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やんちゃな少年が、世界で活躍する音楽プロデューサー・DJに。探究型スクールで学び、高校には行かずに見つけた道とは?


探究型スクールに行った子どもたちは、その後にどんな進路を選択するのだろう?どんな大人になり、どんな人生を歩んでいるのだろう?今回の「探究育ち」では、ラーンネット・グローバルスクール卒業生のTETSUさんにお話を聞きました。

ラーンネット入学前に通っていた公立の小学校では、周りから変だと思われることも多かったと話すTETSUさん。今は、音楽プロデューサー・DJとしてオランダを拠点に世界で活躍しています。これまでの経緯や仕事のこと、目指す未来についてお話を伺いました。聞き手は「ラーンネット・グローバルスクール」代表の炭谷俊樹です(2023.4.27インタビュー)。

公立ではうまくいかない時期も。5年生からラーンネットへ

—— TETSUは、小学5年生からラーンネットに入学したよね。どんな経緯でラーンネットに行き着いたの?

元々シュタイナー教育を理念としたある学校に行きたかったんですけど、待っても待っても空きが出なくて。母親から「こんな学校もあるよ」と教えてもらったのが、ラーンネットだったんです。それで、見学に行くことに。実際に、ラーンネットに行ってびっくりしたのが、ルールが3つしかなかったこと。

—— 「人を大切に、自分を大切に、ものを大切に」だね。

そうです。シンプルだなって。ラーンネットには縛られるようなルールもないし、チャイムもない。六甲山の中にあって、自然の中で学べるのも良いな、と。それで「僕に合っている」「ここに行きたい!」と思いました。

実は、それまで通っていた公立の小学校では、うまくいっていない時期もあったんです。例えば、図工の時間に「こういう絵を描きましょう」と言われたものの、全く違う絵を描いて提出したりしていて……。好き勝手なことをして、周りから変に思われることも多かったです。でも、ラーンネットには自由な雰囲気があって、のびのびと過ごすことができたんですよね。

—— ラーンネットで過ごす中で、印象的だったことはある?

特に、キャンプが楽しかったですね。プランも予算も全部子どもたちがゼロからつくるじゃないですか。人件費も計算しましたよね。こういうことは普通の学校ではやらない。でも、この経験が今すごく活きているんです。自分でビジネスをするようになって、スケジュール管理や予算の計算をするんですよね。

13歳から曲作り、スマホを買ってもらったのがきっかけ

—— TETSUは、ラーンネットの文化祭でもDJをしていたよね。いつから曲作りを始めたの?

本格的に曲作りを始めたのは、13歳からですね。小学2年生からクラシックピアノを習っていました。でも、曲作りの直接的なきっかけになったのは、13歳になって両親にスマホを買い与えてもらったこと。それまでクラシックの曲しか聴いたことなくて、初めてYouTubeでダンスミュージックを聴いたんです。その瞬間、自分の中に衝撃が走って。

クラシックは複雑なコードやメロディを使って演奏をするんですけど、ダンスミュージックはずっと同じメロディーの繰り返しなんです。それがすごくカッコ良く感じて。

それで、聴いた曲をピアノで弾いたんですよね。その後、スマホのアプリに曲を打ち込む中で「あれ?もしかしてこのメロディーを変えたら、オリジナルの曲になるんじゃない?」と思ったんです。それからオリジナルの曲を作っていきました。

—— 日本じゃなくて海外で活動しようと思ったのはどうして?

まず、僕が今いるオランダは、ダンスミュージックの分野で世界のトップを走っている国なんです。世界で有名になっているダンスミュージックは、ほとんどオランダのレーベルから出ているんですよ。それで、僕も「オランダのレーベルから曲を出したい!」と思ったんです。

あと、僕が中学2年生のときに音楽学校のオープンキャンパスに参加した際、日本の音楽のトップ企業で働くプロデューサーと話す機会がありました。でも、そこで僕は「これが天井か」と感じてしまった。「日本にいたら、自分もこのレベルで終わってしまう。このままじゃダメだ」と。

なのでヨーロッパに行きたいとは思っていました。「オランダは危ないのでは」と親に言われたこともあって、最初はクラシックの領域でドイツに行く予定でした。ところがドイツ留学前に、家の経済的な問題で行くのが難しくなってしまって。

バイトで300万円貯めて、母親を誘ってオランダへ移住

—— そうなんだね。そこからオランダにはどうやって行ったの?

ラーンネットを卒業するぐらいの時期に、テレビでオランダへの移住が取り上げられていて。そこで、オランダでは60万円の銀行口座があるだけで、簡単に起業ビザが取れる、世界一移住しやすい国だとわかったんですよね。

それで「これだ!」と思って、紹介されていた連絡先にメールしたんです。「オランダに住みたいんですけど、どうしたら良いですか?」って。

—— すごい行動力だね(笑)

でも、18歳以下は無理だと言われたんです。当時まだ僕は15歳。それで、「お母さん、一緒に行こう」って言って。母親には「本気で言ってる?」と言われました(笑)

母親は美容師なので、「オランダでも働けるはずだし一緒に来てほしい、お金は自分が貯めるから」とお願いしました。ラーンネットを卒業してからは、朝4時半に起きて週5でラーメン屋で働く生活を始めました。1年半ぐらい働いて、300万円が貯まりましたね。

母も最初は心配していたけど、最終的には僕を扶養する形で、ビザを取ってくれたんです。それで、僕と一緒にオランダへ来てくれました。

——一緒に移住してくれるのはすごいね。親御さんが本当にたくさんサポートしてくれたんだね。

移住に200万円くらいかかって、残りのお金で最初は生活していました。でも、やっぱり途中でお金が尽きてしまって。父も美容師なんですが、父は日本で働きながら、お金を送って応援してくれました。

だんだんお金がなくなっていく中でも、僕は曲作りを続けていました。「バイトとかしたら」と母親に言われたりもしたけど、1つでも曲をつくったほうがいいと思っていて。

でもこの頃は、すごく追い込まれていましたね。「どうしよう」ってあがいてあがいて、いろんな人に「この曲使えませんか?」と営業をかけて。いろんなレーベルに行って「僕の曲を聞いてください!」と言って回りました。

今ほど英語も喋れなくて、スマホのGoogle翻訳を使って営業を続けましたが、営業をかけては全滅。そんな日々の中、いま所属している事務所の「LDH EUROPE」が唯一僕の話を聞いてくれたんです。

ヨーロッパやアメリカのレーベルと契約し、音楽を仕事に

—— 事務所に所属してからも、大変なことはあった?

僕は、「音楽の仕事をしたい」と思っていたんじゃなくて、ただただ夢中になって曲作りをやっていたんですよね。とはいえやっぱりお金がないと生きていけないし、自分の技術のマネタイズをしないといけない。そういうことを真剣に考えるようになりました。

最初にお金になったのは、既に売れているアーティストさんに自分のつくった曲の権利を売る「ゴーストプロデュース」です。自分の名前は表には出ませんが、オランダに来たばかりの頃はそうやってお金を稼いでいましたね。

そうして少しずつ、TETSUとしての音楽活動もしてきました。今は、僕が13歳の時にはじめて聴いて「カッコいい!」と思った曲のマネージャーが、僕のマネージャーをしてくれているんです。

—— 今はどんな仕事をしているの?

今は、オランダを拠点にヨーロッパやアメリカで、音楽プロデューサー・DJとして活動しています。事務所で日本人なのは、僕だけです。オランダやイギリス、ドイツ、ベルギー、アメリカのレーベルと契約して、一緒に仕事をしていますね。

2020年にはYouTuberラファエルさんとのコラボ曲をリリースしました。2021年にはLDH EUROPEと本格的にアーティスト契約を結んでTETSUとして活動をスタート。オリジナル曲をリリースしています。シンガーのクリスタル・ケイさんと一緒に曲をつくらせていただいたこともありますね。

完璧すぎない、ちょっと抜けのある曲をつくる

—— 10代で、本当にいろんな経験をしたんだね。曲作りをしているときは、どんなことを考えているの?

ただただ無我夢中ですね。基本的には試行錯誤の繰り返しで、急に何か良いアイデアを思いつくことはないんです。アイデアは何もないところからは生まれない。

僕は0から1を作ると思われているんですけど、実は違うんですよね。普段からいろんな曲を聞いて、散らばっている1をかき集めて、新しい1を作っているんです。

あとはクオリティは数ありきだと思っているので、ひとつでも多くの曲を作るようにしています。完璧すぎるものではなく、ちょっと抜けのあるものをつくることも意識しています。人とコラボしたりする上で、完璧すぎないことも大事だと思っているので。

—— 1日に何時間くらい曲作りをしているの?

もともとは1日に12時間以上、曲作りに励んでいました。でも、最近はあえて時間を制限していて。いろんな本を読む中で、5時間以上人間は集中できないことを知ったんですね。

だから、今は曲を作っていない他の時間を大切にするようにしています。筋トレをしたり勉強したり散歩に行ったり美術館に行ったり……。そういうことに時間を充てるようにしていますね。

—— 世界で活躍する音楽プロデューサーには、どんな力が求められていると思う?

音楽の才能がずば抜けているのは大前提ですね。それと、音楽業界の共通言語は英語。英語が話せて当たり前の世界なんです。オランダの人たちは言語面がすごく強くて、英語も含めて5カ国語は話せるという人もいっぱいいます。

その他で一番大事だなと思うのは、営業力とコミュニケーション力です。まず、どんどん営業して自分の曲を広げていくことが大事。そうやって自分からコミュニケーションを取っていくことが、仕事につながっていくんです。

日本のJ-POPを変えて、時代を変えていく

—— いま21歳だけど、これからやりたいことはある?

ひとつは、J-POPを変えていきたいです。今のJ-POPって1曲の中の展開が多くて、聞く人によっては複雑すぎる側面もある。日本語に精通していて歌詞の意味が分からないと、なかなか楽しめない部分もあります。

一方で、海外のPOPはリズムやフィーリングを重視していて、様々な人が楽しめる。僕はこういう曲を増やして、J-POPの幅をもっと広げていきたいんです。

日本と海外では曲作りのシステムも違います。日本では編曲家、作詞家、作曲家がはっきり分かれていて、それぞれが順番に曲作りをしていく。一方で、ヨーロッパやアメリカでは、プロデューサー、歌詞とメロディーを作るトップライナーが同時進行で曲を作っていくので、すごく効率が良い。この海外のシステムを日本でももっと取り入れていきたいです。

—— 外に出たからこそ日本のシステムに気づいたのかもしれないね。海外での活動は続けていくのかな?

はい、オランダは自分に合っているし、本当に来てよかったなと思ってます。ヨーロッパでの活動も続けるつもりです。僕の作った曲は、Spotifyでは100万ストリームを超えましたが、200万、300万と増やしていき、最終的にはグラミー賞を取りたいですね。

いずれは、オランダのロッテルダムにスタジオをつくりたいな、なんてことも考えています。日本や韓国のアーティストを招いて、僕がヨーロッパやアメリカのトップライナーやプロデューサーと繋ぐ。世界中のプロを集めて一緒に曲を作るようなイベントも開催したいです。

堅苦しい場所じゃなくて、アーティストが集まれる広場のようなラフな場所をつくりたいんですよね。「ヨーロッパに行けばいつでもあのスタジオがあるよね」と言ってもらえるような、帰って来られる家みたいな場所ができたらと思います。

—— 素晴らしいね。今日は話を聞かせてくれてありがとう!今後の活躍も楽しみにしています。

時代を変えていけるように、これからも貪欲に頑張っていきます。今後の僕に期待してもらえたら嬉しいです!

https://www.instagram.com/tetsu_officialmusic/

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