忘れる失敗につながるのですが…)。

- そんな高校時代の思い出を書いてみましたが,いかがだったでしょうか。ボクにとって「一生で一番勉強した受験時代」でした。もう一度戻りたいかと言われたら絶対戻りたくないけれど,当時の経験を通して,苦楽を共にした親友ができたり(そいつとは,大学が違ったけれど,ホノルルマラソンを一緒に走ったり,滝行をしたりと今でも交流が続いている),「自分はやればできるぞ!」という自信につながったりしている気がします。これから受験を経験する人もいれば,もう結果が出た人もいるけれど,この「高校3年生の進路選択」は一生のうちでも,「大切な経験」のひとつだと思います。「自分を見つめ直す時期」「将来を考える機会」としてうまく向き合ってもらえればなと思っています。一方で,ボクみたく「将来のことはまだよくわかりませ~ん」という人もいるでしょう。そんな人もいたって当然です。長い人生の中で今はこれっぽちの小さい期間です。「とりあえず,今はこっちだ!」と,考えすぎず今を大事にいきてほしいなと思っています。どうでしょう。

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