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2-19 仕事の多忙感について考える
-教師の仕事って忙しい…?-
今,同じ職場に期限付で勤めている若い先生がいます。今年も教員採用試験(高校体育)を受けるとの事で,その先生の机には勉強向けのテキストがたくさん。
その本の中で,「面接指導100」というテキストがあったので,「自分の頃と内容が違うのかな?」と思い,見せてもらいました。すると,新しい項目として「教師は多忙ですがどう乗り越えますか」なーんて質問が(汗)。いまどきはそんな質問もあるんだなぁ…。
そんな「多忙感」について考えていたら,ちょうど届いた『たのしい授業最新号』に中さん(東京・中学校)の記事にこんな事が書かれていました。
文科省の調査で「中学校教諭の約6割,小学校教諭の約3割が<過労死ライン>に達していた」という結果が出たそうです。たしかに「いくらやっても仕事が終わらない」と嘆く声はまわりにも満ちている感じがします。中学校では部活の指導が特に負担ですが,それ以外にもアンケート・指導案・週案など,提出しなければならないものが次から次にでてきます。さらに学力向上対策,道徳教科化に向けての準備等,いつも何かに追われている感じです。
うーん,なるほど。学校の先生は忙しいんだナァ…。(あれっ?高校は対象外かな?笑) ボクは民間企業を経験した後,高校教師に転職しています。そして,「多忙」というフレーズを聞くと,どうしても民間企業に勤めていた時の頃を思い出してしまいます。今日はそんな話から紹介してみます。
●民間企業に就職した1年目
ボクは大学卒業後,音響製品やセキュリティ製品を製造するメーカーに就職しました。営業職として勤務していたのですが,まさに「多忙」な1年目でした。残業も月150~200時間ぐらい(平日毎日24時まで残業しても約140時間…。ん…!?)。その当時は「やりがい」というより「追われて過ごす」という生活です。
そんな生活を数か月過ごしていた影響でしょうか。自分でも,今だったら「らしくないなぁ」という事をしていた気がします。少し紹介すると…。
・友達からのメールを返信せず数日間放置。
・趣味のギターを1年以上弾かずに放置。ギターの表板が割れるも,そのまま。もう1年放置。2年以上弾かなくてほこりだらけ。
・高校の同級生が遠くから遊びに来ていたのに,仕事の忙しさ自慢ばかりの飲み会。
・大学の同級生と高知に旅行する予定だったのに,数時間も寝坊…。でも慌てる様子もなく,テレビを見た後,初日の夕方にゆっくり合流。
・インターネットを使いたくて,マンガ喫茶に入店。たまたま受付がいなかったが,手続きもせず,そのままブース席に。退店時,事情を説明するのも手間で,電話するフリをして店の外へ…(その後,つかまってます)
特に最後のエピソードは思い出してもゾッとします(汗)。事情を説明すればいいのに,「つかまったらヤバい」なんて思い,運転免許証などの身分を証明するものを足と靴の間に隠して店を出ようとしたのです(怖)。
●慣れた矢先…
その後,仕事も少し慣れた矢先,教育担当をしてくれていた入社3年目の先輩が,くも膜下出血で亡くなってしまいました。突然の出来事に悲しんでいる一方,仕事は待ってくれません。人員が一人少ないまま,勤務は続きました。そんな多忙の会社生活が3年間続き,仕事の個人売上目標も達成する事もないまま,いつも「このままでいいのか」と思っていました。「仕事ができるビジネスマン」とはかけ離れていたような気がします。
そういえばこんなエピソードもあります。入社1年目,職場近くで夜の食事をみんなで済ませた後,ボクは職場に戻って仕事をしていた時,同じように外で飲みに行ってたまたま忘れ物か何かで戻ってきたベテランの先輩(もうおじちゃん)から「なーに遅くまで仕事してるの~? もっと肩の力を抜いてやればいいんだよ~」的な事を言われて,「やってもやっても仕事が降ってくるのにナンダコイツは!」と思い,おじちゃん先輩に向かって「いくらやっても終わらないんですよ!力抜けって言われても,どうすりゃいいんですか!?」と泣きながらキレてしまったのでした(汗)。(おじちゃん先輩は,そんなボクに対し,何も言わず黙って帰っていきました。今思えばかなりの優しさです。叱られてもおかしくないのにネ)
●生活を変えた4年目
そんな生活を変えたのは入社4年目の事でした。どんな話でそうなったか覚えていないのですが,「仕事はこのままじゃダメだ」と思ったのでしょう。入社2年目の後輩の女の子と「どちらが先に帰れるか勝負」をする事にしたのでした(毎日記録を取り,一か月ごとに決着。負けた方が食事をおごる)。それと合わせて,ちょうど付き合っていた子が早起きする素敵な子だったので,毎朝5時30分に電話で起こしてもらい始めたのでした。すると出社は6時30分。朝はなぜかわかりませんが,仕事がはかどります(事務所の電話もならないし)。それに,余裕も生まれます。
そんな「後輩との勝負に負けるか~」なんて,なんだかどうでも良い気もするけれど,まぁ早く帰る<目的>と,「朝はゆったり仕事ができる」という少しの<余裕>の結果,だんだんと早く帰る日が増えてきました。
といっても,<目的>と<余裕>が生まれたからと言って,急に仕事量は減りません。けれど,この2つがあると,「この業務はただの自己満足なんじゃないかな(もっと最低限の仕事内容でいいかな)」とか,「もっと効率よく仕事ができるよな」などが見えてきたのでした。(まさに,<目的意識>がないと,「見れども見えず」というヤツかな…?)
営業の仕事は,やろうと思えばきりがありません。お客さんの笑顔が…!とか,喜んでもらうためには…!と考えると,「あれもやらなくちゃ,これもやらなくちゃ」と思うのですが,冷静になって考えると,ボクの状態は「自分が相手に貢献したい,という自己満足,貢献している自分が好き…!」なんてヤツだった気がします。かけている時間の割にはお客さんのためになっていない。必要以上(求めていない)仕事までしていたのでは…?なーんて思いました(だってボク以外の同僚は,もう少し帰るのが早かったもの)。なので,「やりすぎない」という事を意識したのでした。やるにしても,「自分じゃなくてもいい」仕事は,事務の子や営業支援の子にフォローしてもらうことにしたのでした。
結果,残業時間も40~60時間程度(だったような)と,ずいぶん早く帰るようになったのでした。この頃は「多忙だなぁ」とは思っていなかったんじゃないかなぁ…。と思います。
●余裕が生まれると
「朝仕事しているから,結局時間をとられてるジャーン(朝残業ジャーン)」とか,「でもやっぱり残業してるジャーン」とも思えるのですが,少しの余裕だけでも,ボクにとっては変わるきっかけになったのでした。<少しの余裕>が出来た途端,今までほとんど考えなかった「プライベートの時間」を考えるようになりました。この入社4年目から「ピアノ教室」に通うようになり,「ギター教室」に通うようになり,後輩の子と飲みに行くようになり…。まさに4年目は転機の年でした。
仕事も,たまたまかもしれませんが,この4年目は,個人売上目標を30%以上も上回って達成,事例発表会で全国セールスの敢闘賞。キャンペーン個人売り上げの最多数売上(20万獲得。営業所の人たちと叙々苑に!)と,公私ともに充実したのでした。
●今はどう?
なんだか,後半は自慢ぽくなってしまいました(汗)。その習慣が続けば良かったのですが,後輩の子とも勝負をしなくなり(結婚して産休に入った),朝起こしてくれた子とも別れ(でも,その後1年ぐらいは早起きは続いた),1年後,会社を辞める頃はまた帰る時間も少し遅くなり始めていました(だいたい21時~22時ぐらい)。でも,「早く帰ろうと思えば帰れる自分がいるぞ!」という自信がついたのでした。
では,教師になった今はどうでしょうか?企業に入社した初年度みたく,「仕事に追われている」のでしょうか。そうでもないのでしょうか。
現在のボクは,企業にいた頃に比べて,圧倒的に「早く帰る」事ができています。部活がない時は18時ぐらい。部活がある日は20時ぐらい。
校種や学校規模,置かれている立場によっても違うでしょうが,「民間企業に比べて学校の先生は多忙である」とは必ずしも言えないのかな?なんて思います(でもやっぱり高校教師だから…!? 汗)。
でも,早く仕事を終える(自由に使える時間をつくる)ために,ボク自身少しの工夫をしているところもありそう…。今回はそんな事を自分自身整理しておこうと思って資料を書いてみる事にしました。
●早く仕事を終える(自由に使える時間をつくる)ために
①全部に完璧を求めない
授業も,分掌も,学級経営も,事務処理も,同僚とのつきあいも完璧に!!と思うと疲れてしまいます。なので,「〇〇はアキラめる!」という自分の基準をもつことにしています。具体的に言えば,事務処理関係やお客(相手)の笑顔が見えない仕事は,とにかく「感情込めずに時間をかけない!」をモットーに…。自己目標シートや管理職への提出仕事,初任者研修の報告書は去年とまったく一緒。一文字たりとも変えません。怒られた(気づかれた)ら考えよう…と思っているのですが気づかれません。指導要録も,読者はほとんどいません(生徒も読む機会がありません)。だから,「中学校から届いた個人調査書」の文言をほとんど使って一気に書き上げるようにしています。(テスト返却の一言コメントの方が時間をかけているかも・・・!? 笑)。分掌や学年の仕事もなるべく去年の内容・案内文章を使って仕事をしています。日付と担当者名だけ変えて…。(そういえば『発想法かるた』板倉聖宣著,に「くだらぬ仕事は改善せず」なんて言葉もあったっけ)
試験のテストも「去年とまったく一緒」です。それで同僚や管理職に怒られたら考えるけれど,今まで言われた事はありません。一方で,「こういう試験内容の方がいいんじゃない?」という細かい同僚からの指摘はあります。1年目に指摘されたのを直して,2年目同じものを使うと,やっぱり少し指摘される。3年目,同じものを使うと,やっぱり少し指摘される。こういう事を繰り返すと,「その人の状況や気分によって指摘されるんだ。それが人間なんだ。完璧はきっとないんだ。だったら相手にとっとと指摘させてしまおう」と思える。イライラしないから不思議です(笑)。
②来年・数年先を見越して
教師の仕事を3年経験して,「毎年違うなぁ」という仕事内容(担当教科が変わる,分掌や学年での担当業務が変わる)と,「毎年同じことをしているなぁ」という仕事内容(教科書授業や仮説実験授業,ものづくりなど)の2種類がある事を感じました。その中で「毎年同じ事をするシリーズ」に関しては,来年・数年後を意識して仕事をするようにしました(具体的に言うと,「必ずデータで残す」とか,「毎年使えそうなプリント作りをする」とか,「実験道具は分野ごとに分けて,迷わず使えるようにする…」とか)。抽象的な表現だけど,「過去の自分を取り戻す」時間を極力最小限にして,「今度はこれをやってみよう」と考える時間を極力増やしたいと思っています。
③自宅と職場以外の場所を求めて
高校生の頃から,ボクは自宅では勉強できない体質…。その頃は予備校図書館,喫茶店などで勉強していましたが,今も変わらず,考え事をしたい時,資料を書きたい時,新しい事をし始める時などは場所を変えるようにしています。ノートと,本。時にはノートパソコンとWi-Hi。これでバッチリ。最近は「会員制の自習室」なんてものもあるようで…。6月から通い始めました(というか今日から)。これが早く帰る事につながっているかどうかはわかりませんが,職場以外の方が気分が乗ります。新しい自分と出会いに行くカンジ(なんじゃそりゃ)。
④効率にはお金を惜しまない!
これは独身だから為せる技…!?(笑)。例えば,スキャナと裁断機は「家用」と「職場用」に2台ずつ持っています。実験道具も,自分で作らず,ほぼ買っています。そんな「メンドクさい準備はお金で解決!」している自分が結構好きです。資料を書くときだって,「思いたったらすぐ書けるように,スペック高いノートパソコン!(当時25万!5年使用)」「調べようと思ったらいつでも!モバイルWi-Hi!(月額2500円くらい)」などなど…。
気持ちよく仕事をする,生活するために,武器や防具を揃えている気分です(笑)。
●「早く帰る」も完璧は求めずに
資料を書いていて,まるで「早く帰る事が善で,いつも自分が高い意識で仕事をしている」ような,エラそうな人間に見えるんじゃないかと思って,「それも違うな」と思いました(笑)。たまには遅い日もあるし,生徒や保護者のトラブル(突発モノ)はどうしたって遅くなる…。「すべての仕事に完璧を求めすぎない」事も大事だけれど,「早く帰る事に対しても,完璧を求めすぎてはいけない」と思いました。例えば…
①初年度,転勤1年目は無理せずに
中さん著書の『学校現場かるた』の中に,「ムリしちゃいけない 転勤1年目」という言葉があります。とっても共感する言葉なので,引用します。
転勤一年目は,心身症や休職が多い。それは,統計にもはっきり現れている明らかな法則なので,まずはそれを知っていることが大事。特に前の学校でまわりからも評価が高く,自信を持っていた人が,前の学校のイメージ通りにがんばろうとして,悩む事が多い。
これははっきりした法則なのに,まだまだ常識になっていない。知っていれば備えができるが,知らなければ無駄に自分を傷つけてしまう。実用性があるし,早急に広がって欲しい知識の一つ。
新しい学校では,消しゴムのありかさえ分からず,戸惑うもの。何でもまわりに聞かないと進まない状況では,まわりの人がやたら仕事ができるように見えて,「自分は何もできない。劣っている」と感じてしまうこともあるだろう。
新しい学校の体制や人間関係に慣れるには,時間がかかる。張り切って「みんなに認められたい」と思ってする努力が,新しい学校のやり方にあわなかったりすると,自分の今までのやり方が否定されたような気分にもなってしまう。自分のやりたいことができないで,苦しさがつのったりもする。それで,自分で勝手に自信をなくして落ちこんでしまう。身に覚えがある人も多いのではないだろうか。
転勤は新たなスタートなので,「1からスタート」と思って誠実にやっていけばいい。だから「転勤したては目標低く」と自分に言い聞かせておくといい。まわりの評価も,人間関係も,じっくりやっているうちにだんだんできてくる。そんなふうに,一つ一つできることが増えていくのをたのしめることも,ベテランの知恵となってほしい。
ボクも初年度は21~22時まで仕事する事も多かったです。なんせ実験道具もない。授業もはじめて…。その時は,「もうすぐ30歳にもなるのにこんなバタバタしながら仕事をしていいのか…」と焦りましたが,今なら「仕方なかったかな…」と思えるのでした。
そう考えると,逆の立場になっても,「転勤したてや初任の人にやさしく対応」できそうです。相手と人間関係がうまくいかなくても,違和感があっても,「そうそう,まだ大変だよねー」と寛大になれます(笑)。
②WANTだって無理せずに
『たのしい授業・今月号』に,過去にたの授に掲載された,清野いずみさん(?・中学校)の言葉が乗っています。MUST(やらなきゃいけない)ではなくて,WANT(やりたい)=仮説実験授業が元気を与えてくれる,という文章です。引用すると…。
3人の子育てをしながら中学校の先生をするというのは,やっぱりたやすいことではありません…(中略)…,学校ではというと,もろもろのやらなければならない校内の仕事に,終わらなければならない教科書の厚さ。もう私のまわりは,「ねばならない」…MUSTで一杯という感じでした。
でも,<仮説>を知ったあとの今では,たくさんのMUSTの生活の中に,”私,今度はこの授業書がやりたいなー”というWANTの部分が入ってきました。授業書はやりたくなければ,もちろんやらなくていいわけなのだけれども,でもその良さを知ってしまうと,授業書を何としてでもやりたくなるのです。それまでの,「決められた学習内容をこなす」という毎日の授業の中に,「自分はこれをやりたい」というものが侵入してきたという感じです。
毎日のMUSTの中に入ってきた私のWANTの数はまだまだ少ないけれど,「全然ない」のと「少しはある」のとでは大違い。たくさんのMUSTの中で息がつまってしまいそうな私に元気を与えてくれます。
教師になりたくてなったのに,すべての仕事内容がMUST(ねばならない)だったらむなしい…。ボクもひとつでも多くWANT(やりたい)を増やしたいナァと思っています。
一方,仕事をしていて,「なんだか今は仕事が重なって忙しいナァ~」とか「今年はヤバいな…」なんて時があるかもしれません。先月のボクがそんなカンジでした。「部活も最後の大会に向けて追い込み…。卒業アルバムの業者との打ち合わせもはじめて…。そういえば学校の備品購入も顧問会議を開いて調整しなくちゃ,そういえば来週までに5科目の中間テスト作らなきゃ~」なーんてやっていたら,「あれっ?資料や授業通信を全然書けてない~,実験道具の準備もバタバタ~」という自分を発見…。
そんな状態では,清野さんの言葉を借りて考えると「せっかくWANTの事をやっているのにナンダ!やりたいことをやっているのに中途半端なんて…」とか,「たの授の記事や他の人の実践ではあんなにスバラシイ事をしているのになぁ」とか,「去年は授業通信出していたナァ」とか<周り>や<過去の自分>との比較でいろいろ気になりだします。
でも,「そういう時もあるかな」「たのしく授業できてるからいいか」と楽観的に考える事にしています。「WANTをやっているから完璧な理想を…!」ではなくてもいいかな。自分の状況と相談して,自分が気持ちよく過ごせるように,嫌いにならないように…。そんな事を思いました。
●早く仕事を終えてどうする?
こうして「仕事を早く終わらす」という事について書いてみましたが,そもそも「早く仕事を終えてどうする」のでしょうか。早く帰る<目的>は…? それは人によっても違うでしょうが,<仮説>に関わっている人は,資料を書いたり,授業通信を書いたり,実験道具や新しい授業書を準備したりしているみたいです。それはきっと「お客さん(子ども)」や「研究会仲間」が喜んでいる姿が想像できるからでしょう。仮説実験授業は「子育て先生,お母さん先生みたいな多忙な先生でもできるように」と板倉先生は提唱したけれど,子ども達の様子や反応から,「いつのまにか(教師が)意欲的になっちゃっている」のかもしれません。
そうではなくて,「子育て」だったり「趣味の時間」などに使っている人もいる事でしょう。そう,「自分」や「家庭」も大事でしょう。だって,子どもと接するのは「自分(教師)」なのだから。
教師という仕事は多忙かもしれませんが,子どもの人生に関われる魅力的な仕事だとボクは思っています。(だから決心して転職したのだし…)
だから,MUSTな仕事を早く終わらせて「どうする」がなくて「仕事なんてとっとと終わらせちゃえ~」というスタンスだけだったら,なんだかセコイだけの教師,子どもに誇れない大人のような気がします(笑)。
「教師になりたいな~」と思ったあの頃を思い出しつつ,そして, そういえばお金をもらっているという立場を思い出しつつ,空いた時間で「お客さん(子ども)」の<笑顔>,いやいや,それ以上に,自分の<笑顔>を大事にして生きたいな…なんて思ったのでした。(自分(教師)の笑顔=子どもの笑顔 になっているといいですね。ボクの周りの人たちは,その方法?目的?手段?として<仮説実験授業>を選んでいる人が多い気がします)
(追記)2017.06.06
今回の資料を書いてみて,「自分や他人の仕事観を考える」という事につながった気がします。ボクと同じ研究会仲間で,斉藤一郎さん(北海道・中学)という方がいるのですが,斉藤さんは土日も含めて毎日学校に通い,ウワサでは残業200時間を超えるとの事…(驚)。「部活指導」で忙しい要素もあるけれど,他にも「授業記録を書いた」り,「分子模型の会を開く時の準備」なども多くの時間を占めているようです。それら多くが「WANT」で仕事している…。だからこそ残業も平気,というか残業と感じていないんでしょうね。「やりたい事をやっている」というカンジでしょうか。
お金をもらっている立場だから,仕事の全部が「やりたい事」にはならないかもしれないけれど,「自分は教師というたくさんの業務がある中で,〇〇でお金をもらってるなぁ」と誇れる,やりたいと素直に思えるものがあるといいですね。それが人によって,「部活」だったり,「分掌」だったり,「学級経営」だったりと違うのでしょう。(研究会の人たちは,そこで「授業」を選ぶ人が多いんじゃないかな)