2022年、東京・砧公園に初等部開校。銀行で国際ビジネスを経験した堺谷武志さんが、マイクロスクール「ヒロック」をつくる理由。
自然や人とのふれあいが希薄になってきている、都会での暮らし。たっぷり自然や人に触れながら、都会の子どもたちが主体的にのびのび育つ場づくりを行うことはできないだろうか——。その問いにチャレンジし続けているのが、堺谷武志さんです。
堺谷さんは、銀行員として国際ビジネスに従事した後、2006年に教育業界で起業。世田谷区・目黒区・品川区でプリスクールを運営してきました。そして2022年春、東京都世田谷区に、全日制のマイクロスクール「ヒロック初等部」を開校されます。
今回は、堺谷さんのヒロック初等部立ち上げまでのストーリーを、Q責任編集・炭谷俊樹が聞いていきます。
1.大人へ不信感を持っていた子ども時代。放課後の探究が学校設立の原点に。
——堺谷さんは子どもの頃に教育に関わる原点となった経験があったそうですね。どんな子ども時代を過ごされていたのですか。
公立小学校に通っていたのですが、先生から「わがままだ」と言われることが多くて。話してはいけない場面で発言してしまったり、しないといけないことをやらなかったり。決まった時間に座って授業を受けるという環境へのストレスもあったんだと思います。
また、終わりの会では同級生から毎日のように「掃除をサボった」「悪口を言った」などと言われて。その度に先生から叱られていました。「先生に憎まれているのではないか」「自分には社会性がないのかな」と感じました。
当時は、大人への不信感がありましたね。大人は「あなたのため」と言うけれど、本当にそうなのか。子どもの立場よりも自分の身を守ろうとしている先生の姿勢が、子どもながらに透けて見えました。
大人から「正当に取り扱われている感覚」がほしかった。それで、学校の先生になろうと思ったんです。自分が先生になってまともな学校にしたい、こんな人たちに任せちゃダメだと。
——大人に対する違和感が教育への入り口になっていたのですね。他に印象に残っているエピソードはありますか。
放課後は、ザリガニを捕まえることに夢中になっていました。図鑑でザリガニについて調べて、いろんな捕まえ方を試して。どういう餌を使ったら良いか大人に質問したり、友だちと情報交換をしたりもしました。遊びの中で池に落ち、地域の方に助けてもらったこともあります。その時間が本当に楽しかったです。
いま考えると探究的な時間ですよね。放課後の遊びは、学びの原点だったと思います。「子どもたちに、こういう環境や体験を再現したい」と思うようになりました。
僕が子どもの頃は、放課後に友だちがいて、自然があって、暇もありました。でも、今はそれらがなくなっている。現代の子どもたちにも、僕の学びの原点を少しでも再現したい。放課後に時間がなければ、学校の中でそれを実現したいと思いました。
2.習い事ではなく、全日制の学びの場を、都会につくりたい
——堺谷さんはもともとビジネスマンですよね。教育業界で起業すると決めたのは、どんな出来事がきっかけになったのでしょうか。
一つは、当時勤めていた三和銀行(現三菱UFJ銀行)の社内制度で、アメリカの大学院へ留学したことです。「僕は教える人間じゃない。君たちが学ぶのをサポートする人間だ」と大学院の教授に言われて、学びに対する考えが大きく変わりました。
また、銀行員として海外で働いていた経験も影響しています。シンガポールに駐在し、インドネシアやタイでも仕事をしました。国際ビジネスに従事する中でアジアの財閥の方々にも出会って。日本の役員や社長には対応できない、彼らのパワフルさやたくましさを肌で感じました。
一方で、貧困層の子どもたちにも出会いました。楽しそうに路地裏を駆け巡っている子どもたちの姿を見て、笑顔と元気があることが子どもたちにとって重要だなと。
でも、重そうなランドセルを背負って通学している日本の子どもたちは、アジアの子どもたちと対照的だと感じて。「日本が太刀打ちできなくなる時代が来るかもしれない」と危機感を覚えました。
——海外に出たことで、国内の子どもたちに目が向いたのですね。2006年にはプリスクール「キッズアイランド」を立ち上げられています。
キッズアイランドでは、都会の子どもたちが「自然」と「人」にたっぷり触れ合うことを大切にし、英語による幼児教育を行ってきました。全日制ではなく、週1〜3で通う就園準備のための習い事のようなプリスクールです。基本的に幼稚園も小学校も公教育があるのが前提で、そこに寄り添う形をとってきました。
運営の中で手応えは感じていたものの、日本の幼稚園や小学校は、僕が子どもの頃と大きく変わっているようには見えませんでした。そのことに違和感を覚えて。
自然と人に触れることのできる場が都会には足りていません。だから、何が何でも都会に小学校をつくりたい。きっと自分ができる大仕事が、これで最後になる。小学校をつくることが僕のライフワークだと思うようになりました。
3.「学校をつくりたいんです」SNSを介してたくさんの人に会った
——全日制のスクールを立ち上げると決めてからは、どのように行動されたのでしょうか。
素敵だなと思う方にどんどん会いに行きました。炭谷さんのことも、知人に紹介してもらいました。初対面から、身を乗り出して「学校をつくりたい」と話していたと思います。
これまでSNSを活用することはほとんどなかったのですが、Facebookでリクエストを送って、いろんな人とつながりました。SNSは苦手だと思っていましたが、実際に始めてみると「こんなに便利なものがあるのか」と。Facebookを使っていなかったら、今の自分はないと思います。動き方や学び方がガラリと変わりましたね。
——堺谷さんは初志貫徹で、学校をつくりたいという思いを一貫して持たれていましたね。着々と準備をされていると感じていました。
最初は幼稚園部から活動をスタートさせました。2019年に立ち上げたNPOソダチバ・プロジェクトが運営しています。実現までに時間がかかってしまいましたが、ヒロック初等部は2022年春から開校できることになりました。
「新しいスクールでは、僕自身が教師になろう」と思った時もありました。でも、僕は企画開発がしたいタイプ。教えることよりも、人が成長する場をつくって維持していくことに興味があるとわかりました。
——銀行でビジネスの全体を見る仕事をされていたので、お金の流れや人の配置など、全体感を持った視点がありますよね。経営者としてさすがだなと。
僕が全てをやろうとするのでなく、教育のプロフェッショナルがヒロックに関わってくれることが一番だと思いました。教員には子どもの頃からの夢を叶えた人が多くて、その真っ直ぐさや力強さは本当にすごい。その中で、善人であることと笑顔が子どもに接する人には重要だと僕は思っているんですけど、さらにスキルがある2人が参画を決めてくれました。
4.「自由進度」「ICT×探究」に取り組んできた2人の小学校教諭との出会い
——蓑手さんと五木田さんが小学校を辞めたのは、今年の教育界10大ニュースに入るような出来事でした。2人とも大活躍されておられる中、どのように参画が決まったのでしょう。
蓑手さんは、公立の小学校と特別支援学校で教員経験があります。働きながら大学院にも通い、人間発達科学で修士を取得しています。五木田さんは、私立小学校に勤務して、日本語版の国際バカロレアの立ち上げにも参加していました。
2人とも、「自由進度学習」や「ICT×探究」分野の数少ない実践家であり、フットワーク軽くいろんな人から学び、どんどん先進的な取り組みを行っている活動家です。
蓑手さんが探究をテーマにしたLearning Creator's Lab(LCL)という研修に一緒に参加しないかと誘ってくれて。五木田さんも参加するということを知り、「もしかしたら何かあるかもしれない」と直感的に感じました。
——LCLではどのような活動を行ったのでしょうか。
LCLには、「子どもはもともと学びの種を持っていて、探究する学びの場を広げる人は自らが探究者だ」という考えがあります。7ヶ月間のプログラムがあり、探究の第一人者から学び、チームをつくって各々が探究プロジェクトを進めていきます。
僕は蓑手さんと五木田さんとチームになり、一緒にプロジェクトを行うことになりました。僕たちがテーマにしたのは「自由と遊びと学び」。キッズアイランドで模擬授業をしたこともあります。
プロジェクトの中で、何度もミーティングを重ね、多くの時間を一緒に過ごしました。教育観やどういう思いで仕事に向き合っているかを本音で語り合えた。気が合うというレベルではなく、もっと深いところで、教育への思いを分かち合うことができました。
それで、「こんな学校をつくろうと思っているのですが、どうですか」とそれぞれに声をかけました。研修が開催されていたこと、研修のスタイル、2人と同じチームになったこと。全てが奇跡でした。いま振り返ると、すべてヒロックのためだったのかなと思うほどです。
「断られたらどうしよう」と心配していたのですが、最終的に2人とも一緒にヒロックを創ってくれることになったんです。2人に出会えて本当によかったです。このメンバーだからこそ、できることだろうなと。やっぱり人としての信頼が一番根っこにあるので。
——着々と準備されたからこそ、起こるべくして起こったという感じですよね
5.自分ひとりでは持続性のあるものはできない。若い人と理念をつくる
——ヒロックの中核となる考えやカリキュラムは、どのようにつくっていったのでしょうか。
僕1人でつくるのではなく、いろんな人に協力してもらいました。一番時間をかけた部分だと思います。
——どうして多くの人との協働しながら、コアとなるコンセプトをつくったのでしょう。
僕が続けてきたスタイルでは良いものはつくれないと思ったからです。自分でプランを立て、タスクを細かく分け、仕事を割り振ってお願いする。これが、僕のこれまでのスタイルでした。でも、「このままではダメだ」と思ったんです。
この10年間の時代の変化を見ても、自分にはわからないような領域の話もたくさん出てきています。自分だけの考えでは良いものはできないし、持続性のあるものはつくれない。それで、若い人たちの力を借りたいと。
方向性を共有し、対話を重ねながら進めるスタイルに大きく舵を切りました。だから、僕自身が一番変わったと思います。
——トップダウン的なアプローチから、他の人に頼っていく形に変わったんですね。
変化の時代は、若い人の力が必要です。運営メンバーにも、若いメンバーに入ってもらっています。それぞれが代表クラスで、多様な社会経験を持っています。様々な角度からこれからの教育について考えているチームです。
——教育理念としては、どのようなことを大切にしていくのですか。
子どもたちの個性がより輝くために、「3つのC」をコンセプトとして掲げています。1つ目は、自信(Confidence)。人と比べることなく自分らしくという願いを込めています。2つ目は、協働(Collaboration)。チームワークやユーモア精神を意味します。3つ目は、創造・表現(Creativity)。子どもたちには一歩踏み出す勇気を大切にしてほしいです。
6.「人生最高!」「ここにいてもいい」と感じてもらえる学校に
——多くの方々と協働しながらコンセプトを整えたヒロックの初等部には、どのような特徴がありますか。
3つあります。1つ目は、「ワイルド」。自然に触れながら、たくましくしなやかに育つことのできる環境を整えています。2つ目は、「アカデミック」。日本語軸のバイリンガルを目指し、探究と教科学習を両方深めていきます。3つ目は、「東京がキャンパス」であること。フットワーク軽く、社会とつながることができる特徴があります。
ヒロックでは、「教科」と「探究」をどちらも大切にしています。学びのスピードを自分のペースで決めていく自由進度学習やチーム学習を通して、体系的に教科学習を進めます。探究では、子どもたちが自分の意欲から学ぶことを選択し、好きなことを追求します。全体の8割は日本語、2割は英語で学んでいきます。
専門家の協力を得ながら、日本の公教育では十分に扱われていない、先進的な学びに触れる機会をつくっています。哲学、社会起業家学習、デモクラシーなど、子どもたちには幅広い領域に触れてほしい。また、緑豊かな砧公園で過ごす時間を重視し、自分のペースで過ごすことのできる「自由」の時間も設けています。
——ラーンネットでは子どもに寄り添う大人を「ナビゲーター」と呼んでいます。ヒロックも「先生」はいないそうですね。
ヒロックでは、ヒマラヤ登山ガイドのシェルパから「ラーニング・シェルパ」と呼んでいます。子どもたちとシェルパの比率は12:1以下。一人ひとりの育ちと学びを丁寧にコーディネートします。
1人では登ることができない崖も、専門家がいたら登ることができます。子どもたちとともに歩く人がすごく重要だと思っています。子どもたちが主役となって、自然や人と触れ合いながら、のびのびと育つ。ヒロックはそんな場でありたいです。
——特徴のひとつ、「ワイルド」という言葉が印象的でした。ワイルドと反対に「失敗してほしくない」という保護者の方も、今は増えているように思います。ワイルドにはどんな意味が込められているのでしょうか。
海外で出会った富裕層の方々からパワフルさやたくましさを感じたことが大きかったです。彼らは世界中で学んでいるんですよね。分野は問わず、知的にワイルドな人が日本に増えていってほしいという願いがあります。
自分のいる場や世代を超えて、人とつながっていく力が、これからはすごく大切だと思っています。自分の枠を超えてどうクリエイトしていけるか、どうフラットにフランクに目の前の人と付き合っていけるか。そんな力が必要です。
1歩でも、0.5歩でも踏み出してみる。いろんな人に、踏み出すことにチャレンジしてもらえると嬉しいなと思っています。
——最後に、子どもたちへの思いを教えてください。
子どもたちには、「ここにいてもいい」とヒロックで感じてほしいです。ヒロックは40年前の僕の救済の場でもあります。周りから「わがまま」と言われることがあっても、子どもたちには自分で決めることを大切にしてほしいです。
また、自分はかけがえのない、価値のある存在だということも感じてもらえたら嬉しいです。シェルパのサポートのもとで、「人生最高!」と思ってもらいたいですね。そう感じながらヒロックで過ごしてくれたら、そこがベースになって卒業後も進んでいけるはずです。
——堺谷さん、ありがとうございました。これからも応援しています。
(取材:炭谷俊樹、執筆:田中美奈)
ヒロック初等部については下記のサイトをご覧ください。
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